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母と妹の、お引越し

この間、産まれ育った実家へ帰りました。
馴染みのある駅前、商店街、家に着くまでに続く街路樹。
もう当分はこちらの実家には来ないのだろうと思うと、変な気分。
人とすれ違うたびに、どこか落ち着かないような、
なぜか私が緊張して、鼻からゆっくり息を吐いて家に向かいました。

家に着くと、もう母方の祖父母が着いていて、
玄関には溢れんばかりの、最初は車二台で運びきれるのか心配になったほどの荷物が置かれていました。

その日は、晴れて(!)独身の母と、一緒に母の実家に戻る妹のお引越しの日。
「すごい荷物だねえ」
私が玄関先で母に言うと、
「まだまだあるわよ。入って!!」
と返され、リビングを見ると、たくさんの荷物がずらり。

母の妹夫婦も車で来てくれて、
その後はひたすらみんなでバケツリレーのように、
荷物を車二台に運び、運び。
ぜーはーしながら、三階から一階まで運び、階段を上って、また運び。
途中、「まだあんのか!」「うーん、痩せるね!」という会話が階段であり、可笑しかったです。

思っていたよりも作業は順調に進んで、
自分の育った家は最低限の家具しかない、がらんどう状態に。
私と妹の部屋は、妹が小学生の頃から使っていた勉強机以外は、何もない。

本当に母と妹は引っ越すんだ。

今さらになって、それを実感し、
と同時に、父は今夜、帰ってきて何を思うだろうかと、
自分の決断を少しでも後悔するのだろうかと、
すればいいのにと、そんな風な考えがちらりと、脳裏をかすめました。

母と妹、私で最後、自分たちが長年住んだ家に
「今までお世話になりました」とお辞儀をして、
下の階に住む父方の祖母、叔母、叔父に挨拶に。
父方の祖父の仏壇の前で、目をぎゅっと瞑って、少し苦しそうに手を合わせる母の姿が印象的でした。

母の実家に着き、みんなで荷物を全部一旦下ろして、
お茶菓子を食べて少し休憩。
大量の荷物に囲まれて、「私も、これから『実家に帰る』となったら、ここの家なのか」と、新鮮な気分になりました。

休憩の後、母の妹夫婦は帰っていき、その後は荷解きへ。
私も、母の部屋にあるテレビの回線を繋ぐ祖父のお手伝いをしたり、
母に頼まれた細々としたことをやっていたりしました。

気付けば夕飯時となり、祖父母と母、妹と私でスーパーで買ったお寿司を、
一階のこたつで食べました。
祖父母が予約してくれていたお寿司はてまり寿司。
ころんと、一つ一つのお寿司が小ぶりで可愛らしく、
表面が艶々としていました。

ビールを一杯、グラスに注いでもらって、乾杯。
祖母が涙ぐむ時もあって、それを見た母もまた涙ぐんでいました。
私も鼻先が赤くなるのを感じて、ビールを一口飲みました。

ご飯を食べ終わり、次の日、仕事の私は帰ることに。
祖母からは手作りの赤飯やポテトサラダ、そしてこの家の鍵をもらい、
母が駅まで送ってくれました。

外は思っていたよりも肌寒く、上着が少し薄かった私は
「コーデ、ちょっと失敗だったね」
「うーん、帰りにあたたかい飲み物でも買おうかな」と
母と喋っていました。
母は今、働いてるところのシフトが週5になり、勤務場所も増えるのだそう。私も、これからどうするか迷っていることを母に話しました。

すぐに最寄り駅に着き、母はポケットに入れてきたのか、
私に二千円を握らせてくれました。

「交通費。今日はありがとうね!」
「別にいいのに」
「いいの、今日だけ。次からはないからさ」

笑いながらそう言う母に「ありがとう」と言って、私はその二つに折り畳まれた二千円を受け取りました。
「じゃあね、気を付けてね」
そう言って、母と別れ、改札へと続く階段を上る途中、
信号待ちをしている、母の後ろ姿を見ていました。

母は先週、離婚届を出してきました。
そして実家に戻り、自分の人生の再スタートを切りました。
祖母も泣きながら言っていましたが、
引っ越しやら役所関係の手続きやら、全部ひとりで、なんとかして。

母の後ろ姿を眺めていると、
なんだか視界がぼやけて、鼻を啜りました。
握らせてくれた二枚の千円札をすぐに財布にしまうのが惜しくて、
かわりにぎゅっと手の中で握り、
私は階段を上りました。

母と妹の新生活。
それまでにたくさんの涙があって、
苦しくて。
だからこそ、二人の新生活が楽しく、充実なものとなりますようにと、
願わずにはいられないのです。

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