師をなぞる
毎日、というわけではないけれど、
時折、わたしは自分のお気に入りの詩や小説の一節を、
ノートに書き写しています。
ペンは、青(と碧を混ぜたような)色で、
紙の上を滑るような、書きやすいもの。
ノートの表紙はマスキングテープでデコレーション。
去年の夏に本屋さんで買った青の瓶柄は
爽やかでもあり、ノスタルジックさもあってお気に入りです。
この前はヘッセの「車輪の下」から、抜粋して書き写しました。
書き写しているとき、こころの中で文章を読み上げながら
嚙みしめるように書いています。
わたしは日記をほぼ毎日書いています。
でも、人が書いたものを書き写すのは、日記を書くときとは、使っている脳の部分が違う気がするのです。
その作者が織りなす言葉の羅列は、創造の産物なわけですが、
書き写していると、まるで呼吸方法、動きを真似ているように思えます。
読み上げてみると、なお、その感覚が強まります。
どんどん新たな本を読みたい!という衝動に駆られるけれど、
一旦立ち止まり、その一節、その一文、句読点まで向き合う時間も、
わたしにとっては必要。
その文章のなにに、自分は魅了されるのか。
内容か、それとも比喩の美しさか、はたまた両方か。
こんな風に、吟味できる濃密な読書体験もいいものです。
書き手の師、先輩たちの型をなぞる。
それは作品、作者と向き合い、
自分の血肉として、言葉を取り込むこと。
その取り込んだ言葉たち、思想が、
自分だけの、大きな創造の海の中で渦巻き、
新たな、わたし固有の波を作るのかもしれない。
それが目的なわけではないけれど、
ひとつひとつの、手に取った作品を大切に読み続けることは、
ひとりの人として大きな財産になるのだと思います。
わたしは速く読むことが昔から苦手で、
国語のテストでも時間を意識しなければならないのが、かえって焦りになっていました。
だけど、自分だけの読書時間は、自分のペースで、自分なりに作品をかみ砕きたい。その一つに、「書き写す」という作業を、これからも、不定期でも、続けていきたいです。
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