価値観の違いはそう簡単には埋まらない

またタイトルが壮大すぎてどこから触れるつもりなんだって思うでしょうが、わたしが最近あったことを交えて、自分の脳内整理のために書いてる記事なので、暇がある人は読んでください。
共感や意見や感想があったら知りたいので反応くれると嬉しいです。

相手を変えようと思ってはいけない。これは私の中での決まりである。然し、自分の価値観はどれだけでも相手に合わせようと頑張ったりする時もある。大抵は好奇心で、そういう価値観もあるんだ!納得出来ないけど理解はできるしこの人はそういう人なんだな…。じゃあ合わせてみるか!と思い、上手くいけばそのまま関係が続くし、わたしの器が持たなくていっぱいいっぱいになった時に爆発して関係を切ることもある。

今回は後者で、爆発したきっかけの火種は小さかったのだが、火薬はこれだろうなという価値観の不一致があったため、記事を書いている。

年下の友人と話していた時のことだが、相手のために誤解を招かないよう言っておくと、ネット上の友人で会ったことがない人のため、普通の友人に話せないようなことや、そういう会話が多かったかもしれない。中でも価値観や考え方の違いについて話すことが多かった。

その日は携帯の容量がパンクしそうって話から、写真が多いって話になった。
その人はカメラロールの写真は確か(あまり覚えていない)1000枚くらいだった。わたしはここ2年程カメラロールは3万枚くらいを行ったり来たりしている。きいてみると「友達との写真をLINEのアルバムに入れたらカメラロールから消す」と言っていて、この人と関わってる時間って無駄なんだなと思った。

え、これだけで?となるかもしれないが、まぁこれまでのその人の価値観についての話を聞いていたわたしの中で合点がいったというか、点と点が結ばれて線になって、そう結論付けたというか…。
その人は、友人や恋人のことを日常生活で思い出すことがないと以前言っていた。それは感覚の違いかなと思っていたので、こういう考えや感覚があるよって話を時に心理学の話や自分の話をしたりしながら、興味を持ったり、違いにおもしろがってくれていた。然し今回のことで、薄情というか他人に愛着が湧かない人なんだと解り、伝える気持ちさえも冷めてしまった瞬間だったように思う。

わたしは自分が写っていなくても、友達のプリクラや写真が送られてきたら保存してるし、それを見返した時に、あぁこういうことあったな…と思い返す瞬間が好きだ。
その時にした会話や出来事も一緒に蘇ってきて、懐かしい気持ちになったり、また連絡しようかなと思ったりする。写真を消すなんて、余程の仕打ちを受けたり何か嫌なことがないとそこまではしない。
その人曰く、好きな芸能人の写真はカメラロールにあるが、友達の写真はないらしい。友達の写真はLINEのアルバムに入れてるからカメラロールには必要ないそうだ。
わたしは芸能人の写真なんて検索すればいくらでも出てくるし、SNSやテレビやメディアで触れる機会はどこでもあるじゃないかと思う。友達との会話や瞬間を収めたのが自分ならば、その気持ちも写真も大事にしたいと思う。そのことを伝えたが、理解してもらえなかった。

思い出は記憶であって、記録じゃない。最近読んだ文章にあって印象深かった言葉だが、それで言えば写真は記録だ。記録であるからこそ脚色なく安心して見れる。そして、それに付随する記憶を木を揺らした時に揺れる枝葉のように呼び覚まされる感覚が好きだし、だから写真を残したいと思うし自然にそうしていた。今はデータで管理できる時代だが、だからこそ沢山の写真を保存できるようになったし、それを共有する方法だって沢山ある。

きっと、わたしとしたこの会話さえもこの人は一年後には忘れているのだと思う。

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