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その記憶は寒くて、甘く、そしてあたたかく

この前の土日は、朝、目を覚ましただけで、
空気の色が白くなったのがわかるような、
そんな曇り模様でした。
色が褪せ始める草木もあれば、
嬉々として衣を赤や黄、橙に変化させる葉もあります。

窓の外を眺めると、
鼠色の雲が垂れこめていました。
"独り" という言葉も浮かびそうな
しんとした寒さが、窓越しで感じられます。

でもわたしは、薄れない、わたしの中での大事な記憶を
思い出し、冷えている指先もじんと、芯があたたかくなったようでした。

薄れない記憶といっても、
会話の内容や動作を覚えているわけではないのです。
二、三枚の写真を切り貼りしたような場面と、
そのときの雰囲気、わたしの心情。
でもそれは鮮明で、いつだって、cozyな気分にさせてくれる。

あれは、わたしが小学生の頃の冬でした。
きっかけは買い物帰りだったか、
もしくはわたしの習い事の帰りだったか、
わたしは母とスーパーの傍にある公園に寄り道をしたのです。

母はミルクティーの缶を、わたしに買ってくれました。
それは白地に青の細い線が入った、上品で可愛らしい缶。
わたしと母はそれを、公園のベンチで飲みました。

遊具なんて少なく、
その日は曇り空だったから、尚一層、殺風景な印象を持つ公園です。
でもその満ち足りた気持ちで見てみると、
その公園は「思い出の公園」になります。

すぐ飲まないと冷めちゃうのに、
わたしはずっとそのミルクティーの缶を両手で包んでいました。
スチール缶の硬さと、そのあたたかさを、まるで確かめるみたいに。

一口飲んで、ほぉっと、息を吐けば、濃い白い息が視界にできあがりました。
ミルクティーの甘さは、体の末端まで沁み渡ります。
寒いとすぐに赤くなるわたしの鼻は、
寒さの中のあたたかさを、しっかり感じていました。

わたしが先に書いた「薄れない記憶」、というのは
そんな、本当に他愛もない出来事です。

でも、なんでこんなにも、十年以上経っても覚えているのでしょう。
思えば、母とふたりで公園に寄り道をして、
ベンチでその場で買った缶の飲み物を飲むというのは
あの頃のわたしにとって、そうないことだったのかもしれません。

まるで、友達同士がするようなこと(?)というのが、当時のわたしを
こころ躍らせたのだと思います。

冬が、もうすぐそこまでやってきました。
思い出、記憶、というのは、何十年経っても、
人のこころを、揺さぶることもあると思っています。
そのいくつもの記憶のなかで、
どれか一つでも、みなさんのこころを
あたためてくれますように!

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