【短編・完結】羊が復讐のログアウト
エピソード1:龍の左手をキミに
オープンタイプのアクションRPGはもうどれも似たり寄ったりだったが、意外とこのゲームはやり込み要素が多い。高校二年生は冬から受験本番、それまでは楽しまなきゃ損だ、僕は通学に一時間電車で高校まで通う。朝七時半に家を出ないと、学校に間に合わない。遅刻三回で、一週間校門前で朝の挨拶係をしなくちゃならない。生活指導の吉岡と一緒になんて、ホント勘弁して欲しい。
遅刻二回でリーチ、昨日の夜塾をサボって、スマホゲームに夢中になっていた。
『ストレイト・スキル・スレイヤーズ』、仲間内じゃぁ、頭文字を取って、S3なんて呼んでる。
通学電車は丁度通勤時間にもぶつかる。地元の富野荘駅から北大路駅まで、サラリーマンとOLと中高生と、少しの小学生で電車はカオスだ。
葉山ユウは幼馴染だ。マンションのお隣さん。ユウがS3を始めたのは僕がきっかけだ。制服のリボンをアレンジしすぎて、高校初日から生活指導の吉岡にこっぴどく指導されていた。幼馴染ながら、相変わらず攻める。僕よりも少し背が高くてだいたい百七十五センチ、男が女より背が低い高いを言う時代でもないが、すらっとスタイルのいいユウと並んで歩くのは勘弁願いたい、僕の想いとは裏腹に、ユウはやたらと馴れ馴れしい。僕には一つ疑問が、ユウはいつから隣に住んでいた?思い出そうにもピンとこない。小学生の頃に引っ越してきたのか?
母ちゃんから「付き合ってるの?」なんてデリカシーなく聞かれるけど、「なわけないだろ」と即答している。いつか「そうだよ」と言って欲しいんだろう、母ちゃんはユウを気に入っている。
高校二年生、夏休み前の考査。推薦枠で大学を狙っているから、3Sを一週間断つことにした。スマホにはユウが3Sにログインしたとゲームアプリから通知が来た。ちょっとだけなら、意思の弱さでこれまでどれだけ泣いたことだろう。志望校の高校に落ちたのも、ちょっとだけならとゲームをしてしまったことが原因だとわかっている。ほかにも、ちょっとだけ仮眠、ちょっとだけテレビ、ちょっとだけネット、なんでもこの「ちょっとだけ」の言い訳で僕はできている。
十七年間ブレずにというと大げさだけど、意思の弱さは誰にも負けない。そんな僕に、ユウからログイン情報が届く、これは試されている。机の前に座り、数学の教科書を出し、問題集を解き始める。試験まで一週間、理系に進むけど、地理は必須科目。地理は得意だ、ゲームのマップなんかも一瞬で覚えられる。これは特技とでも言えようか。
この特技のおかげで、3Sではトッププレイヤーの称号を得た。レベルのカンストはないものの、今はレベル二千八百六十二。ちなみにユウはレベル七十八、一般的なプレイヤーは百程度だ。レベルを上げるにはコツと忍耐力が必要だ。同じところで、手際よく経験値を獲得できる「狩場」を見つけることがポイントだ。オンラインゲームだけあって、誰かに狩られると、そのルームから出ないともうお目当ての高経験値モンスターに遭遇できない。もしくは、三十分待ってモンスターが再生成されるのを待つかだ。この狩場はユウにも教えていない。
地図上の盲点、切り立った崖、わざと崖下に落下する。落下で大抵プレイヤーは死亡するが、僕のキャラクターはとにかくライフゲージはパンパン。レベルアップのステータス割り振りは体力に全振りしてきた。だから、落下後のライフがギリギリ十程度残る。レベル百時代に見つけたこの狩場、当時は偶然落下してギリギリ生きていたことで発見できた。まさに経験値の黄金郷。
ここはドラゴンのすみかだった。僕はこのドラゴンのすみかに毎日潜入し、ドラゴンたちを狩っていった。最初は小さなドラゴン、トカゲと言った方が早いかもしれない。龍族の最下層を倒しまくった。レベルが二百を越えるまでは、ステータスを体力から筋力に全振りした。体力と筋力が異常に突出したいわゆる「脳筋」といわれるステータス振り分けだった。そうなってくると、龍族のなかでも最初はアンデッド・ドラゴンに目を付けた。
聖属性をまとえば、ダメージも軽減され攻撃力は倍以上が保証される。とにかく狩ると決めたら同じドラゴンばかりを狙った。ノーマルのドラゴン、アイスドラゴン、フェアリードラゴン、東洋龍、リヴァイアサン、ワイバーン、赤・青・黄・緑に、白と黒龍も。ヒュドラやヤマタノオロチも徹底的に倒した。
ゲーム内では王よりではドラゴンキラーの称号を授かった。龍討伐の称号から、他のプレイヤーたちは、僕のあとをつけ、ドラゴンとのエンカウント場、狩場を盗もうとしてきた。だが、そもそも低レベル層にとっては、ドラゴンのすみかへの移動が困難。切り立った崖を落下して、ライフゲージを残しておくこと自体が困難なのだ。
僕はその後ドラゴンスレイヤー(龍殺し)との忌み名も授かった。ゲーム内には質量保存の法則がある。無限にモンスターを提供しつづけると、ゲーム内バランスが悪化する、その最たるものがドラゴン討伐。
ゲーム運営会社は、一時ドラゴンの供給をストップし、ドラゴンのすみか自体を閉鎖した。実質ゲーム内にはドラゴンの集落が壊滅したことになる。ゲーマたちから反感を買うと思われたが、伝説のドラゴンスレイヤ―として神格化された。
「ねぇハヤト、遊ぼうよ」ユウからの誘いのLIMEがしつこい。僕と一緒に居れば、レベルアップも楽だから、とユウに言ったことがある。「そうじゃないよ、ハヤトと息抜きしたいだけだもん」と甘えてくるユウにどうも胸がザワザワする。ベッドに寝っ転がり、開きっぱなしの教科書と問題集は一ページもめくれていない。僕は3Sを起動し、ゲームにログインした。だが、ゲーム画面は起動しない。ブラックアウトしたままだ。脱いだままの学生服が床に、脱皮したセミの抜け殻のように僕の姿そのままのように転がっている。
小うるさい母ちゃんにガミガミ言われる前にハンガーにかけようと、ゲームが起動するまでにやって置こうとした瞬間、スマホ画面が光った。見たことのない光量、スマホ画面からレーザービームが放たれているかのような。部屋の壁や焼け落ちるのではと、思えるほどだった。ハヤトは慌てて、スマホを確認した。激しい光がハヤトの顔を直撃した。スリープにならない、電源も落ちない。ハヤトは慌てふためき、スマホを裏返そうとした。
スマホが異常な重さになり、ひっくり返すことすらできない。僕はが目覚めたのは、母からの「ばんごはんよ」の大声だった。勉強を始めたのが、六時頃。目が覚めたの七時半。一時間半近く眠っていたのか?と起き上がり、スマホを確認したがもう光ってないどいなかった。「夢でもみてたのかな?」だが、スマホにはユウから何通もLIMEが届いていた。どこまでが夢だったのか、わからなかった。
母ちゃんからのメシの合図を無視すると、飯抜きになりかねない、ここはとりあえず、メシくつてから考査の勉強再開だ、今日はゲームナシ!と呟いて、自分の部屋のドアを開けようとした。違和感を感じた。左手がおかしい。鱗でびっしりと覆われている。左手の先の方は…ドラゴン?ドラゴンの顔が左手から生えている。正確には左手の肘から先がドラゴンになっていた。階段を転げるように落ち、母ちゃんに左手を見せた。
「母ちゃん、見て!いや診て!医者だろ?ほら、これ。この手!」
僕はドラゴンの顔に変わり果てた自分の左手を母の弓子に見せた。
「なに?早くご飯食べなよ、母ちゃんこれから緊急で病院行かなくちゃなのよ」
弓子はメイクをしながら、用意した夕食を指さした。トンカツだ!テンションが上がる!とラップがかけられたトンカツを見て、左手のことを忘れそうになった。
「いやいや、ほら、これ。ドラゴンになってんだよ!手が。ねぇ、母ちゃん」
「なによ、私、眼科医よ。って、ん?別に何ともないじゃん」
母ちゃんは僕の手をポンポンと優しく撫でて、落ち着かせようとした。小さなころからこれをすると、泣き止む。
「ねぇ、これ見えない?」
「見えないっていうか、左手が見えてる。ゴツゴツしてるね。日焼けしすぎかもよ」
母ちゃんとの噛み合わない会話をじれったい。
「ならさぁ、写真、そうスマホで写真撮って。左手の」
「ハイハイ、これでいい?」
カシャ、母ちゃんのスマホからシャッター音がする。僕は画面をのぞき込んだ。ほら、なんともないじゃん。いつものゴツゴツとした自分の左手を確認した。だが肉眼では、今にも炎をふき出しそうな緑色の鱗をまとい、長いヒゲを生やし、眼光鋭いドラゴンがくねくねと顔を動かしていた。
大きな口から覗く牙が弓子に噛みつきそうに見えた。左手を払った、テーブルに左手が当たる。木製の五人用のダイニングテーブルの角、ちょうどドラゴンの歯形に欠けた。
「もぉ、壊さないでよぉ。ハヤト、お小遣い減らすよ!先月はテレビも壊したんだし」
「それは、家の鍵がたまたまテレビ画面に当たって、液晶が…」
「母ちゃん、もう病院行くから。ハイハイ、わかりました。行きますよ」
母ちゃんは病院からの出勤要請に、何度もうなずく。サラリーマンが電話越しの相手にペコペコお辞儀しているかのようだ。慌ただしく弓子が家を出て行った。
「窓ちゃんと閉めて、お風呂も入って、ガス消して、勉強して寝なさいよ!」
言い捨てて出かけるには、指示がやたらと多い。
「はぁい」
左手をまじまじと見つめながら返事をした。どう見てもドラゴンに見える左手。カチカチと奥歯を鳴らす音がする。タンギングだ。ブレスを吐く!このままじゃぁ家が燃えちまう。マンションだからお隣さんもヤバい。ユウんちまで全焼させたら、もう母ちゃんから怒られるどころじゃない。死人だって出かねない。
僕は咄嗟に筋トレ用のチューブを左手、いやドラゴンの口に巻き付けた。なんとか口を開かせないように、世界なんたら動画みたいなテレビ番組でワニハンターがワニを押さえつける映像を思い出していた。
「それ、ドラゴンじゃん」
「うぁああ!」
ユウがリビングに入り込んで、僕の左手に向かって言った。
エピソード2:ユウとつなぐ右手
幼馴染は神出鬼没だ。ちょっとエッチな動画を観ようとしたら、必ずユウが部屋のドア前にいる。もしくは部屋の中にいる。母ちゃんがいないことをいいことに、鍵をかけていてもスラスラ入ってくる。
万一のときのために、お隣の葉山さんにスペアキーを母ちゃんが預けているからだ。そのスペアキーのスペアを作ったのがユウだ。これはもうストーカーだ。実はスペアのスペアを作ったのは母ちゃんも葉山さんちでも知られている。地獄の合い鍵だ。
「ねぇ、その手、ドラゴンだよね」
「勝手に入ってくるなよ」
「おじゃましまーすって、いったもん」
「いったもん、じゃなくて」
「そこいうなら、おじゃましまーす、じゃなくてじゃない?」
ユウは無邪気に僕のベッドにダイブした。もうお風呂にはいったのか、葉山家は食事の前にお風呂の家庭らしい。
いい香り、いやいや、ヤバいヤバい。幼馴染にオンナを感じちゃぁいかん。
「でさぁ、その手、ドラゴンでしょ」
ユウは僕の左手を撫でてきた。ドラゴンもまんざらではなさそうだ。口に巻き付けられたチューブをユウが外した。
「ちょ、ちょっと。何してんの?」
「え、可哀そうじゃん。ねぇ、ドラッチ」
ドラゴンが口を開いた。そのままめくれ返りそうなくらい大きな口。牙の数が人間の歯の数とは違う。一瞬のことだった、ユウが口の中に飲み込まれていく。止めようがない。自分の左手なのに、何もできない。どういう原理で入っていくのか?丸飲みだった。
「ユ、ユウ!!」
僕は叫んだ。
「オイ、貴様、お前だ。マヌケ面。どうだ大切な人を殺される気分は?」
「な、なんだお前は」
「俺か?俺はドラッチ、じゃぁなくて、お前が殺しに殺しまくったドラゴンたちの呪いだ。だから名前はない。まぁ、いいぜ、ドラッチって呼べよ。アノ女が名付け親だ。喰っちまったが」
血が一滴もでていない、ただユウがいなくなっただけだ。ユウのお風呂上がりの甘い香りが部屋に漂っていた。
「ユウをかえせ!」
「ほぉ、それは命令か?」
「お願いだ。ユウをかえしてくれるなら、なんだってする。お願いだ。頼む」
左手のドラゴンがゆっくりとタンギングをする。
「安心しな、炎を吐くわけじゃぁねぇ。これは取引だ。お前が応じるなら、あの女はかえしてやる」
カチカチとドラッチは歯を鳴らす。
「なんだ?その取引って」
「簡単だ。お前がドラゴンたちを殺したせいで、俺たちの子供が下衆野郎の冒険者たちに蹂躙されている。手を貸せ、ドラゴンの里を冒険者たちから守れ」
「ど、どうやって?」
「やるのか?やらないのか?」
ドラッチは短気だ。ユウが戻ってくるなら何だってやるさ。
「やるよ。どうすればいい」
「こうすればいい」
ドラッチは僕の右手から口の中に入れ始めた。身体がめくり変えるようにして、最後はドラゴンの形をした左手そのものを口に入れ、ハヤトは消えた。
清々しい太陽の光、断崖絶壁に挟まれた隠れ家のような土地。両側の壁の上部は数千メートルあるように見える。ゲームの世界で見た。降り注ぐ太陽の光。
「ここは?」
「ここは、『ストレイト・スキル・スレイヤーズ』。お前が大好きなゲームの中だ」
何を言っているのかわからないが、そもそも何が起こっているかもわからない。いや、左手がドラゴンになったことすらよくわかっていない。つまりこれは?
「ハヤト!これって、3Sの世界じゃん。ドリドリもいたよ。あのぷよぷよとした形の」
僕はユウに近づき、力いっぱい抱きしめた。
「な、なによ」
「大丈夫だったんだ!心配したじゃないか」
ユウは僕の頬に頬を重ねてきた。カサカサの僕の頬にやわらかくしっとりした、ユウの頬が心を落ち着かせた。甘い香り、お風呂上りだからじゃない。いつもの、ユウの甘い香りだ。
「お取込み中申し訳ないのだが、約束は守ってもらえるよな?」
地面に近いところから声がする。ドラゴン?小さすぎやしないか?ミニドラゴン?
「俺の名前は」
「あ、ドラッチじゃん」
「だから、俺の名前は」
「ドラッチでしょ」
ユウがドラッチに近づく。
「もう、ドラッチでいいよ」
意外とドラッチは気さくな奴だ。
「ハヤト、お前がゲームの中で殺しまくったドラゴンたちは復活しなくなったんだ。ゲームの世界って言うが、俺たちがこの世界をゲームとは認識しちゃぁいない。紛れもない現実の世界だ。少なくとも俺たちにとって」
言葉を失った。経験値獲得のため、たくさんのドラゴンたちを殺してきたからだ。「でもさぁ、それって、私たちはゲームって言われて遊んでたんだから仕方なくない?」
ユウはユウでいつもの正論をぶちかます。
「なら、俺たちがお前たちの世界で、殺戮をしても、ゲームだと思っていたという認知なら許されるってわけだ」
ドラッチはユウの肩に乗って言った。
「なに、コレかわいいい!」
ユウはドラッチの顎を撫でた。ドラッチは猫みたいにゴロゴロと喉を鳴らす。
「ごめんなさい。こんなことになっているなんて思わなくて。ドラッチの、ドラゴンたちの暮らしを守るために、できることは何でもするよ」
「それなら、冒険者たちを追い払って欲しい」
「どうやって?」
「お前たちがこの世界で獲得したレベルをコピーしてやる」
まるで漫画だ。とにかく、僕は3Sで上げに上げたレベル二千八百六十二を手に入れた。ゲームと同じように、右上に自分の簡易ステータスが表示されるようになった。ユウも同じくだ。レベルは七十八、一般的なプレイヤーレベルだが、早々死ぬなんてこともない。
「ドラッチ、俺たち装備が無いよ。魔法の書物もないから詠唱もできないみたいだ」
ユウが【大火】と何度も繰り返して叫んでいるが、火のかけらも出ない。
「ついて来い、ドラゴンの秘宝をお前たちに譲る。そもそも、ドラゴンにとっては装備も詠唱もできないゴミなんだけどな」
僕とユウはドラッチに言われるがままに、ドラゴンタワーに入っていった。僕がゲーム中にいくら扉を開けようとしても開かなかったあの開かずの間だ。ユウは怖いのか、僕の右手をギュッと握っていた。左手はドラゴンではなかったが、ドラゴンのタトゥーのような紋が浮き上がっていた。
エピソード3:イジメが終わった日
僕たちはドラゴンタワーに入り、ドラゴンに伝わる秘伝装備一式を譲り受けた。年老いた長老のドラゴンは、一族の破滅者であり殺戮者である僕を強く睨みつけた。いまにも襲い掛かってきそうだったが、ゲーム時のレベル二千八百六十二をドラッチに付与してもらったおかげで、装備なしでもドラゴン相手に手間取ることはない。その凄みを感じたのか、長老は素直に秘伝装備を提供したのだ。
僕とユウはちょうど二組あったドラゴンの秘伝装備一式を身に着けた。僕の武器はドラゴンソード、ユウはドラゴンの爪。ベタなネーミングだが、それなりにステータスアップまで期待できる武器だった。
冒険者の大群が谷をロープで降りてくる、先に降りてきた魔術師が転移の術を唱え、他の冒険者たちを呼び寄せる。総勢二千人近くの冒険者たち。コレを相手にするのかとドラッチに訊くと、こくっと頷くだけだった。僕とユウは来る冒険者来る冒険者を蹴散らした。ユウは適正な敵強度でなかったために、レベルの上りが早かった。強敵尽くしの冒険者を一人倒すとレベルが上がるという風に。二千近くの冒険者を倒すのに一時間とかからなかった。満身創痍というわけでもなく、意外と余裕だった。ユウのレベルは千五百二十ほどに上がっていた。ゲームレベルでは上位十人に入るほどだ。
冒険者たちの屍を積み上げ、ユウの【大火】で火葬した。この辺りの処理はゲームとしては珍しい。復活をさせないという、3S独自のルール・死生観とでも言おうか。僕とユウはドラッチに、そろそろ現実世界に戻らせて欲しいと頼んだ。ドラッチは快諾したものの、長老をはじめとする残ドラゴンたちは、この世界で守り神になって欲しいと懇願した。
ドラッチが間に入り、今度はゲームの外側から守ると言う話を長老とつけ、僕たちは帰還することを赦された。
*
「ちょっと、ハヤト!もう起きなさいってば」
母ちゃんが布団をめくった。布団の中には、僕の隣にユウが寝ていた。
「あんたたち、何してんの。まだその関係は早いって!ちょっと、起きて。ユウちゃんも家に帰ってほら、学校の準備をしなさいって」
ユウは勢いよく起き上がり、慌てて隣家へと帰っていった。僕はユウの残り香でどうも目覚めが悪いままだった。
「母ちゃん、おはよ」
母ちゃんは朝食を食べていた。
「ほら、顔洗って早く食べなさい」
顔が疲れていた。左手に触れた。ドラゴンじゃぁない。左手にいたドラッチはもう消えていた。左手の甲についた汚れがいくら洗ってもとれない。
「ハヤト!早くしなさい」
朝食を手早く終えた母ちゃんが急かせる。
僕は左手をじっと見た。ドラゴンのタトゥーの紋だった。
「なんだよ、コレ!」
「それは、俺の紋だ」
左手が話す。
「ちょ、ちょっと、ドラッチなのか?」
「あぁ、お前に礼がしたくてな。長老もお前にドラゴン一族を壊滅させられた過去をな、まぁ根にもっていてな。つまり、お目付けってやつだ」
「お目付け?」
「見張りみたいなもんだ。ハヤトを監視しろって」
「ハヤト!!」
母ちゃんの声が怖い。さっさと朝飯を食って、とりあえず学校だ。玄関のチャイムが鳴る、ユウがもう迎えに来た。
「ねぇ、昨日のこと覚えてる?」
「あぁ、冒険者をバッタバッタ倒したよな」
「そうそう」
「あれは痛快だったな」
僕は学校ではイジメにあっている。ユウが心配して一緒に通ってくれている。学校に到着するまでに、真田たちに会えば必ず持ち物を奪われ、殴られ、小銭を奪われる。そんな状況を見かねて、ユウが一緒に通ってくれることになった。ユウは学校一の秀才で、スポーツも万能で、たまにやっかまれてイジワルされるみたいだけど、いつの間にかそのイジワルもなくなる。自分の優秀さをひけらかさない、敵をうまく丸め込む力に優れていた。
「よぉ、お前らいつも一緒だな。付き合ってんのか?」
真田佑馬だ、取り巻きの比嘉、中西が僕たちの周りを取り囲む。ユウは
「あっち行って、ホラ、しっし」
手をプラプラと振って、真田たちを追い払うユウに体格のいい比嘉が立ちはだかった。
「調子乗んなよ、このクソアマ」
比嘉はユウの頬を平手でたたいた。高校の通学路、皆同じ道を通る。通学中の同級生や後輩たちは、目を合わさないように足早に通り過ぎる。頬を押さえて、しゃがみ込むユウ。
「ほら、彼女さん叩かれても、ダンマリなのか?この弱虫野郎」
真田が今日の段取りを決めていたように、チンピラのセリフのような言葉を吐き出す。
僕は足が震えて、何も言えなかった。ユウがしゃがんで僕を見ている。中西が僕のリュックのチャックを後ろから開けて、教科書や弁当、水筒を田んぼに投げ入れた。真田が満足そうに、僕を見た。ユウは泣いていた。僕はぎゅっとこぶしを握った。あれ?力のバランスがおかしい。左手が熱い。ドラゴンの紋が赤く光る。左手が変形していく、ウロコが現れ、指先がドラゴンの顔に。みるみる姿を変え、左手がドラゴンの頭部になった。昨日の光景と同じだった。一つ違うのは、誰にもドラゴンが見えるってところだ。
「うぁああ、なんだお前その手」
「知らねぇよ」
僕のなかに何か熱いものが駆け巡る。熱い。焼けるように。ユウは左手を見ながら
「ドラッチ!」
と言った。ドラッチは口を大きく開けた。奥歯がカチカチと音を立てる。タンギングだ。
「やっちまおうか、相棒」
ドラッチは僕に言った。
僕のなかで何かが変わった音がした。
「やっちまおうぜ、ドラッチ」
そこからは悲惨な光景だった。真田はドラッチに髪の毛を焼かれた。中西は立ったままドラッチの左手に喰われた。ほぼ丸のみに近かった。飲み込まれたあと、素っ裸でドラッチの口から吐き出された。比嘉は特別にお仕置きが必要だった。ユウを叩いたことをドラッチは許していなかった。
「コイツ、本当に食っていい?」
ドラッチが物騒なことをハヤトに尋ねた。
「いいさ」
僕は即答した。
「だめーーーー」
ユウが僕の前に立ちはだかる。
「ダメよ、そんなことしちゃぁ死んじゃうじゃん。ダメそれはダメ」
「じゃぁ、コイツのカバンに、よいしょっと」
ドラッチは中西のリュックを器用に口先だけで開けた。口先といってもハヤトの左手だが。リュックの中に、比嘉の食い溶かした制服を吐き出した。中西にもドラッチのゲロがかかった。
ユウの手をとった。左手の紋は消えていた。ドラッチの声も聞こえなくなっていた。僕の興奮も冷めて、いつもどおりの落ち着きを取り戻していた。八時半のチャイムが鳴る。僕とユウは走って校門を潜り抜けた。遅刻セーフ!
そのあと、チリチリに髪を焦がした真田と、全裸の比嘉、ゲロまみれの中西が歩いてきた。生活指導部の沢木は三人を校門前に止めた。真田はまだ頭が焦げ臭く、比嘉はドラッチの胃液まみれで、中西はゲロまみれだったため、校門の花壇側にあるホースで放水した。その様子を教室の窓から見ていた生徒たちが
写真を撮り、生徒たちの間で共有された。
次の日から僕へのいじめはピタリと止んだ。
エピソード4:ログアウト
「結局さぁ、ハヤトは仕返ししたいわけじゃないってことか?」
昼休み、僕は体育館裏でのいつものボッチ弁当を食べていた。いつもと違うのはドラッチがいるということだ。ドラッチは卵焼きが好きで、ハヤトは三切れ中二切れはドラッチに食べられていた。
「おいおい、食べ過ぎだってば」
「いいだろ、俺だって腹減ってんだから」
「ドラッチは普段は何喰ってんだよ?」
僕はウィンナーをドラッチの口に放り込んだ。
「ん?そりゃぁ俺たちは肉食だからさ。お前たちの言うところの、肉だよ。あの世界でも、主食はメークインだったな」
ドラッチはもうひとつウィンナーを弁当から取り上げ、むしゃむしゃと食べ始めた。
僕は抱きかかえるようにお弁当箱をドラッチの視界から外れるようにするも、左手がドラッチのせいで、結局ライスまで食べられ始めた。
「メインクインって、あの羊の?」
「そうだ。アレはうまい」
ふわっと体育館裏にビル風のような突風が吹き抜けた。一瞬ドラッチの表情が曇るのを見た。
「ハヤト、お前の願いを叶えてやるよ」
確かにドラッチは、冒険者たちからドラゴンの一族を救ったお礼をしたいと言っていたな、それなら、あのつまらないイジメをどうにかしてもらいたいものだ。毎日これじゃぁ疲れる。
「あのさぁ、ドラッチに頼めるならなんだけど」
「なんでも言ってみろよ」
ドラッチは僕からの何かを促していた。
「あの」
「ほら、アレだろ」
「なに?」
「あいつら、お前の目障りな奴らを何とかして欲しいんだろ」
ドラッチは僕の左手に憑依しているだけあって思考まで読み取れるのか。話す手間は省けていいけど。
「そう、真田たちからのイジメを辞めさせて欲しい」
「そんなことならお安い御用だ」
ドラッチはつまらなさそうに、僕の方を一回見て言った。
「ハヤト、お前が冒険者たちから俺たちを救ってくれたように、俺もお前を救うよ」
「ありがとう」
僕は心からドラッチに礼を言った。その瞬間、僕の左手はどんどん大きくなり、身体はドラッチに支配始められた。
「これは?」
いびつな身体だ。左手の龍化は進行していく。太ももほどの大きさの左手になり、その手先は完全にドラッチの顔となっていた。左手の平の奥からはひゅううと風の音がする。ドラッチの体内へとつながっているのか?
昼食を食べ終わったあと、体育館裏に真田が一人でやってきた。
「探したぞ、ハヤト」
真田は有無を言わさず、ハヤトに殴りかかった。ドラッチは口を大きく開け、真田に向かって「ようこそ」とだけ言った。
そのあとは悲惨だった。真田はドラッチに捕まれた。ドラッチの口のサイズはワニのように開けば五十センチほどとなった。そのまま真田はドラッチに喰われ、さっきみたいに身体は吐き出されなかった。
「ありがとう。でもそろそろ真田を口から吐き出してよ。死んじゃうじゃん」
僕はドラッチにお願いした。というよりも、命令に近かった。
「え?喰っちまったよ。だってさぁ、ハヤトも同じことしただろ。冒険者たちから護ってくれとお願いいしたとき、冒険者殺してあの女が燃やしたじゃねぇか」
ドラッチが思い出しながら話す。口の周りは血だらけだ。口といっても僕の左手だが。
「それは…」
「だから、俺もお前の邪魔な奴らをいまから片っ端から喰い散らす。それでお前への礼はひとまず終わりだ。
ドラッチはそう言うと、半分ほど僕の意識を乗っ取った。僕はぼんやりと、やわらかい布団に包まれているような感覚になった。中一の頃に胃カメラを飲んだ時のあの鎮静剤の感覚に似ていた。半分意識はある。
そこからは地獄絵図だった。歩きながら、僕に攻撃的なことば、態度、イジリ、なんでも振りまいてくるヤツラをドラッチは喰った。制服は血だらけになり、その返り血を見た学校の同級生、先輩、後輩、先生、給食のおばさん、文具を納入する業者さん、片っ端から喰い散らかし始めた。ドラッチが敵と認定したのだ。僕は無意識に、ドラッチは意識的に僕の身体を使う。そして、気が付くと保健室の前にいた。中にはユウがいるはずだ。今日の通学トラブルで気持ち悪くなったようだった。入ってはいけない、ユウが危ない。
「ドラッチ!もうこれ以上はやめてくれ」
僕は懇願したつもりだった。
「やめて?くれ」
命令コトバに不服そうにドラッチは僕を一瞥した。
「やめないぞ、お前たちを全部食い尽くすまではな」
汗が背中から尻に向かって流れていくのを感じた。雨に打たれたようだった。
「さぁ、メインはあの女だ」
ドラッチは油断していた。ユウはゲームの中では魔法使い、だが現実では魔法なんて使えない。ただの僕の幼馴染だ。ん?幼馴染。おさな、なじみ?なんだこの感覚は。隣の家は?思い出せない。血まみれの僕が保健室前の小さな鏡に映る。誰の血かわからない。何もわからずに喰われた給食センターのおばさんか、それとも、生活指導の吉田先生か、いじめられていてもただ傍観していただけのクラスメイトか、とにかく血という血が僕の全身をコーティングしていた。臭い。思った以上に生臭い。
そして、血が口の中に入り込んだとき、僕は思い出した。隣の家は五年前に、一家心中をした。高砂さん一家はおじさんが、おばさんと小学生の智也くんと幼稚園の夏美ちゃんを刺し殺して、自分もマンションから飛び降りて死んだ。そうだ、一家心中の家だ。
ユウなんていない。
ユウなんていない。
ユウって誰だ?
ユウはいつからいた?
ちょっと待て、ユウって誰なんだ!
心の中が聞こえていないのか、ドラッチは興奮していたのか。ユウのニオイを嗅ぎ取り、保健室のドアを喰い破り、ずかずかと歩き進んだ。僕の身体はほとんどドラッチに支配されていた。意思が身体には伝わらない。
保健室の薄グリーン色の仕切りパーテーションは使い古されたガーゼのような安っぽさで、ユウのシルエットが映っていた。後ろの窓の太陽光でシルエットは力強い影絵のように見えた。
ドラッチがタンギングを始めた。ブレスを放つのか、学校内で隠れているヤツラも消炭になってしまう。
カチカチカチ、余裕を持ったタンギングは死のカウントダウンのようでもあった。ドラッチがどうしてここまで残虐なことをするのか?あぁ、僕も殺しまくった。でもゲームの世界だ。経験値を増やすため、レベルを上げるため、何が悪い。生きていない、少なくとも僕の世界では生きていないモノを殺して何が悪い。
カチカチ
タンギングがスローになる。クソ!みんな死んじまう。
薄グリーンのパーテーションカーテンが大き目の川の字を書いたように切り裂かれる。
ドラッチの顔が半分ほどえぐれる。ドラッチの顔と言っても僕の手だ。左手だ。痛い。声が出ない。ドラッチがギリギリ零れ落ちなかった方の目で、自身の前に立ちはだかる誰かを見た。ユウだった。巨大な爪がドラッチの残りの顔をえぐり、えぐれたドラッチの顔は空中で何度も切り刻まれた。
ドラゴンクローだ。
ドラゴンクローを装備したユウが、ドラッチにとどめを刺した。それは僕の左手が千切れることを意味した。
「ユウなのか」
消えそうな意識のなかで、訊ねた。
「やっと、殺した。クソドラゴン!」
ユウに右手を差しだした。残った方の手だ。
ユウはベッドの上から僕を睨みつけるような表情で言った。
「ありがとね、ハヤトくん」
「キミは…ユウじゃないのか?」
「私はアナタが助けてくれたメインクイン」
「僕が?」
「そう、経験値欲しさにドラゴンを殺戮してくれていたあなたのおかげで、私たちメインクインはアイツらドラゴンに喰われずに生き延びた」
「幼馴染ではないってことか」
僕はわかっているはずの質問をあえてユウに投げかけた。
「そうね、高砂家には無念の霊体がいたの。それをハヤトくんのスマホから一体化して私が疑似的な身体をつくり上げた」
「それはつまり」
「実在しないのかもね、あなたたちが私たちの世界にやってくる姿と同じ。概念的な意識のようなもの。それをゲームキャラと呼んだり、アバターと呼んだり。私たちからあなたたちの世界へログインするときも、実体がなくてもできるのよ。原理原則は同じよ」
ユウはそう言い放つと、僕の吹き飛んだ手を治療し始めた。ドラゴンクローを外してくれればいいのに、装備したままだから、腕にチクチクと突き刺さって痛い。
「ねぇ、これ、みんな生き返らせたり、学校を元通りにしたりはできないの?」
僕は懇願するようなまなざしで、ユウから見れば卑屈にみえるようなまなざしで請った。
カチカチとドラゴンクローを外しながら、ユウは言った。
「無理よ、死んだ人を生き返らせたり、壊れたものをもとに戻したりなんて。ゲームの世界じゃあるまいし。死んだら終わりよ。腕もなくなったら、生えては来ないし」
僕の左手を修復してくれているんじゃないのか?おそるおそる左肘から先に視線を送った。丁寧に止血がされていただけだった。
「じゃぁ、私はこれで」
ユウはそう言い残すと、跡形もなく消えた。
ユウが消えたあと、床には「LOGOUT」と表示されていた。
【おわり】