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ジャケ買いのその先にある境地=ドMの境地で、観ることにした映画

率直に言って、良い映画だったと思う。主人公の一子(安藤サクラ)はどうにもならない人生の迷子みたいなところにいた。引きこもり=人生の失敗とは思わないけれど、経験できることの機会は損しちゃうと思う。自分で選んだ人生だから、どうこう他人が言うこともないのだが。そういう僕は、フリーランスになって3年目。恐ろしい時間、家に一人でいる。週末や夜の家族との会話が唯一の人とのふれあいみたいになるのだが、エンジンかかりすぎて子どもからはウザがられる。

在宅ワーカーがすぎると、欲望が薄まる

外に出ることはうれしいし、楽しいし。でも一人だと、コンビニで何を買っていいかわからなくなることもある。サラリーマンしてた時代は、好きなものを好きなように買っていた気がするが(そんなに大げさじゃなくて、このカップ麺うまそー→買うみたいな)。いまは、だいたいどこに行くのも一人なので、引きこもりコピーライター→外にでると、自分が何をしたくて、何を欲しているのかそこそこにハッキリさせないと辛い。

もっとシンプルに言うと、僕みたいなものでも(仕事で家にずーっといる人)外に出た瞬間「欲望」がなくなって行って、欲しいモノややりたいことが薄まってしまう。今じゃなくていいか、これじゃなくていいか、みたいに。そうなると選択肢モリモリのコンビニなんて、なにかリハビリに来たような(行ったようなが正しいね)気分になるのだ。

結局、何も買わずに出ることが多い。何か買ったとしても、新聞ぐらい。まぁ、それくらい「家(オフライン)」VS「外(オンライン)」みたいなもんだし、「8-4ぐらいまでしかないゲーム」VS「オープンワールドのゲーム」みたいになっちゃうのさ。

で、ストーリーをふんわりと

主人公の一子(安藤サクラ)はあることがきっかけで、家を出る。そし百均のコンビニで働く。出会った男が引退間近のボクサーで、ひょんなことから一子はボクシングジムに通う。で、プロライセンスを取り、試合に挑む。たった一度でいいから勝ちたいという願いのもとに。

その間、ちょっとしたラブロマンスもあるが、どうにもならない男・狩野(プロボクサー)との恋愛は苦い。日本の映画でよく見た気がする、このどうにもならない、感じ。

風邪をひいた一子にゴッリゴリのステーキ肉を焼いて(固い)、ホレと差し出す狩野は、不器用と言えば不器用だが。風邪ひいたとき、何喰ってきた?とツッコんでしまう。ちなみに僕の亡き父は、風邪をひくとニンニクをアルミホイルで包んでトースターで4、5個焼く。がーッと喰って、寝る。だから父の寝室は、ちょっと体調が悪い人が入ると、気を失うくらいだ。僕はだいぶ年齢を重ねてから、体調不良のときは胃をやすめるということを覚え、特に何も食べないことにしている。

どうでもいい風邪のエピソード

ラストシーン・試合終わりで、離れていったはずの狩野が「飯でも食いにいくか」「一子」というあたり、余韻なんだよなーと。カーブしていく道を二人で歩いて行くんだけど、手をつなぎそうでつないでいなかった気がする。

映画的には良くできていたし、俺もなぁ。。。とはネ

映画は面白かったし、セリフもどぎついモノがあった。「口臭がドブみたい」とか「おにぎりはいらない!毒入ってるから。人間ダメにする毒」とか。根岸季衣がいいですね。彼女の出番を楽しみにしている自分がいた。(元コンビニ店員で廃棄用の食品をかっぱらう役どころ・いつも)

一子は、自立して、男ができて、逃げられて、ボクシング習って、ボクシング会長から馬鹿にされて、仕事でも馬鹿にされて、プロボクサーのライセンス取って、試合組んでもらって、試合して、みたいなこれまで引きこもっていた自分の時間が一気に流れる、風呂浴槽の残り湯をガーーーーっと流すときのあの感じ。

これは参考にしちゃいけない人生だと。なだらかに生きている自分が、こういう角度のエグイ人物に共感したとしても、そこに自分を置いちゃいけないと感じる。特別な人じゃないみたいな表現で、一子は描写されているけれど、映画としてフレームに納められた一子の物語は十分に映画足るもので。
だから、人生の盛り上がり期を描写したものに、俺も!なんてなるのは、ちょっと待て!となるわけだ。

任侠映画やジャッキーの映画観た後なぜか、強く・肩で風切るような気分で自分も強くなった気がするのよね。それは、ある意味映画の余韻としては正しいし、そこまでが映画の一部のような気もする。だけども、この一子を自分に置いちゃうと、そこまでの背景が似て非なるものだから、素人がマネしちゃいけませんよ、って感じなんだ。

ジャケ買いのその先にある境地で、観ることにした映画

コピーライターなんて仕事に足ツッコんでるもんだから、商品名にあたる映画のタイトルは気になる。『百円の恋』、百均で働く一子の恋を描いたからだと思うが。映画の詳細に飛び込むにしては、安藤サクラの恋愛映画か。お相手が新井浩文。どうなるのこれって感じ。

CD全盛期、ジャケ買い派だった。洋楽もそうだし、特にイキリ倒して聞いてたジャズなんかは特に。だがこの映画は、ジャケ買いなら、買わない=観ない。

『恋』ってのが、キラキラすぎるワードだ。映画的には、まぁそれは『恋』といっても良かろうだが、どうにも「タイトルとキャストとキービジュで観たい!」とはなりにくい。

ならば、なぜ観たのか?それは、失礼ながら「怖いモノ観たさ」だ。このキャストたちなら、少なくとも芝居はガッチリ面白いはずだから。あとは、変なバイアスかかっている自分をどうかほぐしてくれ!と願って観た。もう、ドMの映画の観方かもしれん。で、観た結果がコレだ。人に薦めておる。いい映画だ。参考にしてはいけない、つまり、楽しむ映画ということだ。
(エンタメ度が高い映画は、自分の糧にするみたいなめめっちいこと考えずに、楽しむべきというはなし)

無料でなくても観た方がいい一作、『百円の恋』、ぜひご鑑賞くださいませ。


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