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吾輩は繁殖犬である。名前はまだない。

まえがき

昨年うちの家族の一員となった愛犬チワワは「えみこ」という名前です。「なんでそんな昭和な名前なの?」とよく言われます。確かにモモとか、マロンとか、ラテとか…他にも可愛い名前はいっぱいあります。

なんなら「えみこ」という名前の由来は“上沼恵美子さん“からきています。そう言うと「なんでまた…?」と皆いぶかしげな目をします。

そこで、今回はえみこがうちの家族になるまでの物語を、少しの事実と多分な想像を織りまぜて、えみこに語ってもらうことにしました。

半分エッセイ、半分フィクション、のお話をお読みください。

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一:吾輩は繁殖犬である

吾輩は繁殖犬である。名前はまだない。
雌だから「吾輩」と名乗るのはおかしいと言われるかも知れないが…まあ気にすることはない。多様性の時代、「僕」と話す女性タレントだっているではないか。

いつ生まれたか頓と見当がつかぬ。
おそらく3〜4歳くらいだろうと、見知らぬ女性たちが話している。吾輩はどうやら保護犬団体の手によって繁殖場から救い出されたようだ。

ピンクのクレートに入れられて、車で運ばれる。クレートの中はシートがひかれていて、いい匂いがする。サラサラとしていて、気持ちがいい。あの錆びたゲージの金網は、立っているだけで足の裏が痛かったから。

明るくてカラフルな景色が車窓を流れていく。
どこに連れて行かれるのだろう。繁殖場の外はキラキラと眩しく、目がしばしばする。

しばらくすると3階建ての大きな家に着く。
また違う女性が扉から出てきて、吾輩に話しかける。

「良く来たねぇ。もう大丈夫だからね」
うっとりするような優しい声だ。

クレートから出されてふんわり柔らかい腕の中で抱っこされる。
「大人しい、いい子だねえ。」
彼女はそのまましばらく吾輩を抱きしめてくれる。

これは何の時間なのだろう?初めての体験にとまどい、じいっとしていると
「よしよし、いい子だねぇ」と優しく首元を撫でられる。こんな風に話しかけられるのも、撫でられるのも、生まれて初めてのことだ。

前の飼い主は野太い声の男性だったし、いつもなにかブツブツと言っていたが、吾輩に向かって何かを話しかけるということはなかった。餌はいつも山程食べさせてくれたが、こんな風に撫でてくれることもなかった。

黒い数珠がまきつけられた大きな手。
思い出したくもない。あの手に抱き上げられた時は、むしろろくなことはなかった。

「かわいそうに。ちゃんとキレイにしてあげるからね」
と彼女は少し涙ぐんでいる。吾輩にはなぜか分からない。ただ、柔らかい白い指でおでこを優しく撫でられると、おしりの方からムズムズと嬉しさがこみあげる。

なんだろう、この感覚。思わずブンブンと尻尾をふると、彼女がクスッと笑う。ああ、笑ってくれた!

ずっと彼女に触れていてほしいのに、繁殖場から保護された仲間たちが次々と運ばれてくるものだから、彼女も吾輩ばかり構ってはいられない。

それでも彼女は柔らかいブランケットを吾輩に与えてくれる。な、なんだ、この気持ちが良いフワフワした物体は!

以前はガサガサの新聞紙だった。しかもすぐに破れるわ、湿っぽくなるわ、噛みちぎると怒られるわ、で散々だった。

いい匂いのするブランケットに鼻を突っ込んで思いっきりクンクンしてしまう。

ああ夢みたいだ。

二:吾輩は上沼恵美子である

「この子はそうね・・・上沼恵美子!」
と一人の女性が吾輩を指さしてそう言うと、周りでどっと笑い声が上がる。

ここのハウスの女性たちはみんなよく笑う。
今日は繁殖場から何十匹とレスキューされた吾輩の仲間たちに「名前」というものをつけてくれるらしい。

一匹一匹「名前」を考えるのは大変なのでテーマを決めよう、ということで、今回我輩たちは「女性芸人シリーズ」となった。さすが関西の保護犬団体…っていくらなんでも「えみこ」って昭和すぎるだろう!

「うん、えみこね。ぴったり!」と保護犬団体代表の女性がうなずく。

いやいや絶対違うだろー!吾輩はチワワで、そもそもメキシコはチワワ州の出身であるぞ!
それがなんで関西の大物女性芸人なのだ。どうせならメキシコ系美人女優のセレーナ・ゴメスとかジェシカ・アルバとか!いや、せめて横文字にしてくれぇ!

「えみこ!えみこ!」
と女性たちがニコニコ笑って吾輩の名前を呼ぶ。なんだか嬉しくなってつい尻尾をブンブン振ってしまう。

「えみこも気に入ってる!」
いや、違う!断じて気に入っているわけではない。吾輩は毒舌でもないし、回しもツッコミもできないぞ!

「えみこ、かわいいー!」
「えみこ、喜んでるー!」
違う、違うのだー!ブンブン。ブンブン。

その日から吾輩は「えみこ」と呼ばれるようになった。最初は昭和な名前に抵抗があったが、皆があまりにも優しく吾輩の名前を呼ぶので、今では割と気に入っている。

吾輩はえみこである。

三:吾輩は躾をされている

「えみこは笑顔のえみこやねえ。みんなを笑顔にしてくれるから」
と預かりボランティアの女性が吾輩を抱きしめてくれる。繁殖場からレスキューされた時、初めて吾輩を優しく抱きしめてくれたあの女性だ。

吾輩は彼女の家に引き取られ、今は彼女の家の数匹の犬たちと暮らしている。

こんな幸せがあっていいのだろうか。彼女は毎日我輩を優しく抱きしめ、全身を撫でてくれる。うっとりするほど気持ちいい。彼女はなにしろドッグマッサージのプロなのだ。

彼女が与えてくれるドッグフードはイギリス製の「世界最高のウルトラプレミアムドッグフード」である。以前の餌とは比べ物にならない美味しさだ。だからもっと食べたいのに、彼女はそれを計量して決まった時間しか与えてくれない。そのかわり「ちゃんと栄養を摂って、ダイエットしなきゃね」と吾輩といっぱい遊んでくれる。

どうやら吾輩は「しつけ」されているようである。最近はサラサラのシートの上でおしっこをすることも覚えた。

「ずっとのおうちで可愛がってもらえるようにね」と彼女は言う。

吾輩はここでずっと暮らしていたいのだが、どうやらそうはいかないらしい。何しろ彼女はもう何匹も犬を飼っているのだ。だから吾輩のために「ずっとのおうち」を探してくれている。

「えみこには、本物の家族と出会って幸せになって欲しいから」

そう言う彼女は、吾輩をたいそう可愛がってくれるが、吾輩と一緒に寝ることはない。彼女と一緒のベッドで寝るのは彼女の「本物の家族」の犬たちだけなのだ。それは彼女なりのルールであり、けじめのようなものなのだろう。

最近どうやら、吾輩を引き取りたいという人が現れたらしい。
こないだ譲渡会に来てくれた背の高い男の人みたいだ。半年ほど前に、愛犬のチワワを亡くし、同じ犬種を家族にしたいと言っているそうだ。

優しそうな人だったけど、奥さんがどんな人なのか会ってみないことには、ということだ。譲渡するためには、保護犬を引き取る家庭の全員に会う、というのが保護犬団体のルールらしい。それくらい、みんなが吾輩の「ずっとのおうち」を真剣に探してくれているのだ。吾輩は幸せ者である。

四:吾輩の「ずっとのおうち」見つかる 


2回目の譲渡会は、1月の晴れた日曜日だった。我輩を家族にしたいと言っている男の人が、今度は奥さんと一緒にやってくるらしい。どんな人なのだろう。
ゲージの中で仲間の犬とソワソワしていると、その夫婦がやってきた。奥さんは髪の長い女の人だ。

吾輩はブンブン尻尾を振ってみる。ボランティアさん達が「えみこちゃんは本当に人懐こっくて、無駄吠えもしないし」と吾輩のことを話してくれている。そうなのだ、吾輩はもうおむつも取れて、ほぼ100%シートでおしっこができるのだ。ブンブン。

奥さんという人が、吾輩を抱っこしてくれる。やわらかく我輩を抱きしめる腕。この人が吾輩の本物の家族になる人なんだ。

「チワワにしては大きいですね」とその人が笑う。
「これでもだいぶダイエットしたんですよ!」
そうだそうだ!吾輩は食事管理をしてもらって随分痩せたのだ!
「すごくかわいい」と奥さんが撫で撫でしてくれる。
どうやら吾輩のことを気に入ってくれたようだ。

「えみこ、幸せになれる?大丈夫?」
と預かりボランティアの彼女が吾輩に話しかける。
少し心配そうに、少し寂しそうに、思いっきり優しそうに。
吾輩は彼女の目をじっと見つめる。
彼女と目があう。

大丈夫。吾輩は幸せになれる。ありがとう。
今まで本当にありがとう。

吾輩はそっと目を閉じる。
ずっとのおうち、本物の家族、吾輩はとうとう出会ったのだ。
じわじわと心が満ちていく。
ずっとここにいていいんだ。ずっと一緒にいられるんだ。

彼女はそんな吾輩の姿を見て「この子をよろしくお願いします」って、泣きながらその夫婦に挨拶をしている。もう花嫁の父親みたいだ。

後の話だが、実は保護犬団体の代表さんは、共働きの夫婦は自宅に誰もいない時間があるので「ちょっと難しいかもしれません」と言っていたそうだ。だがボランティアの彼女が「こちらの夫婦がいい」と言ってくれた。吾輩もあの夫婦が良かったので、心底ホッとした。

大丈夫、吾輩はめちゃくちゃ可愛がってもらって幸せになるのだ。
ボランティアのみなさん、本当にありがとう!

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あとがき


えみこの独白は完全にフィクションでしたが・・・いかがだったでしょうか。

(譲渡会でえみこと預かりボランティアさんが目を合わせたときのやりとりは、後日ボランティアさんがSNSに書かれていた言葉を一部引用しました。)

保護犬譲渡会でえみこを引き取ると決まった時、ボランティアさんは「里親さんが新しい名前をつけていいんですよ」と言ってくださいました。

実際、私も譲渡会に行くまでに、新しく迎えるワンコの名前を色々考えていったのですが…

夫は「えみこのままでいい」と言いました。
私も反論しませんでした。

なぜなら、ボランティアの方々が「えみこちゃん」とそれはもう口々に声をかけ、とてもとても可愛がっておられたから。
きっとこれまで何千回、何万回とえみこの名前を読んで、えみこに愛情を注いでくださったのでしょう。

だからえみこは、初めて会った時から、私の中で繁殖犬のイメージが変わるほど、人懐っこく愛情表現が豊かでした。

えみこの名前をそのまま引き継ぐとお伝えした時、ボランティアさんはうるっと涙ぐまれました。そして泣きながら笑顔で送り出してくださいました。

そんなこんなで、うちのえみこはとっても昭和な名前なのです。
今は標準体重となり、毎日ぬくぬくと夫に抱っこされまくっています。
夫は寝る直前までえみこと過ごし、朝起きたら出勤直前まで必ずえみことソファで過ごします。

繁殖犬を家族に♡
えみこに惜しみない愛情を与え育ててくださったボランティアの方々、本当にありがとうございました。
愛と感謝と敬意を込めて、この文章を贈ります。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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