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それでも生きる(1:13歳からアルバイト)

 十二歳の時だった。
 母親の銀行口座の通帳を見ると、残高は数万円しかなかった。
 自分が六歳の時に、両親は離婚をしていた。
 私と、六歳上の兄は、母親に引き取られ、母子家庭で生活をしてきていた。
 母は、教員免許を持っていたので、学校の先生として働き、生計を立てていくつもりだったのだと思う。
 しかし、離婚のショックから母は鬱病になり、いつからかは記憶にないが、私が物心ついた時には、仕事をしていない状況だった。
 父親の仕送りだけではお金が足りず、貯金を取り崩すような生活をしてきたという事が把握できたのが、十二歳だった。
 私と兄の成長に伴って、父親からの仕送りは徐々に減らす取り決めをしていたようで、気が付いた時には、父親の仕送りだけでは生活が厳しい状況になっていた。

 母は、糖尿病も患っていた。
 鬱病の進行によって、包丁や火を使う事に恐怖を感じるようになった母は、料理を作る事もままならなかった。
 そんな母は、子供達に良い物を食べさせようと思ったのか、家計に合っていないデパートの惣菜や出前の料理を晩御飯として用意する事が多く、一方で、仕事や運動で体を動かす事もなかった事が関係していたのか、母の糖尿病は厳しい症状で、歩くのも難しくなっていた。
 病院の往復にはタクシーを使い、母が家に一人でいる時に倒れてしまい、救急車で病院に搬送されて、そのまま入院する事も毎月のようにあった。

 毎月、父の仕送りより支出が多いという現実。
 六歳年上の兄は、大学生になっていて、大学の学費を稼ぐためにアルバイトをしていた。
 奨学金も借りずに、高校生時代からのアルバイトの稼ぎだけで、大学の学費を払った兄をすごいと思った。
 兄に負けていられないという気持ちがあり、
自分もアルバイトをしてお金を稼ぐ事にした。
 駅前のデパートの壁に貼られている、アルバイト募集の貼り紙は、高校生や大学生を募集の対象としている旨の記載があるものばかりだった。
 しかし、その中で、一枚だけ「15歳以上募集」と記載している貼り紙があった。
 ファーストフードの調理が仕事内容だった。
 「条件に学歴は書いていない。年齢の部分さえクリアできれば、働かせてもらえるんじゃないか」
 そんな考えで、電話で面接のアポイントを取り付けた。
 面接をしてくれた店長さんに、我が家の状況を伝えたところ、「裏方に徹して店頭には出ない」という事を条件にして、採用をしてもらえる事になった。
 時給670円。
 一日八時間働いて、約5000円。
 一ヶ月の内、二十日働いて、約10万円。
 その収入で、何とか生計を立てていく目処が立った。

 初めてのアルバイトは、精神的に辛かった。
 一日中、ハンバーガーを作るのが主な仕事なのだが、器用ではないので、始めの内は、見た目のバランスが悪かったり、焦って火傷をしたり、「働かせてもらってるのに、お店の足を引っ張っている」という情けなさに襲われた。
 少し仕事に慣れてくると、今度はお店で働く人達とのコミュニケーションに悩まされた。
 当たり前だが、周りにいる人達は全員年齢が上で、打ち解ける事ができなかった。
 シンプルに傷つくような事も言われた。
「冬でも薄着だなぁ。気合いの表れですかぁ?」と悪い笑顔で言われた事があった。
 お金がないから中学生なのにアルバイトをしている。お金がないから服を買えない。それを分かっていて、平気でそんな事を言う大人がいた。

 学校では、友達と距離を置くようになった。
 友達と遊ぶ時間があるなら、アルバイトをしてお金を稼ぐ選択をしなければいけない状況だったし、友達が自由に遊んでいるのを見ると、自分がみじめな気持ちになって、一人でいる方がだんだん楽になっていった。
 「自由に遊べない劣等感」に向き合いたくなくて、自分で一人の時間を増やすように選択をしたのだが、その結果、「楽しい」も「悲しい」も共有できない孤独感も膨らんでいった。

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