見出し画像

夜次元クジラは金魚鉢を飲む #15

クジラリンク(ターコイズブルー)


15. 隣の庭


 学校帰りのシンがCONAコナに顔を出すと、店の二階にあるカフェのカウンターに海斗の後ろ姿があった。窓向きに五つ並んだ左から二番目の席で、斜めに立てたタブレットを前にキーボードで何か打っている。肩を叩くと彼は左耳のイヤホンを外し、「おつかれ」と隣の椅子を引いた。シンはそこに腰を下ろし、タブレット画面をのぞきこむ。『レベル4をクリアしました!』という文字の後ろで紙吹雪が舞っていた。

「宿題?」

「復習。親父が俺の学習スコア見てキレた」

 面倒くせえ、と海斗はぼやく。『スタプロ!高校一年現代社会』というタブの隣に別のタブがあることに気づいてシンがタップすると、『SURFmagazine』のページが表示され、波に乗る女性の動画が再生された。

「海斗、まじめに勉強しないとゴールデンウィーク本当にサーフィン禁止にするからな」

 気配もなく背後に立っていたのは、海斗の父親でCONAのオーナーでもある砂見勇気。海斗は慌ててタブを切り替える。

「俺じゃないよ。シンが勝手に触ったんだって。見てただろ」

 勇気は平手でパシンと海斗の頭を叩き、シンの前にアイスコーヒーを置いた。

「シン、あとでちょっと手伝ってくれたらコーヒーはおごりにしてやるぞ」

「ありがと、勇さん。飲み終わったらキッチン行く」

「よろしく」

 勇気が姿を消すと、海斗は不服そうにシンを睨んだ。

「余計なことするなよ、シン。ゴールデンウィーク海入れなかったらマジ死ぬ」

「禁止されてもどうせ勇さんの目を盗んで入るくせに」

「まあ、大会近いし。親父も本気で言ってるわけじゃないと思うけど」

 海斗はチラと後ろの階段をうかがうと、『スタプロ!高校一年現代社会』から『SURFmagazine』に戻した。画面をスクロールして、「こいつ」と少年の写真をシンの方に向ける。

「中三。シンと同い年なんだよな」

 浅黒い肌の少年が、ショートボードを手にはにかんだ笑顔を浮かべていた。何枚も貼られたステッカーの中には有名スポーツブランドのものもあり、海斗が画面の少年のおでこを指で弾いた。

「俺にもスポンサーつかねえかなあ」

「ついてんじゃん。CONAが」

 そういうんじゃねえ、と海斗はキーボードの上に突っ伏したが、シンが「アッ」とつぶやいて後ろを振り向くと、サッと背筋をのばして画面を切り替える。しばらく勉強するふりをしていたけれど、シンがニヤニヤしながら見ているのに気づいて「お前なあ」と呆れ顔で少年の記事に戻した。

 同い年の誰かがいくら活躍していようと、シンは海斗のように悔しいとは思わない。以前、大会に誘われたことがあったけれど、お金や移動その他諸々のことを考えると家族に相談するのが面倒で断った。波に乗れるだけでいい。誰かと勝負して勝ちたいわけではない。

「海斗はプロ目指してるんだよね」

「まあな」

「CONAはどうすんの」

「CONA? CONAは親父の店だし、俺はショップ経営したいとは思ってないし、もしそんな気になったとしても、やるなら自分でイチからやりたい。あ、波留ちゃんだ」

「えっ?」

 二階にあるカフェの窓からはちょうど隣の家の庭が見え、そこには波留を含めて七、八人の姿があった。彼女以外はみんな大人だ。

 波留は学校で見るようなラフな格好と違って、体にぴったりフィットしたスポーツウェアを着ていた。芝生に広げたヨガマットの上に素足で立ち、中年の男性と何か話している。二人のまわりには撮影用機材を手にした人たちと、波留と同じようなウェアを着た痩身の中年女性が立っていた。

 白いライトに照らされた波留が、マットの上でヨガのポーズをとる。右膝を立て、左足を後ろに引き、腰を沈めた状態で両手を上にあげて胸をそらすと、上半身の曲線が協調されてシンは思わず目をそらした。海斗は恥ずかしがることも悪びれることもなくまじまじと彼女を見ている。

「あのカメラ構えてるオッサン、誰なんだろ」海斗が言った。

「誰って、どっかの業者じゃないの? 母親がヨガスクール開くって言ってたから、その撮影だろ」

「でもさ、あのオッサンここ何日か隣に泊ってるみたいなんだ。ほら、波留ちゃんの母親となんかいい雰囲気だろ」

 海斗の指さす方を見ると、仕事関係とは言い難い距離で笑いあっている男女の姿があった。どうやらスポーツウェアを着た女性が波留の母親らしいが、波留は二人とは離れ、ヨガマットの上でひと仕事終わったような顔をしてあぐらをかいている。

「あ、ほら」と、海斗が勝ち誇った声を出した。男女二人が波留に声をかけ、三人揃って家の中に入っていく。庭に残った人たちは道路脇のワンボックスカーに機材を積み込んでいた。

「母親の昔からの友達とか、そういうんじゃないの?  波留のとこ、シングルマザーって聞いたけど」

 シンが言うと、海斗はニヤけた顔をした。

「波留ちゃんのこと呼び捨てなんだ。やるじゃん、シン」

「そういうんじゃないよ。こっちは真面目に話してるのに」

 シンが口元をひきつらせると、海斗は激励のつもりなのか背中をバシバシと叩く。

「シンは波留ちゃんから何か聞いてねえ? 仲良いんだろ」

 海斗の嫌らしい笑みは消えそうにない。視界の隅で機材を積み終えたスタッフがぞろぞろと家の中に吸い込まれていった。

「海斗こそ、家が隣だからって図々しく色々聞いたりしてないよね。森谷先生が心配してた」

「森谷先生が? なんで」

「海斗はそうやって思ったことはっきり口にするだろ。波留はそういうの苦手そうだし、逆に閉じこもっちゃうんじゃないかって」

 そうかなあ、と海斗は納得していない様子で、もぬけの殻になった波留の家の庭に目をやる。

「何にせよ、あの男は波留ちゃんの母親狙いと俺は踏んだ。賭けてもいいぞ」

「賭けてどうすんだよ」

 もし海斗の言う通りだとして、波留の家にあの男が住んでいるのなら彼女が遅くまで学校で過ごしているのはそれが原因かもしれない。波留が教室を居心地悪く感じていて、家でも居場所を奪われているのなら、落ち着ける場所は金魚部屋だけということになる。

「シン、そろそろいいか?」

 後ろを振り返ると、階段から首を伸ばした勇気がチョイチョイと手招きしていた。海斗のタブレットはすでに『スタプロ!』の画面に戻っている。

「しっかり働けよ、槇村シェフ」

「うるせ。海斗こそしっかり勉強しろよ」

 アイスコーヒーを飲み干し、シンはグラスを持って階段を降りた。


次回/16.CONAの人たち

#小説 #長編小説 #ファンタジー #夜次元クジラ #創作大賞2022

よろしければサポートお願いいたします。書き続ける力になります!🐧