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第13話・父ラルフォンから受け継いだ【偽善の天秤】

「急に暗くなったぞ!ジャンヌ!」
 ファルが櫓からジャンヌに声をかける。【エイム・リバウム】の一回目の詠唱が終わりかけていた。

「…その骨、そのすべて、皮膚と心、そのすべて【エイム・リバウム】」
 ジャンヌ・父ラルフォン・ギャザリン団長の一回目の詠唱が終わった。五芒の結界の範囲内にいるアンデッドのうち魂と肉体のつながりが強いものたちが蘇生していく。

 失われた血、肉が光に包まれて再生していく。むき出しの身体、臓器がみるみる再構築され、血管がつながっていく。小さな細胞が分裂し脳を形作る。皮膚が再生されていく。髪が生え、唇が血色を帯びる。閉じた目が開き、眼球が一回転する。白目から黒目が、開いた瞳孔がゆっくりと萎み、暗闇の中でふたたび焦点をあわせていった。

 生き返ったものは、生まれたての赤子のようだった。自発呼吸をせねば死ぬ。自発呼吸ができたものは、隣に生き返った見知らぬだれかの呼吸を助けていた。

 同時にまだ生き返えれなかったものたちが、蘇生した人々を襲うことはなかった。アンデッドたちにセイトンの叫びが通じたのだ。

 ガル・ハンはその巨体に反して、動きが素早い。並みの兵士では目で追うのは不可能だ。
高速でルイの周辺を動き回る。ステップを刻み、リズミカルに蹴りを繰り出す。左、右右と蹴りがイルの左こめかみをとらえた。

「この、ヴァンパイア風情が!」
 ルイの顔色が変わる。体中の血液がめぐる。蒼白かった顔が一気に紅潮こうちょうする。
「ギーステッド・オフ・クロイゼ・ソロフ。冥界が拓くとき、我が名が地にぜる刹那せつな地雷芯じらいしんおごり、落としたまえ」

「あれは、【轟雷ジ・ライオ】の詠唱」
 セイトンが再び左腕の【僥倖の腕】に聖水をかけながら言った。

「ぶっそうな魔法じゃねぇか、くぅ。みんな消し炭になっちまう」
ゴードは城壁上部隊、櫓部隊に撤収のサインを送った。轟雷、雷系呪文としては中クラス。【大火】と同等だが、雷系はやっかいだった。効果範囲が広すぎる。術者の能力・魔力にもよるが、故郷・ガダルニア王国の古書には雷系の呪文は半径一キロにまで及んだと記されている。レジスト自体も困難で、何らかのダメージを受けてしまう。ダメージゼロというわけにはいかない点が雷系の恐ろしいところだ。

 せっかく蘇生したアンデッドたち、これから蘇生しようとしているアンデッドたち、城内の魔法学院の学生たち、衛兵たち、逃げてきた村・町の住人たち、そのすべてに何らかのダメージを与える。

「さぁ、消えてなくなれ、【轟…」
 ルイの頬にまた優しい風が当たる。今度は少し強い。いやだいぶ強い。
「【阿吽攻撃シンクロニシティ】」
 ゴードの左右の爪の動きが同調した。剣聖リヒトにはいくら教わっても、そこでは一度も成功しなかった【阿吽攻撃シンクロニシティ】。

 ルイの身体に無数の傷が刻まれる。小さく見えたはずの傷は、深く骨まで切り裂かれていた。
「あ、あぶないですよ。もう」
 ガル・ハンは危うく【阿吽攻撃シンクロニシティ】の巻き添えになるところだった。寸でのところで、攻撃の軌道がそれて助かったのだ。

「やっと出たわね、ゴード」
 セイトンが続ける。
「とどめは刺しちゃだめよ。リムとの交渉材料にするんだから」
 ゴードの息が荒い。
「刺せるかよ、あれ一発出したらだけで腕が、上がんねぇわ」
ゴードは膝をついた。体力自慢のゴードが奥義とはいえ、技を一つ出しただけで、ここまで体力を消耗するとは、とセイトンは思った。

「油断…したのかもね」
 ルイは立てなかった。吹き出る血が止まらない。ネクロマンサーであるルイにとって、回復系呪文は習得できない。アンデッドたちの天敵とする呪文を習得することは、ある意味裏切りだ。感情のないアンデッドとはいえ、そこには最低限の信が必要だった。
 セイトンがルイの傍に走り寄り、【高回復の誉ルル・レタブリス】を唱える。
「やめろ、私に情けを与えるな!」
 ルイがセイトンの回復呪文を拒否する。

「いいわよ、さっき唱えられなかった【轟雷ジ・ライオ】ストックされてるんでしょ。放出しても、いいのよ」
 ルイはセイトンの回復呪文効果により、断裂した骨、腱、血管、皮膚がつながっていく。
「私はお前たちの敵だ」
 ルイが声にならない声でつぶやく。顔を上げることができない。

「おねがい、この不毛な戦い、もう終わりにしましょう。リムには私からも申し立てるわ」
 セイトンは本気だ。ルイのさっきまでちぎれ落ちそうだった右腕が、つながった。指先の感覚も戻った。術ストックした【轟雷ジ・ライオ】を放つなら今が最大のチャンスだった。ウッドバルト王国の城内にまでダメージを与えらえる。元四天王の二人も殺せないまでも、大きなダメージを与えて戦線を離脱させられる。後方にいる十二聖騎士団にも壊滅的なダメージを与えられる。武功は目の前だった。ルイがリム・ウェルに寵愛されるには、格好のチャンスだった。

 ゴードが叫ぶ。
「巨人のアンデッドたちに、蘇生の儀が通用しねぇ。あいつら、狂暴化しちまってる」

 【エイム・リバウム】は五芒の結界を施しての詠唱が必須だ。その限りでない場合は、ジャンヌの祖父アルガンのように蘇生・復活しても狂暴化する。この可能性については、セイトンもよくわかっていた。

「やっぱり、そうなりましたか」
 ガル・ハンはまるでこの状況が予想していかのように言い放つ。

三十万のアンデッド隊。十万を引き連れ進軍してきたルイ。後方二十万のほとんどは、統制の効かないサグ・ヴェーヌの巨人アンデッドたちだった。ルイは諦めたかのように言う。
「あいつらは私の操術が効かない。本能のまま進軍してくるのだ」
「進軍してくるのだって、ずいぶん他人事ですねぇ」
 ガル・ハンが迷惑そうに、巨人アンデッドたちを目で追う。ここから八百メートルほど先だ。十二聖騎士団たちは、残った体力と魔力を振り絞って戦ってはいるが、戦況は厳しかった。

「ジャンヌ、まだいけるのか?」
 やぐらから退避したものの、ジャンヌのことが気になりそばで護衛をすることにした、級友ファルとロキ。ジャンヌの【エイム・リバウム】はまもなく五回目の詠唱を終えようとしていた。
「も、もうダメだ。魔力がすっからかんだ」

 父ラルフォンもギャザリン団長も同様だった。前線で戦ったあと、五回の【エイム・リバウム】、魔力が残っている方がおかしい。
 前人未踏の【エイム・リバウム】五回詠唱、しかも三人という巨大蘇生の儀効果により、魂がとどまっていたアンデッドたちは命を取り戻していった。ロキの姉やファルの両親も無事だった。魂が不安定なものは、狂暴化するかそのまま地に還るかのどちらかだった。ほとんどのものが、地に還っていった。
 
 ただ問題は三十万のアンデッド軍勢のうち、二十万の巨人アンデッドたちが残っているということ。
十二聖騎士団たちは巨大アンデッドたちとの戦闘に活路を見いだせず、満身創痍のままウッドバルト王国城壁前まで戻って来た。城を防衛する、ギャザリン団長の戦闘方針転換だった。全員がその意図を理解した。五芒の結界を結んだ十二聖騎士団たちも少し遅れて戻って来た。だが魔力も体力も尽きている。

 満身創痍なのは十二聖騎士団だけでなかった。ゴードは腕が上がらず、セイトンはルイへの【高回復の誉ルル・レタブリス】使用により、魔力が尽きた。唯一戦えるのは、ヴァンパイアのガル・ハンだけだった。

「ガル・ハンがいくら不死身の王でも、この二十万の大群は無理だがな」
 ゴードは諦めた顔ながらやり切った気持ちで言った。もっと【阿吽攻撃シンクロニシティ】ができるならと、悔しがってもいた。

「いえ、いささかも無理ではないでしょう」
 ガル・ハンの意外な返事にゴードは耳を疑った。
「このお嬢さんに働いてもらいましょう。責任は取っていただかないと」
 ガル・ハンは回復したばっかりのルイを指さした。
「何言ってるの?」
 セイトンはかばうようにルイを強く抱く。ルイはセイトンから溢れるぬくもりを感じていた。リムとは違うやさしさと温かさ、母のような神のような。ルイはここが戦場であることを忘れそうになっていた。

 魔力を使い切ったジャンヌがロキとファルに肩を担がれてやってきた。
「おぉ、ジャンヌ、よくやったな」
ゴードがジャンヌを讃える。

「いやぁ、魔力がもう、ホントにきつかった」
「でも、うまくいってよかったよ。流石我が教え子」
 セイトンはこの危機的状況のなかでも明るい。それが唯一の救いだと、ゴードは思った。四天王時代を思い出していた。

「おぉ、はじめまして、あなたがジャンヌさん。こんなに小さい身体で、【エイム・リバウム】を五回も。驚嘆です」
 ガル・ハンがマントをめくり、膝をついた。王に謁見するかのような姿勢で。

「で、どうすんのよ、いいアイデアあるって言ったよね?」
 セイトンがガル・ハンに詰め寄る。
「はい。ルイ嬢の術ストックを放っていただくのです。【轟雷ジ・ライオ】を」
「そんなことしたら、ルイの魔力が切れて、回復が止まっちゃうじゃない」
 回復魔法にしても蘇生魔法にしても、受け手側にも求められることがある。命あるものは体の中に正の魔力が備わっている。その魔力を活性化させるのが、回復・蘇生魔法の原理原則。

 逆を言うと、回復・蘇生される際には魔力が少しは必要ということだ。【轟雷ジ・ライオ】をストックしたルイ。放出しきっていない魔力はいったん体内に戻り、そのまま放出しなければ詠唱に必要だった魔力は二十四時間後には消失する。

「構わない、私は私の責任を取る」
 ルイはふらつく身体で立ち上がった。
「まだだめよ、骨の中心部が回復しきっていないのよ」
セイトンがルイをたしなめる。

「それでこそ、ネクロマンサー。では始めましょう」
 ガルがルイの【轟雷ジ・ライオ】の放出を促す。巨人アンデッドたちはもう二百メートル手前でこちらの様子をうかがっている。

「あの、以前父にも聞いたんですが【轟雷ジ・ライオ】って効果範囲が広すぎるから、僕たちも、そのダメージを受けるんじゃないですか?」
 ジャンヌが物おじせず、ガルに訊いた。
「あぁ!流石、ジャンヌさん、よくご存じで」
「俺だって知ってる」
 ゴードが割って入った。

 ガル・ハンは力強い口調で言った。
「【轟雷ジ・ライオ】に限らず、魔法無効にするアレですよ。以前あなたがセイトンさんを護ろうとして唱えたの見てましたから」

 ジャンヌは思い出した。以前、魔法学校でスケルトンたちに囲まれた時のことを。
「その時は…無意識にあの【駕籠の宿】を唱えていて」
「次は、意識して唱えてみましょう」
 ガルは巨人アンデッドの様子を視野に入れながら言った。

「ジャンヌはもう魔力切れをおこしているのよ」
 セイトンが言った。為す術なしといったところだった。

「いや、ひとつあるぞ。スキルだ」
 ラルフォンが剣を杖のようにして、身体を支えながらこちらにむかって歩いてきた。
 父ラルフォンたち十二聖騎士団はジャンヌたちの近くに隊列を組んで陣を構えていた。

 十二聖騎士団きっての魔術師メイは空中からの敵を気にしながら、ジャンヌをスキャンした。
「なに、この子、レベル四百越えてるよ。スキルポイントは…もう計測できないって、何よ」
「おそらく、先ほどの戦闘で【エクスペリエンスの指輪】が経験値を吸い取ってたってことだ」
 ゴードがわかっていたかのように、言う。

「ジャンヌ、このスキルを覚えろ」
父ラルフォンから渡されたスキルの書、それは【偽善の天秤イポクィジー・リブラ】だった。
「これは…副団長、いいのか?」
とっさに、十二聖騎士団ギャザリン団長が訊いた。
「いいんです、団長。これは我が家に伝わるスキルですから。いずれジャンヌにも伝承させねばと思っていました」

 ラルフォンの決意は固い。ジャンヌはこのスキルの効果はわからないが、父を信じスキルを習得する決意をした。

巨人アンデッドたちは二十万。だが統制がとれない。リーダー格がいないのだ。お互いを攻撃しあうほどの知能と理性のなさに、ウッドバルト王国は救われた。ジャンヌも敵のいざこざの最中に父から【偽善の天秤イポクィジー・リブラ】を無事伝承し、そのスキルを身に着けた。

偽善の天秤イポクィジー・リブラ】魔力が極端に低い値になった場合、偽善の神ウリウスが現れる。欲望の底にある穢れた心に問いかけられる。問いへの答えに正解すれば、魔力を獲得できる。不正解ならば、命を失う。といったものだった。

スキル継承とともに、ウリウスが現れた。ジャンヌの脳に働きかける。みんなの目には見えていない。
「ジャンヌ、我が主。あなたにこの問いをなげかける。多くの命・家族の命どちらを優先させる?」
ジャンヌは即答した。
「多くの命です」

 難しい問いだった。以前なら、家族と答えただろう。だが戦場に立ったジャンヌが見たものは、利他の精神。自身を滅する精神。献身の精神だった。家族の命は大切だ。母・祖父を失い、自分には父しかいないジャンヌにとってはなおのことだ。だが、僧侶として戦士として生きるということはまた別のことだ。ジャンヌの信念は大地に深く根を張り始めた若樹のようであった。

 ジャンヌの魔力が回復する。この間一秒もなかった。身体と頭に力がみなぎるのを感じた。

「おぉ、魔力回復されましたね。おめでとうございます」
ガル・ハンはルイに合図を送る。ルイからストックされていた【轟雷ジ・ライオ】が放たれる。同時にジャンヌは簡易詠唱で【駕籠かごの宿】を詠唱。重ねてさらに大きな【駕籠かごの宿】を詠唱。二重の【駕籠かごの宿】効果で魔法を無効化する。

暗闇に落ちた空が、さらに漆黒を帯びる。

大気が震え、雲の流れが激しくなる。急流に豪雨が流れ込んだような空。動きが速い。

轟音があたりを包む。矢のような無数の雷が空から落ちる。目では捉えることはできない、雷の光を感じたと思った瞬間、地に落ちている。雷系呪文は目視できないため、精霊呪文のなかでは最強ともいわれている。

 巨人アンデッドたちが叫ぶ。断末魔の叫びと雄たけび。槌や巨大な弓、剣、盾が砂と化す。身体の大きな巨人たちは避雷針のようだった。面白いように雷が命中する。二十万いたはずの巨人アンデッドたちは一瞬で姿を消した。

 ジャンヌが唱えた【駕籠の宿】効果により、誰もが雷の直撃を避けられた。ただ一人を除いて。【駕籠の鳥】、上位呪文の【駕籠の宿】どちらも詠唱者より上位レベルのものには効かない。下位レベルの者が上位レベルの者を護れないということだ。

 【轟雷ジ・ライオ】の直撃を受けた男が一人。十二聖騎士団副団長にして、ジャンヌの父ラルフォンだった。
 絶命しそうな父を見たジャンヌは発狂しそうになった。そうか、【偽善の天秤イポクィジー・リブラ】・ウリウス神はこのことを問うていたのか、とジャンヌはこのスキルの真意がわかった気がした。

「おとうさん…」
ジャンヌは父を蘇生させることをやめた。十分なほどの魔力はあったが【エイム・リバウム】は唱えなかった。ウリウス神との対話の中で、強い信念がジャンヌの中に芽生えたからだった。蘇生させたところで、【偽善の天秤イポクィジー・リブラ】の効果を良く知る父ラルフォンは感謝はおろか、納得もしないだろう。

十二聖騎士団団長ギャザリンがジャンヌの肩を抱く。何も言わずに。ジャンヌの眼からひとすじの涙が零れ落ちる。闇夜のなか、乾いた大地に吸い込まれていった。

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