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バイセクシャルを自覚するわたしが結婚を前に思うこと


つい先日、付き合っていた男性と夫婦になった。

わたしは自覚している限りはバイセクシャルで、過去に付き合った人たちは、女の子と男の子、ちょうど半数ずつ。

すべての仕草にときめいて待ち合わせのたびに惚れ直す恋もしたし、ずーっと弱火のまま静かに消えた恋もあった。相手が男の子でも、女の子でも。

一通り、恋愛で味わえる感情は味わった気がした時に会ったのが今の夫で、この人とどこまでやれるか、一つやってみるかという気になり結婚した※1。したのだが、コロナで諸々のしきたりが滞り、結納だの式だのの見通しが立たないモラトリアムを過ごしている。

このモラトリアムのせいで、おかげで、向き合わざるをえなくなったぐちゃぐちゃとした思いを書いてみようと思う。

バイを自覚しいわゆるLGBTQの友人を持ったのは学生の時だった。自覚が遅かったわたしはあの世界をなにもわかっていなかったが、幸い年が近い優しい友人たちに恵まれた。LGBTQ、すべての属性の人がいたと思う。その境界線はいつもゆらぎ、わたしは属性とはグラデーションを分断するものだと思った。全員が地続きで息をしていた。

社会から排除されると心の病にとりつかれやすかった。おりしも同性婚が議論され、渋谷区を皮切りにパートナーシップ制度が採用され始めた頃だった。友人たちと毎週のように二丁目で飲み明かしながら、切実に夜明けを待っていた。

社会で立場が弱いことを自覚し、なお優しくあろうとしていた人たちだった。だからわたしもそうした。たくさん話をした。友人を闇にとられたくなかった。性格がどれだけ明るくても、立っている地盤が脆いのだ。話すことで繋ぎ止められる感覚があった。錯覚でもそうするしかなかった。友人たちが、ただ愛おしかった。

社会人になり交流は減ったが、友人たちはわたしの根っこの一部となった。あの界隈の絆は脆い。互いの個人情報をほとんど共有しないからだ。そんな中、口約束ひとつで毎週のように会い、話をして、一瞬一瞬を噛み締めた人たちは代えがきかないものだった。

だからわたしは本当は、結婚式にあの友人たちを呼びたいのだ。もちろんご祝儀なんかいらないけど、みんな渡してくるだろうから、近場だろうとお車代をはずみたい。各々異性装でもなんでも好きな格好して集まって、テーブルでプチ同窓会みたいな空気になってほしい。そして、嫌じゃない子だけ、一緒に写真を撮ってくれたらうれしい。一言でもいいから、一人一人と話をしたい。その時きっとわたしは泣いてしまうけど、つられて泣くメンツは、自惚れでなく想像がつく。

でもできない。

高砂の上から、結婚の権利が与えられていない友人を見下ろすことなどできない。

お車代をはずんだって、相手に結婚の権利がなければ差し引きマイナスになる。好きな格好をと言っても、会場で好奇の目に晒されて友人たちが嫌な思いをするかもしれない。写真は身バレに繋がるため、仲間内で撮ったことはただの一度もない。祝福の笑顔と涙が、本心からきたものか、わたしはきっと疑ってしまう。

結婚の権利がない同類として友人になったはずのわたしが、目の前で裏切る瞬間をどうして見せることができるだろう。ましてやそれを祝福してほしいなどとどの面さげて言えるだろう。そこまでのエゴを押しつけられるほど、軽い付き合いだったわけじゃない。

今はただ、友人たちに同じ権利があればと思う。選挙は、同性婚の賛成反対は必ず考慮して投票してきた。その誰でもよいからやってくれと思う。当然それですべて解決はできないけれど、権利とは、少なくとも無視しないということだから※2。わたしは結婚できて、毎日少なくない幸せを感じている。式についても非常に前向きだ(だからこそこの悩みにぶちあたっているのだが)。でもそれが、社会が誰かを無視して作った特権階級の持ち物でもあることもまた事実だ※3。

学生の頃感じたことは本当だった。属性はたしかにわたしと友人たちを分断した。地続きだったのに、今だってそうなのに、わたしはLGBTQに表現されない外側になった。結婚とはそういうことだった。


(※1)今回は結婚式に焦点を絞ったけれど、そもそもバイ(わたしの場合)の結婚についてもどこかで書きたいなあと思います。夫へカムアしてるのかとか、女性に未練はあるのかとか。万人の参考にはならないけど一例として。

(※2)個人としては同性婚も含め性愛を前提とした結婚制度は不完全と思っており、最終的にはフランスのパートナーシップ制度に近い形となってくれればと考えています。実際、現行の結婚制度の延長で同性婚が認可されても、苗字の問題などが解決しない限り利用しないと考える友人もおります。今回の記事は制度を利用するか否かにかかわらず、あくまで異性愛者と同じ権利があるべきという考えから書いており、現行の結婚制度を全面肯定する意図はありません。

(※3)この事実を認めながら前向きに準備をするのもまたエゴなんだよなあ。その罪悪感を打ち消すために同性婚を望むのかと言われれば絶対NOですが。式をしなくても同性婚には当たり前に賛成なので。





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