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【新説桶狭間の戦い】太平洋戦争の生き残り。山西野戦軍司令官が分析する信長の戦略戦術とは?パート1

脳力開発 第一章桶狭間の合戦の信長に学ぶ

城野宏 著者 古今東西人間学より
城野宏1913年長崎県生まれ。1938年東京帝国大学法学部卒。同年中国に渡る。山西野戦軍司令官として中国人民解放軍と戦い、中国で禁固18年の刑に服す。1964年帰国。城野経済研究所所長 著書「状況判断の行動学」「諸葛孔明の戦略と戦術」1985年死去

(1)信長の戦略決定

信長という人物

織田信長と言う人間は決心が早いとか短期であるとか言われています。しかしそういう抽象的な言葉は本当にその人間を表しているのでしょうか。例えば決心が早いと言う男は、反対の面から見ればおっちょこちょいと言うことになります。信長が短期で生終戦のうまい男だと言われているのは彼を小説に書いた作家たちが言ってることなのです。信長の戦の仕方を見ていると、奇襲戦をやったのは桶狭間の戦い一回だけです。

30分位で約9倍の兵士を持つ今川軍をやっつけたわけですから、確かに奇襲先で早い戦いでした。ところがこれ以外に信長は短期決戦の奇襲戦をやっていないのです。のちに斉藤や浅井・朝倉と戦った時にも、相手を何年かかって買収したり、弱体化してくるのを長期間かけてまったり、じりじり、じりじりと長期の戦争をしているわけです。ですから私にはどうも、世間で言われているように、信長は短期で奇襲戦の上手なだけの男とは思えないのです。

見ると聞くとでは大違い

この章では桶狭間の戦いについて分析しようと思っているのですが、実は、「桶狭間の合戦の勉強会」と言うのを作りまして現地見学会を催したんです。事前にいろんな本で桶狭間のことに調べておきました。ですから、現地見学会のために泊まった旅館で、NHK番組の「歴史への招待」の中で桶狭間について紹介をしているのを見た時は、なるほど、そういうわけだったのかとみんなは感心しておりました。

翌日、総勢40名位で清洲の城、熱田、善勝寺、桶狭間など、信長に基づくものは全て見て歩きました。そうすると、これまで本やテレビで紹介されてきた桶狭間とはまるで違うのです。聞くと見るとでは大違いと言うほど違うものだったんです。

テレビでは「桶狭間の謎」と言うテーマで紹介していました。あの地形とその条件から信長が桶狭間に攻めることは不可能である。それがどうして攻めることができたのか、その不可能なるゆえんをいろんな各方面から説明しているんです。

ところが実際に行ってみると、非常に楽に攻撃できる地形なんです。私が指揮官でも30分で攻撃できるとほど楽な道程なんです。テレビで見ていると、いかにも科学的でよく研究されていると言う気がしちゃうのですが実際にその足跡をたどってみると大違いだったわけです。

信長の客観条件

信長は清洲に住む二十万石か三十万石のごく小さな大名でした。兵力数も約3000人位の小大名だったんです。北の方には美濃の国、斉藤氏がおり彼は20,000弱の兵力を持っていてかなり大きな勢力を持つ大名だったんです。それから西の方には小さな兵力を持つ大名が何人かいたわけです。そして東の方にはかなり大きな兵力を持つ今川氏がいたわけです。彼は二百万石ぐらいでしたから、兵力は20,000人から30,000人位だったでしょうか。ですから桶狭間の時に連れてきた兵力は2万7000円位でしょう。

今川義元の勢力としては、大高と鳴海の2つの城だったわけです。一方信長のほうはといいますと丸根、善勝寺というのが信長の勢力下でした。こういう時に今川義元は2万7000の兵を連れて尾張の国を火色にしようというんで出てきました。

戦略決定

さぁあなたならどうします。ここで戦略を決定しなければなりません。戦略決定と言うのは意思決定ですから、戦うか降参するかどちらかに決めなければならないわけです。それは戦術的に成り立つか、成り立たないかの前の決定なんです。この戦略決定によって人間の行動が決まるわけです。

勝つ戦いができるかどうかは戦術の問題で、戦術から戦略を考えてはいけないんです。戦うかどうか戦略が決まらないうちから戦術を練っても出てこないんです。まず戦うか降参するか戦略を決めることが先なんです。戦略を決めないで戦術ばかりを考えても、目についたものしか出てこないんです。

自分から積極的に動いて、勝つ要点をつかまえようとしても、戦うか降参するか決めないでいてはよい戦術も出てこないんです。私がいつも言っているように戦術で戦略を決めてはいけません。もしそうしたら必ず失敗します。戦略を決めたら戦術はいくらでも出てきます。

例えば大阪へ行こうか札幌へ行こうかと迷っている場合どちらかに決めないで戦術が浮かんできますか。大阪に行くという戦略を決めて初めて新幹線に乗ると言う戦術が出てくるわけです。
(つづく)
                                                                                       



塩沢のまとめ

城野宏はまず戦略を決めよと言う。ここでの戦略は戦うか降伏するか?一見びっくりする発言であるが、良く考えて欲しい。戦術を決めてから戦略を決定するとなると、小さな戦略しか出てこず、それは戦略とは呼べる代物ではない。

まずはやるか、やらないかを決める。その後戦術を練る。戦いに勝つかどうかは戦術の問題である。戦略が成り立つかどうか、戦術を試してからやるやらないの戦略を決めるのが凡人である。戦史に残る世の中をあっと言わせるような戦いをした信長や、世の中を変えたイーロンマスクなどは、まずやるという戦略から始まり、ついに勝つ戦いを呼び込む戦術を編み出した。
だからこそ戦略が先、戦術は後である。

塩沢貴良1975年生まれ。
城西大学経済学部卒業。
東京都北区在住
株式会社塩沢コンサルティング 代表取締役
Clubhouse 経営730 運営メンバー
西研東京MG(マネージメントゲーム)公認インストラクター
認定支援機関

じょうはん会(情勢判断学会)
http://jouhan.com/faq/index.html
日時毎月第2木曜日18時30分~21時(8月はお休み)
場所港区産業振興センター10階貸会議室
https://minato-sansin.com/
料金1名1000円



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