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大丈夫、きみはとっても強くなれるよ。

私の働く学童にいる、3年生の男の子。

最近、おやつ後の自由遊びの時間、運動場で遊んでいると突然癇癪を起して「あ~あ~!つまんねぇ!もうやめる~!」と叫んで遊びから抜けてしまう。

初めは、遊びの中で嫌なことでもされたのかな?とか、負けて悔しかったのかな?ぐらいにしか思わなかったが、日を追うごとに、癇癪を起こす時間も早くなるし、拗ねている姿を見る機会が増えていった。

職員間でも、あの子最近どうしたんだろうね、と話題に上がることが多い子だった。

真相を確かめるべく、私は彼が自由遊びで運動場にいる時を狙っては子どもの遊びの中に混ざって、彼の動向に目を凝らした。(カッコよく言っているが、実際は全力でドッヂボールやキックベースをしていた)

遊びと遊びの間のインターバルで、次に何のゲームを行うかを子どもたち同士で決めるのだが、3年生の彼は毎回先陣を切って、下級生の意見を吸い上げながら話し合いをまとめてくれている。

だけど自分のやりたい遊びが少数意見に回ってしまうと、「じゃあもういいよ!はいはい、鬼ごっこでいいですよ。後は勝手にきめてください」とへそを曲げる。やるなら最後までまとめてくれよ。
そんな時は、大概その場にいる同級生や上級生が話し合いを引き継いで丸く収めてくれる。
そしていざ遊びが始まると、自分がやりたかった遊びではないのに、誰よりも本気で遊ぶ。全力でリアクションをし、全力で楽しんでいる。

それでも、鬼ごっこをして捕まると拗ねる。バトミントンで強い相手に負かされると拗ねる。ドッヂボールで自分のチームが負けると拗ねる。

拗ねる度、彼の隣に行き「何が嫌だったんだい?」と声をかけるも「いい!俺の問題だからほっといてくれ!」と涙声で学童教室に戻っていくその子。

何度やってもその調子で、彼の癇癪の種を見つけることが出来ないでいた。

そんな中、3年生同士でバトミントンをしていた時のこと。クラスで一番運動神経のいい子とバトミントンをして、コテンパンにやられた彼。

例によって「もういい。俺やらない。見てる」とラケットを片付けて体育館の隅に座ってしまった。
今日こそは!と思い、彼の隣に座って、拗ねてしまった理由を聞こうと声をかけた。

「ねぇ、何が嫌だったか教えてよ」
「いいよ。俺に構わないでよ。弱い俺がいけないんだから」

その言葉を聞いて、私は思わず声を荒げてしまった。

「弱くて何がいけないの?弱い自分に怒れるんだから、きみはそれだけで強いんだよ!」

私もなんでそんな言葉が自分の口から出たのかよく分からないが、彼は真っ赤になった目で私の顔を見た。

「もしかしてさ、今まで遊びの途中で怒ったのって、全部自分が弱くて嫌になっちゃってたの?」
「そう。強くないからすぐ負けるし、負けて怒ってる自分もムカつく」
「じゃあさ、強くなるためにいっぱい練習しようよ。負けて悔しいって思いがあるなら、もっともっといっぱい遊んで、上手になって自分にムカつかなくなるぐらい、強くなろうよ」
「そんなんで強くなれんのかな」
「なれるよ。だってできない自分を許せなくって泣くんだもん。強くなれる証拠だよ」
「うん」

それから、ゆっくり深呼吸をして落ち着いた彼は、鬼ごっこの鬼決めに注力し、その勢いのまま鬼ごっこに混ざった。私も混ざって秒でその子に捕まった。この時の鬼決めは、やっぱり彼が中心になって話し合いをしたが、特にへそを曲げることもなく、楽しそうに話し合いを進めていた。

出来ない自分に悔しくて涙を流す。20代の頃の私はいつもそんな感じだった。

上司や周りの期待に応えられない自分が悔しくて、全てが完璧にできない自分が悔しくて、全然成長できない自分が悔しくて。毎日毎日泣いていた。

20代で私が経験したその苦しみを、まだ生まれて10年も経っていない少年が経験しているのだ。きっと強くなれるよ。

負けず嫌いで不器用で、だけど誰よりも遊ぶことに情熱を注いでいる彼を見て、自分ももっと生きることに全力にならねば、と考えさせられた。

ただ、自分のやりたい遊びが出来ないからって拗ねるのだけは、下の子たちが困るから程々にしてくれ。

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