見出し画像

やさしいラップのすすめ

 どうやら私はラップというものが好きらしい。

 三兄弟の末っ子である私は、兄の好みに多分に影響を受けて、小学生のころには山田マンとかキングギドラなんかになじみがあって、中学生時代にはエミネムの8Mileが上陸、地元の唯一のデートスポットみたいなシネコンにみんなでチャリ漕いで行って、あの当時感じたカッコ良さ&エロさみたいなものをなんと表現したら良いのか、甘い匂いとか香ばしい匂い以外にもずっと嗅いでいたい匂いってあるんだなってそんな感じだったように思う。

 とはいえ自作のラップをつくるだとか、のめりこむうちにラップの変遷を体系的に会得するなんてほどのものでもなくて、ラップが好きだなんていう自覚もなかったわけだけれど、大人になっても自然とPUNPEEとかカニエ・ウエストばっかり聞いてることがあるもんで、そうか、好きなのかと。

 こんな駄文をしたためながら、物を書く事について語るのはおこがましいけれど、文章は空間とリズムが大事で、どうかすると意味と同等か、それ以上に大事なんじゃないかと思う。ラップはことばでリズムを刻むものですが、ラップはときに文学で、文学はときに音楽といえますか?と積み重ねた教養の数だけ皺を刻んできましたみたいな中世の仙人っぽいおじいさんに問うてみたい。そうじゃよ、と優しく返答されたい。
 近くにそういうじいさんがいないので、googleに「ラップはことばでリズムを刻むものですが、ラップはときに文学で、文学はときに音楽といえますか?」と尋ねたところ、それっぽいのがたくさんヒットした。やさしい!インターネットすごい!

 インターネットはすごいので、Spotifyみたいなすごいアプリが産まれた。私が選んだ曲をもとに、Spotifyが色々とオススメの曲を教えてくれる。そんなサジェスチョンの中に、バトルっ気ゼロの静かなラップが流れてきた。そのラッパーは名前をロイル・カーナーといって、サウス・ロンドン出身の新進気鋭のアーティストとのことだった。もやがかかったような抑制されたトーン。そしてその奥に優しい光がある、ウィリアム・ターナーの絵画みたいな雰囲気を私はいっぺんに好きになった。

 彼のセカンドアルバム、Not Waving, But Drowningは彼から母親に宛てたラップにはじまり、母親から彼への詩によって締めくくられていて、彼にフィアンセとも呼べる恋人ができたのを契機に、母の住む実家を出ることになったエピソードをベースに、互いのことばが交わされている。

 その母親の詩、Dear Benは、簡素でやさしいメロディーを背景に朗読される形式で、最初はただ単に聴き心地のよいブリティッシュアクセントを楽しんでいたのだけど、くりかえし聴くうちに、なんだか詩の内容が美しそうだぞというのでしっかりと読んでみた。
 ADHDを患う彼の少年時代から、実父の失踪、継父の死のこと、その後の彼のラッパーとしての成功から、家を出るまでが詠まれているようだ。
 それがあまりにも素敵なので、てっきり母親は詩人かなにかかと思えば、特別支援学校の先生なのだという。

 思わずそうしたくなって、また一人でも多くの人に触れてもらいたくて、和訳をしてみました。
 技量が足りず韻のほとんどは失われてしまったけれど、やさしい気持ちになってもらえれば嬉しいです。

ベンへ

あなたが大きくなっていくのをこの目で見てきた
はじめてのキックからはじめてのキス
肩ぐるまや、眠れぬ夜のこと
フェルトペンで描いたカラスの絵や、シュートを放って決めたたくさんのゴールのこと、眠るまでのカタミノ

あなたは自分を見失うことなく、少年から青年になった
何ごとにも屈さず、一歩踏み出すことを怖れず、ありのままで勇敢
苦しみは包み隠さず、独創的、挑戦的にして一歩も退かない

羅針盤を失った私たちは、闇がすべてを覆うまで、ながい時間語り合った
燃えるような朝焼けが訪れると、夜明けにことばを奪われたかのように
私たちの目は突き刺され、ことばは振動し、思考となり消えていった

嵐に巻きこまれた船乗りみたいにお互いにしがみついた
私たちの暮らしは、濁流の中、今にもひっくり返りそうで
深い悲しみに息は詰まり

けれどあなたの立ち姿は力強く、重責を一身に担い、舵輪をにぎり締め
平穏へと舵をとった
私たちがふるい落とされることのないように、あなたは生涯の志を放棄し
生活がひっくり返り、生傷の癒えぬまま私たちが呆然としている中、あなたは新たな任務を引き受けた

けれどとうとうあなたは自らの夢で私たちを包み込み
ビジョンを現実のものとし、真珠のごときことばの数々で私たちを満たした
海賊のように七つの海を渡り、驚きに満ちたあなたの世界に酔いしれ、あなたの成功のそのむせ返るような香りにくらくらしながら帰還した

そうしてそのときが来て、それはもう泣くに泣いたけれど、
頬をつたった涙は歓喜のしみとなって

さようならではないから
また会いにくればいいし、私を置いて去るわけでは決してないから
愛は離れて薄れることはないから

とびらや壁に締め出されることはなく、想いとこころで強くなっていくもの
かぎや靴下のように失くしたり、箱の裏からひょっこり出てきたり、
そういうものではなく

あらゆる呼吸の一つ一つに宿り、あらゆる鼓動と行動に深く呼応する
あなたはここにはいないかもしれないけれど、あなたの霊性は宿り
私を取り囲む空気のきらめきのようにいつまでも踊る

私の美しい息子よ
あなたのまぶたの皺をそっとなでるときの喜びのように全くもって明らかなことは
あなたがついに、あなたの人、黄金のスニッチを見つけたこと
私のなすべきことが終わったこと

ねえ、私に娘ができたのよ、息子を失ったんじゃないわ

(Loyle Carner, Jean Coyle-Larner. "Dear Ben". Not Waving, But Drowning. 2019. より、筆者拙訳)



この記事が参加している募集

#私のイチオシ

51,164件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?