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令和に掲げる忍耐と努力のスローガン
こんにちは。しおPです。チベット仏教をNYと日本の先生から学びつつ、主にマインドフルネス瞑想の指導をしたり、マッサージの仕事をしたりしています。
今日は瞑想を始めると通過していくことについてのところ
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瞑想であよくある誤解について。
安らぎとか、落ち着きとか、一時のヒーリングや現実逃避を求めるものとは少し異なると言うこと。それはそれとして良しとして。
チベット仏教をはじめ、原始仏教で意味する瞑想、メディテーションは人によっては少し今までお持ちのイメージと違うかもしれない。
なぜなら普段感じているイライラや焦燥感や怒りもとても役に立つものだからだ。
要は迷いや混乱に巻き込まれずに、それを利用していくということ。
そこに向き合うことができるようになることが重要だ。
ブッダ先生のアプローチは実によくできている。
痛み止めを処方するよりは、原因をよく調べて外科手術をする作業に近いかもしれない。
頭の中の忙しさ
実際に坐る練習を初めてみると、自分の頭の中がとても忙しいことに気がつく。
仕事のこと、家族のこと、晩ご飯のこと、昔行った旅行の景色、いろんなものが頭の中にある。
なかなか呼吸に意識を置いておくことは簡単ではない。
だんだんイライラしてくることもある。
これは私は何をやっているのだろう?思考の中にいた方が仕事や家族のこと生産的に考えられるし、実行する時間だってできる。これは無駄な時間じゃないのか?1秒でも長く家族や仕事や、社会のために動ける時間をとった方が、実際に行動に移した方がよくないか?せめてジムに行ってトレーニングやストレッチをしたほうが明らかに健康的だろう?
始めたばかりの頃は考えをぐるぐる回したり、いつものサイクルをやめてしまうことに抵抗を感じる方も多いだろう。
退屈だし、足は痺れるわ、イライラするわ。。。
ただ、ひとつ言えることはこの始まり方はすごく良いスタートだということだ。
まずは、リラックスして坐ってくださいということをお伝えすることがある。必死になって苦しくなるよりは、楽しみながらねって。
まずは自宅でリゾート地に行くようなものだ。お茶する時間をとったり、温泉に入ってひと息つくようなものだ。そうでもする時間を取らないと、頭も体も走り回って1日を終えることも少なくない。それほどに私たちの毎日は忙しい。
しばらく坐っていれば、次第に落ち着いてくる感覚を思い出してくるだろう。
だから仏教瞑想の練習はリラクゼーションの方法だと思われたり、一種の現実逃避やヒーリングのようなものだと思われがちかもしれない。
ただし、ヒーリングやリラクゼーションで体の調子を整えるのは重要なことだということは前提の上で。否定しているわけではない。私自身もマッサージをするのでこれでどんなに救われたか、重要性は身をもって理解している。
ここで言いたいのは私たちの意味する仏教瞑想が浮世離れしているものとか、単純にリラックスするためのもの、平和とか喜びとかを感じて〜というものとは少し違うということ。
もしかしたらと言うか、いやかなり現実的なアプローチだと言える。
リラックスして1歩外に出たら戦場が待っているという現実
リラクゼーションやヒーリングで体の調子を整えることができたとしよう。うん、とても大事だ。
どちらかというと仏教瞑想でアプローチするのは、もともと調子が悪くなってしまった原因の方へ働きかけていく。
例えば、マッサージに行くことで体の痛みや血流が改善したとしよう。
そのあと、先生に普段の生活で気をつけることなどを指導されたことはないだろうか。こういう運動をしてくださいね、こういったストレッチがおすすめですよ、など。
骨や筋肉やリンパの流れを調整して、痛みや不快感が取れたとしても、同じ生活をしたり、同じ歩き方をすれば、また同じような不調が現れるのは当然だ。そしてまたマッサージに行く。
仏教瞑想の練習はどちらかというと、この普段の生活の方にアプローチしたり、影響する方に近い。
まさに私たちの不安とか、混乱とか、迷いとか。そういうものがどういう風に発生しているのかをみていくアプローチだ。
「日常や仕事でこういう筋肉の使い方をしているから、骨もこっちに引っ張られてますね、なのでここの筋肉はこういう使い方をすることに慣れているので、こういうストレッチが効果的ですよ。」
普段の痛みの原因を無視せずにそこと向き合っていくことが解決には非常に重要だ。
痛み止めの薬も重要だが、根本の解決方法も同時に探れば痛み止め自体を飲まなくて済む。その方がいいよねっていう話。
期待値が変化する
だから、最初はリラックスして、気楽に、長く続けてね。ということが重要なこともある。なにせ辛いことは続かない上に即効性のあるものではないから、最初はこの落ち着いた感覚が少しでもあれば続ける助けにはなると思う。
退屈だし、イライラするし、体は痛いわ、怒りも出てくるわ、洗濯機の中で回ってるような思考と感情でぐるぐるぐるぐる、、、
でもたまに、落ち着いた感じ、優しい感覚、喜びも同じように訪れることもある。
要は瞑想の練習中はどちらも全部含んでいる。
継続して練習すれば、最初は見たくない心の動きも、心地よい感覚も同じように扱えるようになってくる。
私たちの心がどのように動くか、そして六道のどの領域で閉じ込められやすいか、洞察力を開発できるようになる。
少しづつだけど。
忍耐と努力。
昭和感漂う言葉だけど。
時には期待とか野心とかゴールとか目標よりも価値のあるスローガンになるかもしれない。
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