こども心は思ったより早く消える?

4年生になってから俳句を作ってみんなで感想言いあう講義をとっているんだけど、
その中で自分はもう子供の純粋さはないことを目の当たりにしたんだよね。

それは小学生、中学生それぞれの俳句をよむ回のこと。

最初は申し訳ないけど舐めていた。けど読んでいたらいいものが多すぎた。

詳しくは「きごさい」って調べてみてほしいんだけど。

厳選するとこんな感じ。

①こおろぎは風に♪をつけている   中1
②あせいっぱいぼくのからだであそんでいる  小5
③弟に光を分けた花火かな  小5
④せんぷうきあああああああおおおおお 小4
⑤ひまわりはせんせいよりも大きいぞ  小3

きごさい全国小中学生俳句大会(第9回~13回)

それぞれ簡単に感想を。

①はまさか俳句に♪なんて記号入れるのありか!って驚いたし、音色を奏でるとかじゃなくて、風につけている、なんて表現が詩的でかわいらしいと思った。
②はたくさん遊んで汗をかいた様子を汗に焦点を当てて汗も自分と同じように遊んでいる、そのくらい自分も動いたという子供の元気さを感じた。

③小5と幼いからこそ兄弟と喧嘩しがちだろうに手持ち花火の火を互いの花火の火でつけあっていてほほえましく思った。

④これが一番衝撃的だった。
誰しも扇風機の前で宇宙人のマネをしたことがあると思う。
それをあああああああおおおおお、で的確に表し俳句に対する僕の固定観念をぶっ壊された。絶対自分じゃ思いつかない。

⑤ひまわりは身近な花の中でもかなり高くまで成長する。
それを子供にとって大きな存在(物理的にも精神的にも)と比較することでひまわりが大きいことに驚きつつ自慢?に思っているように感じた。

それぞれの句の感想を述べたけど、いちいち
「ここにこういう背景があって、これが子供の心象を表しているんだろう。」
なんて頭で論理的に考えている時点でこども心がないのかなって感じた。

自分が俳句を作るときに感じたまんまでつくらず、ここで音を合わせたらうまくないか?
この表現はあまり思いつかないだろう、なんていかにいいと思ってもらえるかを考えてしまう。

別にそれも悪くないんだろうけど、正直子供たちが(たぶん)何も考えずに感じたままを言葉にしたものの方が温かいというか、気持ちがいいと感じる。

論理的に頭で考えるのは生きていくには必須だから大事なんだけど固定観念に縛られず、正直な気持ちを堂々とあらわにすることがいつの間にか難しくなったな、と少し残念に思った。

22歳なんてまだ子供に近いんだからとか思っていたけどちょっと危機感。

何かを考えるとき直観に従ったり、常識を破る方法をとったりしていきたいなというお話でした。


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