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【連載小説】蜘蛛の手を掴む<第五話>

アイスクリームとラクトアイスの違い

 クーラーが必要以上に効いた部屋で、菜緒は二個目のアイスクリームを完食し、三個目に手を伸ばしていた。

「やっぱさぁ、ラクトアイスとちがって、本物のアイスはいいわぁ」
「菜緒さん、食べすぎですよ。ラクトアイスってなんですか?」
 明日彌は熱いお茶をすすっている。猫舌だが冷え性ゆえに、冷たい食べ物・飲み物は禁止している。
「アイスクリームって乳固形分15%以上 で、その中に乳脂肪が8%以上入っているもの。ラクトアイスってのは乳固形分が3%以上。でね、その乳固形分ってのは、牛乳から水分を取り除いていてね、全ての栄養成分のことなのよ」

 千堂寺と音丸、鷲子が特別捜査専任室のドアを開けた。
「あら、千堂寺さん、音丸!」
 明日彌が嬉しそうに立ち上がった。
「呼び捨て、明日彌ちゃん、ダメよ。僕先輩だからね」
 音丸は明日彌をいつものように嗜めた。が、いつもとは違う声のトーンに、明日彌は露骨につまらなさそうな表情を浮かべた。

「千堂寺さん、その子は?」
 窓の外を見ていた菜緒は振り返りざま訊いた。
「あぁ、大儀見鷲子、呪現言語師だ。今回二年も内偵・潜入していたらしい」
「はじめまして、大儀見鷲子です」
 千堂寺も鷲子も満身創痍なのは明らかだった。服の至るところに、返り血のあとがしみ込んでいる。昨日ではない、さっき浴びた血の跡だと菜緒は理解した。呪現言語師二人と音丸がいてこのヘトヘト具合、相当やられ込んだのか、油断していたのか、菜緒は三人を一瞥した。

「千堂寺さん、さっき、大儀見さんが潜入していたらしいって言いましたよね。らしいってどういうことですか?」
 菜緒は大儀見鷲子とは面識がない。上司の鷹取からも説明されてもいなかった。
「あぁ、俺が鷹取さんに行かされた現場は、先日の神保町の爆破テロの関係者をしょっ引くってやつでな」
「だけど、音丸も連れて行くって、よっぽどじゃん」
 音丸と遊びたがっていた明日彌が退屈そうに、割って入った。
「まぁね、僕は千堂寺さんとバディだから基本的に同行なんだよね」
「テロリストの手がかりになりそうな物証の確保に狙いをつけていた現場なんだが、行ってみたら三名死亡していてな」
 千堂寺が眉をしかめながら、タバコに火を付けて続けた。
「で、行ってみたら呪現言語師二名、サイコパス一名が死んでたってわけだ」

「それで、千堂寺さんが呪現言語で生き返らせたってことね。この子を」
 菜緒は要点をまとめて、言った。
「いやぁ~、テロリスト二名も生き返らせちゃって。逃げました」
「はぁ~!!」
 明日彌がじろりと音丸を睨んでため息をついた。
「それで、大儀見鷲子さんは私たちの味方ってわかるの?」
 菜緒は鷲子を警戒している。
「あぁ、現場入りした時にテロリストは二名三角ラトイ、泉岳イミズの捕獲だったからな。だが、現場には二名の遺体と一名仮死状態だった」
 千堂寺が当時の状況を説明し始めた。

「その仮死状態だったのが、私です」
 鷲子は続けた。
「鷹取さんに二年前、潜入を命じられました。子どもの誘拐事件と手に蜘蛛の巣のタトゥ―が彫られた殺人事件の捜査で。沢登高一郎がその背景にいることを突き止めて、鷹取さんに連絡しましたが。どうも、澤登高一郎が捕獲されたせいで、警戒が厳しくなって。内部に私と同じ、呪現言語師がいたこともあって」
 鷲子は菜緒に包み隠さず、全て話した。
「それで、あなたも手に蜘蛛の巣のタトゥーを?」
 菜緒は厳しい表情で鷲子に確認した。
「はい。組織の中で力をつけるには、忠誠を誓う必要がありましたから」

「で、菜緒の方は澤登高一郎の捕獲で、何かわかったことがあるのか?」
 千堂寺が菜緒に訊いた。
「えぇ、やっぱり立木陵介が背後にいる」
「立木って、菜緒が偽装結婚までして潜入したあの男か?」
 当時誰もが立木陵介は一般人だと言っていたが、それなら菜緒が自ら潜入すると鷹取に直談判したのを千堂寺は思い出していた。

「でも、立木陵介って、何度も調査対象になってますが、何も出てこなかったでしょう?」
 音丸がスマホを取り出し、過去捜査資料を確認している。
「澤登高一郎がゲロったのよ。舌先三寸つかっちゃったけど」
「あの、私も潜入で泉岳イミズが立木陵介と思わしき男の話をしているのを聞きました。
たしか、最近、素性のわからない女と結婚したとかで」

 鷲子が仲間であることを証明せんとするばかりに、手元のありったけの情報を提供する。上司の鷹取は、誰にも姿を見せたことがない。それゆえ、鷹取を通じて自分の存在を証明することはできない、それなら手にした情報はここに吐き出して、仲間であることを実証せねばと鷲子は考えていた。
「コードネームで、結婚するのもねぇ」
 明日彌が茶々を入れた。
「でも、立木陵介はタダの一般人というか。菜緒さんがテロで死亡したと、立木陵介に伝えたところ遺体確認に来ました。DNA鑑定も求めていましたし、遺体の指に指輪が食い込んで外れないようだったので、その確認も求められていました」

 音丸が時系列で情報を整理してレポートする。こういうときに几帳面な人間が一人いると助かる。
「その指に、私さっき結婚指輪はめ直しましたよ。手がもう焦げてて、もともとの指輪も焼けて食い込んでても大変だったんだもの。こういう時、呪現言語使って欲しいですぅ。菜緒さん人使い荒いもん」
 明日彌はほっぺたをぷぅっと膨らませて、不満をアピールした。
「でも立木陵介って、見るからに善人でしょ」
 音丸が菜緒にというわけではないが、菜緒に答えて欲しそうに訊いた。
「立木陵介は呪現言語師よ。自分で自分に善人であれ、って呪いをかけてる」
「それって、かなり重い呪いですよね。呪いというか祝いに近い」
 鷲子が伏し目がちに呟いた。そんな継続する呪いは、呪者にも大きな反発がくる。それが事実ならば、同じ呪現言語師としての格の違いに怯えていた。
「そうよ、知ってると思うけど、継続した大きな呪いをかけるときは、解除の呪いも必要よね。おそらく解除のトリガーは【蜘蛛の巣のタトゥー】よ」
 菜緒が自信を持って、言い切った。

「なんのために?」
 千堂寺は飲みかけのコーヒー缶を灰皿代わりにして、タバコを捨てた。
「それをこれから調査するの。で、これがアスミンが取り換えてきた指輪」
 菜緒は、爆破テロで見つかった左手にはめられていた指輪をテーブルに置いた。黒くすすけている。指の皮・肉が高温で一部蒸発したせいか、人間の焦げたニオイがした。

――蜘蛛の巣のタトゥーは、テロ組織の構成員たちの証であり、巣が大きいほど階級が上。澤登高一郎は誘拐した子どもたちの手に蜘蛛の巣のタトゥーを掘っていた。そして澤登は神保町テロの際に、爆弾と一緒に蜘蛛の巣のタトゥーが彫られた左手を投げ入れた。殺害を誇示するためにしては、浅はかだと誰もが考えていた。――

「一応私ってことになってるあの焼けた左手、本当は誰の手なのか、澤登に訊いても答えてくれないのよね。口先三寸は一回きりしか使えないのよね」
 菜緒はみんなにアイデアを求めた。
「私!澤登を拷問します!」
 明日彌は自分の出番とばかりに手を挙げた。
「だめよ、ここ、一応警察なんだから」
「呪現言語で、吐かせましょうか?」
 鷲子の申し出に、音丸が反応する。
「ダメダメ、拷問も呪現言語もダメですよ。いくら特殊捜査チームでも、鷹取さんが許しませんよ」
「どっちにしても、明日彌はズタボロだし、俺と鷲子もしばらく使いモノにならん。音丸!菜緒についてけ」

 千堂寺は音丸の肩を叩いた。パシッと軽く乾いた音だった。心なしかいつもより弱く、呪現言語の反動が、千堂寺に深いダメージを与えていると音丸は感じた。
「菜緒さん、よろしくお願いします」
「音丸、頼りにしてるね。まずは、逃げた三角ラトイと泉岳イミズの調査ね」
 菜緒と音丸は、特別捜査専任室のドアを力強く開け、調査に向かった。

■第六話:音丸慎吾の尻ぬぐい


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