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【連載小説】蜘蛛の手を掴む<第九話>

立木陵介の予約 

窓の外からまっすぐに淀みなく、一直線に傘が飛ぶ。傘は的確に獲物を捕らえていた。三角ラトイと泉岳イミズが潜伏しているはず。呪現言語師同士、強い力はあふれ出る。それゆえに、音丸は菜緒のナビに連れてこられたのだ。三角ラトイの居場所をつきとめるために。このエリアでこれほどの力の反応がある人物、武威裁定Q課で把握している限りでは、三角ラトイしかいない。

「ビンゴ!」
 踏み込んだ菜緒が浴びせられた言葉だった。中から聞きなれた男の声がする。
「菜緒さん、いきなり踏み込まないでくださいよ」

 泣き出しそうな声で、音丸は菜緒の背後をサポートした。

 合図もなしに、踏み込んだのには理由があったがほとんど本能、直感に近いモノだった。傘を投げ込んだ手前、相手が素人なら怯んでいるだろうし、対象なら先手を打ってくるはずだからだ。案の定、部屋の主は菜緒の踏み込みを予想していたのか、ビンゴと一声をあげたのだ。

 そのビンゴの声に反応するかのように、テーブルにキレイに並べられたダーツが立ち上がる。そうだ、ビンゴは「大当たり」の意味だ。曖昧な呪現言語なら、むしろ的確に現実化することだってある。
 菜緒の背後は音丸が守っている。前だけ気にしていれば、やられるなんてことはない。むしろこちらの方が有利だ。

 その瞬間、ダーツが菜緒に向かって飛んできた。かわすと、音丸の背中に刺さると判断した菜緒は、手刀でダーツを払い、そのまま入口に立てかけてあった朽ちたベニヤ板で防ぐ。同時に、音丸の膝裏を踵で蹴った。音丸は体制を崩す。前のめりに倒れ込んだ。
「流石、菜緒ちゃん」

 声の主が見えなくても、この聞きなれた男の声はアイツだと菜緒は確信している。立木陵介、敢えてここで私たちを迎え撃つつもりなのか。
 陵介が何らかの理由で「解除のトリガー」を手に入れたのか、菜緒はそれを判断する材料を見つけられなかった。脇腹に刺さったダーツが二本。意外と痛いと菜緒は感じていた。

 前のめりになった音丸は、床に転がるふたつの手を見つけた。どちらも左手。蜘蛛の巣のタトゥーが入っていた。ひとつは華奢な指先。美しかった。もうひとつはゴツゴツとした手で、傷だらけだった。音丸はだがどちらも女性の手とわかった。華奢な手は三角ラトイ、ゴツゴツした手は泉岳イミズだと咄嗟に理解した。切断されたふたつの左手の側には、左手を失った二体の肉体が転がっていたからだ。

 三角ラトイと思わしき肉体からは呪現言語師特有のニオイというかオーラ―というか、そういった独特の何かが出ているのを音丸は感じ取っていた。
半乾きのシャツのような、独特のニオイだ。

 もう一体の肉体からは、殺人鬼特有の血のニオイがした。複数の人間の血のニオイがした。音丸はふたつの左手を拾い上げ、菜緒に見せた。ダーツを抜いた際に指に自分の血がつく、菜緒はふたつの左手を手に取った。それらの手首から、血が滴る。不思議と嫌な気分にはならない。むしろ同情していることに、菜緒は気づいた。この手は女性の手だと確信したし、音丸が感じたように、三角ラトイと泉岳イミズの手だと感じたのだ。あの現場で見た二人の手だとわかった。記憶力の良さでは菜緒は武威裁定Q課では群を抜いている。

 次の攻撃が来るのかわからない、備えるしかないと菜緒は奥歯をゴリッと嚙みしめた。立木陵介と話してみたい、菜緒の率直な気持ちだ。鷹取に自ら直談判したとはいえ、偽装結婚までした。愛も誓い合った仲だ。かりそめだったとしても。優しい陵介の裏に潜んでいる悪魔のような男、この爆破事件の首謀者であり、蜘蛛の巣の設立者、「もう一人の陵介」がやっと現れたのだ。

 さっきのダーツの攻撃、確実に呪現言語だ。菜緒の確信は覚悟へと変わった。立木陵介は呪現言語師、それも最強クラスの。迂闊に進めば、自分も音丸も死ぬ。菜緒はダーツを引っこ抜いた脇腹から滲み出る血をこのままじっと見ていたいと、自分でも理解不能な現実逃避感に襲われていた。立木陵介から離れたのは、潜入していたにもかかわらず失踪に近い形で逃げ出したのはそのせいだ。立木陵介と一緒にいると、自分の、組織の目的と信念を見失いそうになる。

 夏休みに頑張るぞと意気込んでいた受験生が、束になった参考書や問題集を目の前にして怯むように、そのまま眺め続けるかのように。「なにもしたくない」そんな衝動に駆られる。立木陵介の悪も善も構わない、この男と一緒に居たいと思いそうになる自分を否定し打消し、正気を保つことができないと当時の菜緒は思っていた。その思いは今にも甦ってきていた。

「ダーツには毒は塗っていないよ。」
 陵介の声が聞こえる。奥の部屋からだ。

立木陵介は管理室の奥に潜んでいる。音丸が菜緒に渡した二人の左手をジーンズの後ろポケットに無造作に突っ込んだ。自分の手とは違う手の感触が尻に伝わる、音丸は何とも言えない気持ち悪さに小さく顔を歪めた。

「逃げますよ、菜緒さん」
「え、立木陵介はその奥にいるのよ」
「だからですよ、これは」
 音丸はゆっくりと息を飲んだ。次に息をすうのはこの管理室を出てからだと決めていた。
「これは?」
「罠です。あと進めば、爆発します。厳密に言えば、三角ラトイか泉岳イミズに触れたら爆発すると思います」

 音丸は奥にいるかもしれない立木陵介に聞こえるように言った。わざとだった。わざと聞こえるように言ったのだ。
「ここ爆発したら、立木陵介も死ぬのよ」
「だから、ここにはもういませんよ。ダーツの攻撃のあのときに、逃げています」
「いないのに、どうやって攻撃するのよ」
「予約呪現言語、その三角ラトイを経由して。録音装置のように、彼女を使って声を、呪現言語を発しています。立木陵介は」

 確かにこんなに聞こえているのに立木陵介は次の手を打ってこない。あらかじめ台本に仕込まれた言葉が、私たちの状況フラグを感じ取って、発せられる。三角ラトイを通じてということか、菜緒はあっさりと音丸の言葉を信じた。なんせ、彼は優秀な呪現言語師だ。封印されてはいるが。

 左手は簡単に回収できた。何も起こらなかった。それがひとつめのトリガーだ。おそらく。残りの肉体に触れると爆発する、音丸の見立てに従うことにした。そっと後退しながら管理室をでる二人。音丸は落ちていたダーツを踵で蹴ってしまった。ダーツは回転し、絶命しているはずの泉岳イミズの左目に刺さった。やはり生きていたのか。身体が痛みに条件反射で動く。右手が三角ラトイの腰に当たる。予約呪現言語、「三角ラトイの身体に何かが触れたら、爆発する」が発動した。

 後退する菜緒と音丸は背後にのけぞるように飛び、管理室から出た。走り高跳びの背面飛びのように。助走無しで飛べるのは、二人の類まれな身体能力によるものだ。

 炎が追いかけてくる。上下左右に獲物をさがしているように、それは機械的な動きだった。プログラムされた対象を自動追尾するかのごとく。炎と炎が重なり、さらに大きな炎となり、そこに爆風が合わさる。音丸は爆発をスローモーションで見ているようだった。封じられているはずの呪現言語を発動させるしかない。無意識に発動させることはあった。簡単な呪現言語なら発せられた。実谷にも千堂寺にも内緒だった。

 だが今回は、そんなレベルじゃだめだ、音丸は口を開く。熱風が肺を焼き切りそうだった。このままでは、菜緒も自分も死ぬ。音丸は爆発前に吸い込んだ息を吐き出す、「海に移動したい」シンプルな分確実に呪現言語は叶うが、二人とも同じ場所に移動できるか。この状況から脱しさえすればいい、音丸は菜緒を抱き、その身体が分解され、ふ頭の海中で再構成されるのをイメージした。

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