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文学の散歩道 (BU1D) 「野菊の墓」(伊藤左千夫)

目次(表紙)

■「野菊の墓」(伊藤左千夫)。「古い因習」や「女性差別」

「野菊の墓(伊藤左千夫)」は、「村社会」の「古い因習」や、「女性差別」があります。

「政夫」と「民子」は、「いとこ」同士ですが、「政夫」の母が寝込みがちのため、「看病」やら「家事手伝い」のため、「政夫」の家に来ています。

「政夫」と「民子」は、次第に「心ひかれる」仲になっていきます。
しかし、本人たちとは別に、「周囲」の人間や、村人たちという「世間」は、「卑猥(ひわいな)目」で見るのです。 特に、「民子」は「政夫」より、「2つ年上」です。

これをいわば、「嫉妬心」のためであるにも関わらず、「女が年上」の恋は「恥」のような「言いがかり」「口実」として、「二人の仲」を引き裂こう・・・と、周りがするのです。

「民子」も悩みます。 「政夫」といっしょになりたいけれど、周囲の「言いがかり」同然の誹謗中傷に、責められます。

とうとう、「民子」は、半強制的に、また、断れない状況に追い込まれて、「別の家に嫁がされます」。
「民子」は、ついに、精神的に参ってしまい「寝込んでしまいます」。

その原因は、「政夫」と結ばれなかった「民子・自身」の「悲しさ」ということだけでなく、むしろ「政夫」に対し、「別の夫」の「妻」になってしまったことへの、「申し訳なさ」からです。

「民子」は、ついに死んでしまいます。
しかし、その後、「民子」の手に握られていた「布切れ」を開いてみると、「政夫の写真」と「政夫」がいつか民子に思いを綴り渡した「手紙」でした。
(ちなみに、映画では、政夫に例えられる「竜胆(りんどう)の花」を手にしていたかもしれません・・・?)

そこが、「クライマックス」です。
周囲の人間たちは、死ぬほど「後悔」します。 そして、「政夫」は許します。

もちろん、「政夫」も気が違ってしまいそうな心境です。 「恨み辛み」は、爆発寸前でしょう。
しかし、「政夫」は、これ以上の「死人」を出したくなかったのです。
(政夫の母が、後悔。 自責の念に、自殺しかねない状況だったため)

最後に、「民子」の墓に皆で、懺悔同然の状況で、墓前にたどり着きます。
「政夫」も、その墓前に崩れるように、涙します。

「民子」を「死」においやった、周囲の人達への押さえきれないほどの「恨みと憎しみ」。 しかし、これ以上の「死人(母の自殺)」を出しかねなく、また、周囲の人達の「後悔」する状況から、「死の連鎖」を引き起こしかねない状況の中で、「許さざるを得ない」ジレンマに苦悩しやりきれない思いに涙する「政夫」。

しかし、ふと、我に返り、墓前の周りを見渡せば、そこには、あの「二人の楽しい日々の思い出」の一コマであり、道端で摘んで、「二人が愛をささやき合った」ときに咲いていた、
「民子のような可憐な野菊の花」が咲いていたのでした。。。完


・何度、読み返しても、「涙が抑えきれない」ほど悲しすぎる「純愛小説」です。