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夜次元クジラは金魚鉢を飲む #33

)クジラリンク(マリンスノー


33. 繰り返す時間


「…る。……波留。お風呂入っちゃいなさい。あと波留だけだから」

 肩を揺すられて瞼を持ちあげると、目の前に那波の顔があった。

「もう一時半になるよ」

「一時、半……?」

「そうよ。うたた寝しないで早く行きなさい」

 呆れ顔で波留の足をポンと叩くと、那波は部屋を出て行った。四次元散歩の疲れのせいか頭はぼんやりしていたけれど、波留はどことなく違和感をおぼえる。

「もしかして、全部夢なのかな。僕の人生が夢オチだったらウケる」

 ひとり苦笑して目を閉じると、違和感の正体にすぐ思い当たった。今あったことはすでに経験している。那波が波留を起こすために部屋に来たのは二度目だ。

「そんなはずない」

 ベッドから立ち上がると、WIZMEEウィズミ―がゴトンと音をたてて床に落ちた。やはり一度見た光景が繰り返されている。波留がWIZMEEの電源を切って部屋を出ると、一度目の時と同じように階下から話し声が聞こえてきた。四次元散歩で過去の自分の体に入るのとは違い、ちゃんと意志をもって行動しているにも関わらず、結局は今度も足音を忍ばせて階段を下り、リビングのドアに近づく。それ以外やりようもない。

「学校もちゃんと行ってるし友達とも仲良くやってるみたい」と、中の声が聞こえてきた。

「そうは言っても男の子二人いる部屋に女の子一人は心配だよ。田辺さんもそう思いませんか?」

 叔父の声だ。このあとの田辺の言葉を波留は何となく覚えている。意外に・・・立場をわきまえているというか、わきまえている態度を叔父に見せたかったのか。

「心配は心配ですけど、波留ちゃんを縛るようなことはあまりしたくないんです。そもそも私は今のところ波留ちゃんにとって赤の他人ですし、何を言える立場にもないんですが」

「赤の他人だなんて」

 留里との電話で感じた絶望が波留の胸に残っていて、そこに自分勝手な大人たちへの苛立ちが加わり、さらに得体の知れない状況への困惑と恐怖が合わさる。波留はめまいを覚え壁際に体を寄せた。

 こうしている間にもリビングでは現実がリピートされ、那波も田辺も克樹もまったく同じことを言い、波留はこのあと立ち聞きが見つかって逃げるように風呂場に駆け込むのだ。そして、シャワーを浴びて夜次元クジラに飲まれる。

 もしかして、自分はまだ三次元に戻れていないのだろうか。

 この体が三次元のものだと確かめずにはいられなくなって、波留は背後の壁をそうっと肘で突いてみた。すると、思いのほか大きな音が廊下に響いた。

「波留?」

 克樹の声がして、波留は慌ててお風呂に駆け込んだ。シャワーはもう浴びたはずなのに服からは飲食店帰りの食べ物の匂いがし、引き返して大人たちと鉢合わせるのも嫌で、うなだれてお湯に打たれながら胸元で揺れるペンダントを握りしめた。こうしてペンダントを握るのも同じだと思いながら、波留は自分の体がここにあることを確認するように強くチャームを握りしめた。丸く尖ったクジラの尾ビレが手のひらに食い込み、目からは涙が流れ、すべてがどうでもよくなって世界を拒絶するように耳を塞ぐ。

「これは、僕の体?」

 波留のつぶやきに夜次元クジラが答えることはなかった。このところ波留が呼びかけなくても姿を見せていたのに、いつまで経っても現れる気配はない。

「夜次元クジラ。ここはどこ?」

 浴室を見回してもやはり波留しかいなかった。

 過去と同じ体験をしたのだから、この体は自分ではなく過去の波留のものであるはずだ。けれど、あのときシャワーに濡れた波留を飲み込んだ夜次元クジラは、一向に現れる気配がない。

 もしかして、夜次元クジラが見えなくなったのだろうか。

 もしそうなら、過去の体に入ったままの自分はどうなるのだろう。四次元散歩のときのように、どこかの時点で意識だけが置いてきぼりになるのだろうか。そうなったら、自分はどこに戻るのだろう。行き場を失って意識だけさまよう?

 ぐるぐる考え込んでいると、背後でガタと音がした。脱衣所の人影が浴室のドアに映っている。

「波留、大丈夫?」

 那波だった。会話を聞かれたことを気にしているのか、田辺との結婚の話を切り出した時と同じように妙におどおどした声をしている。

「何が?」

「何がって、ママたちの話聞こえてたよね。波留が嫌だったら、嫌って言っていいのよ。ママと田辺さんとの結婚のこと」

「僕が嫌って言ったらやめるの?」

「それは、……うん。やめると思う」

 気遣うように見せて責任転嫁しているだけのように感じ、波留は衝動的な怒りにまかせて勢いよくドアを開けた。

「じゃあ、やめれば」

 浴室からあふれ出た湯気の中で、那波は顔を強ばらせ立ち尽くしていた。波留は籠の中のバスタオルをひったくって体に巻き付けると、パジャマを鷲づかみにして脱衣所から走り出る。滴り落ちた雫が点々と廊下を濡らした。

 物音を聞きつけたのか、こっそり様子をうかがっていたのか、リビングからは克樹と田辺が並んで顔を出していたが、バスタオル一枚で階段を駆け上がる波留に二人が言葉をかけることはなかった。

 

次回/34.夏祭りの答え合わせ

#小説 #長編小説 #ファンタジー #夜次元クジラ #創作大賞2022

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