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「足りない」が足りない

長い休みになると、必ず旅に出る。

まだ学生だからお金はないけど、無駄遣いできる体力と度胸だけはあるので、大抵は何日もかけて国から国をまたぐ過酷な旅になる。この前の学部最後の冬は、50日かけてフィンランドからトルコまで南下した。

そうやってひたすら先へ進もうとしているとき、私の内側にふつふつと言いようのない高揚感がわく。生きているという実感。私の生死は確かに私の手の中にあり、絶対に生きて日本へ帰らねばならない。そこに自分の存在価値とか生きる意味を疑っている余裕など全くない。その純粋な確信が、高揚感を生むのだ。

50日の旅を終えて日本に帰り、院進とともに一人暮らしを始めた。今までも同じ場所へ実家から通っていたのだから必要はないのだが、お金をかけてでも家を出て一人で生活してみたかった。なぜなら、あの旅の高揚感を味わいたかったから。旅という非日常だけではなくて、日常の中でも生きているという実感は得られるのだと確かめたかったから。

一人暮らしを始めて半年がたった今。私は確かに、日々生きているという実感を得ている。毎朝トーストを焼いてバターを塗り、黄身とろとろの目玉焼きをフライパンからすべらせる。ヨーグルトには、はちみつをたっぷり。最後にコーヒーを淹れたら、ベランダに面したテーブルでラジオを聴きながらトーストをほおばる。たったそれだけ。それだけなのに、それは私の今という瞬間のすべて。

そうやってこの半年の間、自分だけの完璧な空間と時間を楽しんできた。私の部屋は秘密基地。本も映画も音楽もアートも好きなもの全部集めたから、この基地の中だけで存分に楽しむことができる。部屋は常に清潔で、私はどこに何があるかすべて把握している。

でも。最近のある出会いが、完璧に作り上げたはずの秘密基地にひそむ空虚を私に気づかせた。その人は私の部屋を最初に訪れた時に、この部屋には何かが足りないと言った。私は内心すこしムッとしたが実際その通りで、私は今までそんなはずはないと目を背け続けていたのだった。

何が足りないのか。

それはたぶん、「足りない」ことだ。「足りない」が足りない。そもそも完璧なものなどこの世にはほとんどなくて、それを補うために人は誰かに助けを求めたり協力するのだけど、私の部屋は完璧だから自分だけで何もかも完結してしまう。私にとってはそれが心地よいのだが、やがて孤独が忍び寄ってくる。

それは自分の性格や今までの人生でも言えることだ。すべて自分で完結してしまうから、人には「何を考えているのかわからない」とよく言われる。まだ若くてとがりたい気持ちもあるからそう言われることに悪い気はしないが、理解をしてもらえないのは孤独だ。

でも時々、私のことを理解したいと歩み寄ってくれる物好きな人がいる。それは広い意味での愛なのかもしれない。運よくそんな出会いがあったなら拒みたくないし、私もそうやって周りの人を愛せる人になりたい。少なくとも今、私は図々しくも何かが足りないと言った人のためにこれを書いている。

普段見過ごしてしまう「足りない」ことを理解してもらえるように言葉にするということ。もともと話すより書くほうが好きなので、きっと私に合っているんじゃないかと思う。

最後に。ちかごろお気に入りの根津のパン屋さん、ボンジュールモジョモジョのカニクリームパン!動物パン!

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