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掌編/ホットドッグを食べに

掌編ファンタジー/境界の向こうは魔法のない「人間」の国。ミズムは境界に捨てられた子だった。


 僕は『魔法薬大全』という教科書を机に立て、居眠りを決め込んだ。

 月桂樹の葉を0.5mgとか、雀の糞を0.02mgとか、細かい作業は頭がゾワゾワする。

 何度も薬の調合に失敗し、挙げ句の果てに有毒ガスを発生させてしまった僕は、先生にも匙を投げられた。

「ジラはこれだけ覚えろ」

 魔法薬入門と表紙に書かれた薄っぺらい冊子を寄越し、先生は僕の居眠りを黙認する。

 ということで、僕は午後からの飛行訓練に備えて夢の中だ。箒にまたがり、現実では時速60キロ制限のところ、夢だから時速250キロで海の上を駆けた。

 ――”マスター”が持つような高級箒ならもっとスピードを出せるのに。

 そう思ったとき目の前をカモメが過った。

「やばっ!」

 箒の柄を握る両手を引き上げ、箒は上昇、空へ――。

 とはならず、自分の声で目が覚めた。

「ジラ。寝言は授業妨害だぞ」

 先生の言葉で教室が笑いに包まれる。

 もうひと眠りしようとしたとき教科書の影に紙片を見つけた。カモメの形に折られた紙は微かな光を放ち、僕が触れると魔法が解けた。誰かからメッセージだ。

『午後1時に中央公園。雪降ってるからきっと飛行訓練はないよ。ざんねーん。ミズム様より』

 最前列のミズムに目をやると、気配を察知したのかヤツは背中にピースサインを作った。童顔でふわふわした印象のあるミズムは、学内では異色の存在だ。

 この国の人は生まれながらに「魔法の種」を心臓に宿す。それはミズムも同じだ。が、ミズムは他のやつと事情が違った。

 つまり、国外で生まれたらしい。

『ミズムって生まれたばかりの頃に境界あたりで保護されたんだって』

 そんな噂が学内を駆け巡ったのは、中等部入学式の直後だった。

『あの子、人間?』

『魔法使えるのか?』

 「人間」とは境界の向こう――この国の外に住んでいる人たちのことだ。

 直接見たことはないが、外見は僕らと変わりないらしい。だが、空を飛ぶこともできないし、呪文を使うこともできない。

 蔑むようなヒソヒソ話は最初の実習でピタリとおさまった。クラスで、いや上級生も含め、ミズムの飛行技術を上回るやつはいなかった。飛行技術だけでなく他教科においても。

 学年が上がるにつれミズムに並ぶ者も出てきたが、大体そいつらの能力にはムラがあった。圧倒的不得意科目が存在する。僕もその一人だ。魔法薬学はからっきしだが、飛行技術はミズムと渡り合える。

 僕は魔法薬マニアのラーニャを見た。熱心に講義を聞いている彼女は、魔法薬の調合ではミズムといい勝負だ。ミズムが僕以外にも誰か呼び出したのではないかと思い、何人か心当たりのヤツをうかがったが、よく分からなかった。


☆★☆★☆


「おい、ミズム。給食完食したくせに、まだ食うのかよ」

「だって食べ盛りだもーん」

 中央公園にいたのはミズムだけだった。雪のちらつく公園の脇には看板が立っている。

『人間たちの定番食! ホットドッグ販売中』

 この国では素材の形をとどめたまま調理するのが基本だが、人間たちはこねくりまわすのが好きらしい。

 僕が来たとき、ミズムはホットドッグにかぶりついていた。

「今度、人間が作ったのと食べ比べてみる」

 ミズムの言葉に「は?」と間抜けな声が出た。

「境界越えていいのはマスター以上だろ。うちの学校でも校長と教頭だけだ」

 ミズムの口元には血のようなソースがついていた。「トマトケチャップ」というらしい。指先で拭ったケチャップをぺろりと舐め、ミズムは「おいし」と呟く。

「そんなのより生のトマトの方がうまいだろ」

「私はケチャップも好きだけど」

 そう言ったあとミズムは首元に手をやり、ペンダントを取り出した。チャリと鎖の音がする。

「マスターの証、もらっちゃった」

 ミズムが掲げるその透明な石が、本当にマスターの証なのか僕には分からない。

「私がケチャップ好きなのは、たぶん人間の血が入ってるから。だから、向こうに行ってくる」

「親に、会いに行くのか?」

「ううん、ホットドッグ食べに」

 ミズムは食べかけのホットドッグを「あげる」と僕に押し付け、渋々食べてみたが、やはり好きな味ではなかった。

 翌週からミズムは公欠扱いとなり、僕が高等部に入り、教職免許をとり、マスターの証を手にしてもヤツが戻ってくることはなかった。

 僕が誰からも毛嫌いされる境界警備の仕事に就いたのは最近のことだ。

 森と草原と「境界の塔」と呼ばれる建物が見える。人など滅多に来ない。この場所で、僕はずっと考えている。

 ミズムはなぜ僕を公園に呼び出したのか。確かなのは、待っていてもその答えは得られないということだ。

 塔から風が吹いた。ケチャップの匂いがした気がした。それは、あのホットドッグの匂いとはわずかに違い、それほど嫌な感じがしなかった。

 ホットドッグにかぶりつくミズムの顔を思い出した。たぶん、向こうのホットドッグがうますぎて戻れなくなったのだ。

「行くか。ホットドッグ食べに」

 それは、僕の口に合うだろうか。


――end
 
    
    

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