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解釈からの戦術


・解釈によって戦術の伝わり方が変わる。
・いろんな解釈で見れるからこそ他の人の分析は面白い。
・指導する時は解釈を揃えたい。
・ゲームモデルを作るなら、戦術を伝えるだけのものではなく、解釈を示すものにする必要がある。

という話。



記事を書きたくなったきっかけはこのツイート。

引用元の映像は、点の動きは一定なんだけど線の付け方によって違う原則で動いているように見える、というもの。



サッカーの試合を見ていて、例えばサイドバックの選手を見る時に、「DFラインの1人」として見るのか「サイドのユニットの1人」として見るのかでサイドバックの狙いも違って見える。
ちょっとマニアックな用語だけど、試合を「3レーン」で見るのか「5レーン」で見るのか、でも狙いは違って見える。
そのサイドバックが同じ動きをしていても、捉え方によって見え方が変わる。

これが解釈の違い。

解釈=「サッカーの試合をどう捉えているか」というフィルターによって見える景色が変わる。

ということは、戦術を伝える際、伝え手と受け手の解釈が揃っていなければ、正しく伝わらないということでもある。

「このタイミングでサイドバックは前に上がる」という戦術が、「DFラインの一部」としてのものなのか「サイドユニットの一部」としてのものなのかで、同じ動きをしていても動きの意味合いが変わる。

「サッカーの試合をどう捉えているか」という解釈を揃えることは、話を伝えるときにはとても大事な前提条件。

かい‐しゃく【解釈】 の解説[名](スル)
1 言葉や文章の意味・内容を解きほぐして明らかにすること。また、その説明。
2 物事や人の言動などについて、自分なりに考え理解すること。
(引用:goo国語辞書)




試合を見る側としては、その「解釈」は人それぞれで良い。
みんな同じ解釈で見ていたら、試合は同じようにしか見えない。
解釈が人それぞれだからこそ、試合を見た後の酒の席が盛り上がる。

試合分析(戦術分析)の記事は、その人だからこその解釈を見られるから面白い。
新しい解釈で見ると、今まで見えなかったものが見えるようになり、同じ試合を違う味で楽しむことができる。
「お?そう見えてるの?それだとこういう意図に感じるのか」を気づかせてもらった時は超快感。
試合分析記事を書いてる人達いつもありがとうございます。
私はその人ならではの解釈が好きです。

監督の解釈を推測して分析してくれている記事もありがたい。
グアルディオラ監督とか林舞輝監督とか自身の解釈をオープンにしている(全部じゃないだろうけど)タイプの監督や、バルセロナとかライプツィヒとかクラブ哲学としてサッカーの解釈を持っているクラブ、の試合はきっと解釈を推測しやすくて戦術分析も捗るはず。
そういう記事では戦術的な動きに納得感のある意図を加味してくれるので、「もうそうにしか見えないよ笑」と試合を楽しませてくれる。
ちなみに、逆にジダン監督のレアルとかは、ジダンの解釈がメディア露出せず情報不足で、且つジダンの解釈が既存のものではどうやら測りづらいために、試合で起こった現象をジダンの解釈で推測することが難しく、場合によっては「わけのわからん力で勝っている」みたいに評されてしまうことがあるのだと思う。
そこで思考停止せずに「ジダンは試合をどう捉えているか」の解釈を解き明かす猛者がいつか出現することを願う。

解釈とは楽しみ方の種類や幅とも言えるので、無理に他者と揃えようとせず、みんながそれぞれの視点で見ていたら面白いな〜と私は思っている。




ゲシュタルト崩壊しそうなぐらい「解釈」という言葉を使ってきたので、一旦それを整理。

本稿の話では「解釈」=「サッカーの試合をどう捉えているか」。
「どう切り取っているか」と言い換えても良いかもしれない。

サイドバックの例で出した、「DFライン」「ユニット」など選手間にどのようなグループがあるのか、はフォーメーションの捉え方も含めて、冒頭のツイートの映像に近い解釈仕方の一つ。
選手間にどんな線を引くか、という切り取り方。

他に。

・5レーン、3ゾーン、などピッチの切り取り方
・4局面(攻撃、守備、攻→守、守→攻撃)という局面の切り取り方
・ボール保持、ボール非保持という表現
・時間とスペースという概念

このあたりは戦術分析でよく見かける、サッカーの切り取り方。
あとは、

・サッカー選手には技術、体力、精神、戦術、の4つの要素がある
・スペインにおいての個人戦術
・セイルーロにとってのスピード

など、選手能力の捉え方にも様々な解釈がある。

近年はみんな同じような物差しで試合を見ているようで、実はちょっぴり違ったりもする。

例えばこの記事のように、よくある4局面で見ずに、違った捉え方をしている人もいる。
この方とか。

他にも「サッカーは1対1が連続しているだけだ」みたいな捉え方をしている人も周りにはいるはず。
その解釈で試合を見れば、だいぶ見え方が変わるはず。

試合がどう見えているか、という解釈の違いは、いろんな見え方ができるサッカーという競技において面白さを提供してくれるものであり、いろんな見え方をさせることが出来るほど影響力が強いものでもある。


その「解釈の違い」は、指導現場での話になると、面白いものではなく、困ったものになる。
「解釈の違い」が指導者と選手の間にあると、戦術が正しく伝わらなくなってしまうから。

例えば局面の件で言えば、指導者が「サッカーには4局面(攻守と各切り替え)ある」と思っていても、選手が「サッカーには2局面(攻守のみ)しか無い」と思っていたら、ボールを奪った後がテーマの練習をしていても、選手は守→攻ではなく攻撃の練習をしていると捉えて、攻撃練習でやったプレーを選択しようとしてしまうかもしれない。

指導者が「サッカーは11対11が同時に相互作用するスポーツ」と思っていて、選手は「サッカーは1対1が連続しているスポーツ」と思っていたら、練習でどんなに全体の動きを練習しても、選手は目の前の1対1にのみ集中してしまうかもしれない。


だから「サッカーの動きやテクニック、戦術を練習しましょう」とか言う前に、指導者と選手の「サッカーはこういうスポーツだよね」を揃える必要があるということになる。

上の方でも書いたとおり

「サッカーの試合をどう捉えているか」という解釈を揃えることは、話を伝えるときにはとても大事な前提条件。

だから。

とはいえもちろん実際の現場で、指導者が長々と解釈を喋って選手に全てを理解させてから練習をする、なんてことは出来ない。

じゃあどうするか。

日頃の練習から「試合でのこういう状況を想定している練習だよ」「奪った直後に狙うべきことある?」などなど、都度サッカーの捉え方を伝えていく(匂わす)ことで、徐々に解釈を揃えていくことが、現実的な方法だと思っている。

というかみんなすでにやっているとは思うし、解釈を揃えた時の選手の理解のスピードの違いも実感していると思う。

逆に個人技系やパターンの動きをやるときにありがちな「これはサッカーのどこをどう捉えた練習なの?」となってしまうような解釈が指導者の中でも不明な練習では、選手の解釈を混乱させることになるかもしれない。

「サッカーとはこういうものだからこの練習をしている」を常に指導者の中に持っておくことが重要だと私は考えている。
(解釈が無いから悪い練習、とは言い切れないけど)




指導者と選手の解釈を揃える方法の一つにゲームモデルがある。

ゲームモデルの特定の部分を選手と共有しておくことで解釈を揃えやすくすることが出来るだろうし、指導者達の中で解釈をブレさせない効果も期待できる。

そんなゲームモデルにするためには「自分たちはサッカーの試合をこう捉えよう」という解釈が入ったものにする必要がある。

「ボールを保持して右サイドに数的優位を作ってポジションチェンジをしながらゴールに迫る」とかそういうプレーを指示するだけのものにするのではなく、「サッカーにはこういう局面が有り、その局面にはこういう状況状態が含まれていて、こういう行動が起こるもの」のような解釈を含めていく。

その行動に対してどんなスキルやテクニックが必要になるか、が具体的な戦術やプレーの指示に繋がっていくのが理想。

「戦術があると選手の創造性が無くなる」という人でも、具体的な戦術ではなく解釈だけが示されたゲームモデルなら、きっと納得のできるものになるのではないだろうか。

ゲームモデルがあろうがなかろうが、どうしても指導者の解釈を押し付けることになってしまうのはサッカーを指導する上でどうしようもないところだが、せめて仲間と同じ解釈の中で選手自身が答えを見つけ出せる環境を整えられたら良いな〜と思う。

戦術は選手によって変わるが、解釈はどんな選手がいても揃えることは出来るから。

ちなみにこのゲームモデルについての考えは @AriharaMasaaki この方の影響をとても強く受けている。というかパクリだらけ。


こう考えていると、ゲームモデルにおいての解釈とは戦略に近いものなのかもしれないと思えてくる。
この辺はおいおい考えていこう。

試合というものをどう捉えているか、今一度整理することがサッカーへの理解を深めることにもなりそうだ。




以上

・解釈によって戦術の伝わり方が変わる。
・いろんな解釈で見れるからこそ他の人の分析は面白い。
・指導する時は解釈を揃えたい。
・ゲームモデルを作るなら、戦術を伝えるだけのものではなく、解釈を示すものにする必要がある。

という話でした。


最後に最近読んだ漫画で響いた言葉を。

「私が理解だと思っていたこと。理解ではなく解釈だった。理解への壁は限りなく高い。今後はその自覚を持って臨む。」
(引用:ヘテロゲニア リンギスティコ)

理解というのは難しく、自分なりの解釈で物事を見て理解した気になっているだけ、ということ。

解釈というフィルターは大事だね。




終わり

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