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【連載小説】蜘蛛の手を掴む<第七話>

特別潜入捜査員トクセン実谷重綱じつたにしげつなの耳

 死んだ男の世話に忙しい女が二人。男は呪現言語師だったことはわかっている。残った女たちはトクセンのリストにはない。行くだけ無駄、空振り間違いなし。扇尽おうじん局長が行けというのだから仕方ない、実谷重綱じつたにしげつなはしぶしぶ現場に向かった。今日はどうしても、映画館で観たい映画があった。

 呪現言語師のスカウトに西に東に北に南。三百六十五日、二十四時間、六十分、六十秒。忙しい。言霊を具現化し現実のものとする、呪現言語師。野放しにすれば厄介、味方につければ百人いや千人力。だが、飼いならすのにはちと手こずる。

 我が国には大きく三つの暗殺集団が存在する。もともと一つだったこの集団は、戦後三つに枝分かれする。そのうちの一つが、実谷重綱が所属する特別潜入捜査課だ。潜入・諜報を主体とするが、求められれば暗殺も行う。
 体裁上は警察組織に属し、組織図の端っこに位置する。ほぼ独立運営機関だ。もう一つが武威裁定ぶいさいていQ課、通称ブサイク。こちらは、あらゆる点において大きく権限委譲された組織であり、オカルト・サイコパス・テロあらゆる面倒な事案を解決することを目的としている。

そのためには、手段は自由に選べる。武威を以て、裁定ができるのだ。Q課というのは、もともと9課だったようだが、組織図作成の際に9をQと誤植のまま印字されたかららしい。

 実谷は流暢りゅうちょうに、自身の属する組織の成り立ちを二人の女に説明した。荒っぽく無法者、人でなしとも言われる、武威裁定Q課ブサイクとは違うと言いたかったのだ。

 猛坂もうさかみどりと田島紗智子たじまさちこ、はあっけに取られていた。突然、やってきた男に延々と話し続けられ、まったく要点がわからなかった。

「それでですね、両課は今や並列組織であるのですが、一時対立抗争した時期もありまして。現在では警察配下の組織となり、同じ目標ができたのです。三つめの暗殺集団・「蜘蛛の手」を壊滅するのが目的なんです。そのために、私は呪現言語師を探し、教育し、あのブサイク、いえ武威裁定Q課に送り込んでいるのです!」

 実谷はポケットからぬるくなった缶コーヒーを三缶、取り出した。
「飲みます?」と、二人の顔を覗き込みながら言った。
しばらく沈黙の後、
「結構」とみどりが言い
「わたしも、遠慮します」と紗智子も続いた。

「本当は特別潜入捜課トクセンに来てもらうのが良かったんですが、それもねぇ。なので、今日は猛坂さんのご自宅に伺ったんですよ。そしたら、好都合!田嶋さんまでいらっしゃって。手間が省けます」

 実谷はタバコに火をつけた。広いリビングだ。床が大理石、軽く二十畳はある。天井には南国リゾートか洒落た喫茶店でしか見かけないプロペラのようなファンが、濁った空気をかき回していた。
「で、実谷さん、ご用件は?主人が亡くなって忙しいんですが」
 みどりが実谷に要件を伺った。

「ええ、端的に。ご主人、猛坂雪男さんは先日の神保町駅ビル爆破テロの容疑者としてマークされていまして」
 実谷は包み隠さず言った。その方が、相手の反応がわかる。年に五十人以上の呪現言語師と会っているだけあって、口の動き、目の挙動、息づかい、発汗、手のしぐさ、唾液の量、の異変を瞬時に見極める。

 実谷の話に紗智子が反応した。
「雪男さんは、そんなことしません!」
「ちょっと、人の旦那捕まえて、雪男さんってなによ!」
 実谷は腕時計を確認した、もう四時半だ。直帰にしても、定時まであと一時間。巻きで会話を心掛けた。
「それで、本妻の家に不倫相手がいるのはいささか興味はありますが、私がここに参った本題は、雪男さんは亡くなって十日も経ちますが、火葬されていませんよね?死亡は我々でも確認できたのですが」
「どうしてそれを…」

 みどりの口が渇いている。目も泳ぎ気味。白目の割合が増えていた。
「葬儀場が混んでいるからです。ドライアイスをたっぷりいただいています」
 紗智子が割って入った。図々しい女だと言わんばかりに、みどりは紗智子を睨みつけた。
「でも、夏場の自宅では、腐ります。率直に申し上げて、雪男さんは生きてますよね。どういうわけかお話いただけないかと」
 実谷はここから立川の映画館に行くには五十分はかかると踏んでいた。いくらなんでも六時前には出てバスに乗らないと、と映画のことばかり気になる。

「夫を殺したのは私です。毎日、少量のヒ素を飲ませていました。食事に混ぜて」
「いえ、雪男さんを殺したのは私です。そんなチマチマしたやり方じゃなくて、亡くなる前の夜。私の家でお酒を飲んでて、その時にしっかり目に睡眠薬を飲ませて、オーバードーズで殺害しました」
 紗智子が伏し目がちに言った。
「いえ、解剖の結果は、毒殺でもODオーバードーズでもなくて、脳の血管が結ばれていたんです。それで亡くなっています。そもそも少量のヒ素だと日々身体が悪くなりますし、睡眠薬を大量に摂取すると、吐き苦しみます」

 実谷は資料を確認しながら、続けた。
「雪男さんは、呪現言語師です。これは間違いありません。あなた方は、妻でも愛人でもないのでは?それが私の見立てです」
 上映時間を気にする実谷は、会話に無駄がない。
「さすが、トクセンね。もう面倒じゃない紗智子さん。この人に話す方が話は早いわ」
「でも、私たちにかけられた呪いは」
 口の軽いミドリと対照的に、紗智子が口ごもる。

「なるほど、目で合図してください。瞬きでかまいません。ハイなら瞼をぎゅっと閉じるで」
二人は瞼をぎゅっと一回閉じた。

「あなた方は、雪男の部下ですね」
 二人はまぶたをぎゅっと一回閉じた。
「雪男さんにかけられた呪いは、死体を腐らせないようにすること」
 二人は瞼をぎゅっと一回閉じた。
「雪男さんは、仮死状態で蘇生を待っていますね」
 二人は瞼をぎゅっと一回閉じた。
「わかりました」

 おそらくこの二人は、【蜘蛛の手】の誰かにさらわれてきた一般人、と考えるのがよいのだろう。三角ラトイたちの手によるものかもしれない。だが、違う。実谷は扇尽局長がここに行けと命じた理由をずっと考えていた。呪現言語師のリストに載っている人物は死亡している。妻と愛人とされる人物に会ってどうなるものか?と。

 だが、扇尽局長こそ無駄を嫌う男。だから、最初からこの二人も呪現言語師と考えるのが、妥当。こんなやっかいな二人と、死んだ一人、あわせて三人を相手にするのか、特別潜入捜査員は上長判断を仰がずに相手の無力化は可能。だが、専守防衛せんしゅぼうえいのみ。そこが、武威裁定Q課と大きく異なる運用だ。

 みどりと紗智子はハモリ始めた。
「猛坂牙突がとつ、貴殿、結びし脳の血管をほどき、蘇生を始める」
 猛坂牙突?雪男じゃない、実谷は当初目的を一つ果たした。最適なゴールを思い描いたとおりに実現した。扇尽局長から命じられていたこと、ひとつは猛坂雪男の本名を知ること。これは、雪男に呪現言語を仕掛けるにしても、名がわからなければ、効果が弱まるためだ。

「ありがとう、牙突ね。ぶっそうな名だ」
 実谷は扇尽局長に素早くメールで猛坂雪男の本名を送信した。

 猛坂牙突の入った棺がガタガタと揺れる。死者が生き返る、改め仮死状態にあった者が蘇生した。響き渡る棺からの不気味な音は、広いリビングに無機質に、リズミカルに響く。
みどりと紗智子は牙突の復活を確信し、続けた。

「実谷重綱、貴殿の肺はふた呼吸のうちに潰れる」
 呪現言語師に名を知られる、それは相手に命を預けるに等しい。みどりと紗智子は、立て続けに大きな呪いを発したため、口の中から唾液が蒸発している。口の中は日照りの砂漠のように、カラカラだった。次の呪現言語は発せないだろう。だが、実谷を殺害できるなら、この状況も問題なかったのだろう。

 実谷はケロリとしている。耳をほじくり返している。ポケットのスマホを取り出し、音丸に録音してもらった、呪現言語を流した。

「実谷重綱以外、気絶」

 みどりと紗智子はカラカラの口に加えて、既に力自体も残っていなかった。蘇生したての猛坂雪男はそのまま棺の中で活動停止した。録音音源だったが、音丸の呪現言語の出力の強さに実谷は驚いていた。
実谷は時計を見た。六時を過ぎていた。映画には間に合いそうもなかった。
「今日の『バーベナ、散った日に』日本映画なのに、字幕付きだったんですけどねぇ。残念」
 実谷はトクセンの応援部隊を呼び、三人を引き渡した。三人とも左手に蜘蛛の巣のタトゥーが彫られていたが、それはとても小さかった。小指の付け根に小さく、猛坂に至っては女二人よりも小さなタトゥーだった。

 実谷は残り二本のコーヒーも一気に飲み干した。来たときは空っぽだった携帯灰皿には、タバコの吸い殻が入りきらないぐらいになっていた。
 音丸に「録音、役に立ちました。ありがとうございました」とメールを送信し、実谷はその場を後にした。

■第八話・目覚めていた音丸慎吾


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