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それでも生きる(3:手術)

 病院に到着すると、応急処置をする部屋にストレッチャーで運ばれ、ベッドの上に移動をすると、4人くらいの人が常にベッドの周りに立っていて、腕の状況を調べるのと、私の個人情報や事故の状況の聞き取りが、同時進行で行われた。
 部屋の壁際には、5人ほど、医師になったばかりか、あるいは学生さんと思われる若い人達が立っていて、これから行われる治療のメモを取ろうとしている様子だった。

 しばらくトイレに行く事ができなくなるため、治療を始める前に、自然に尿が排出できるように、尿道から膀胱にカテーテルを入れる事になった。

 右腕の激痛に加えて、尿道に針を突き刺すような鋭い痛みが走る。
 歯を食いしばって、「今が一番しんどい、今が一番しんどい、これからだんだん良い方向に向かうはず」と自分に言い聞かせて、痛みに耐えていた。

 治療は、まず右脇から麻酔を打ち、消毒をするところから始まった。
 消毒をする直前、医師が看護師に「暴れないように体を押さえておいて」と声をかけた。
 私は「そんな暴れる事なんてないよ」と思ったが、消毒が始まった瞬間に、凄まじい痛みに襲われた。
 麻酔を打ったはずなのに、麻酔を打つ前よりも、遥かに痛い。
 それでも暴れる事はしなかった。
 暴れて痛みが和らぐなら、暴れる選択肢もあるのかもしれないが、そんな事はないと冷静に考えていて、早く消毒が終わるのには、じっとしているのが一番だと思った。

 右腕の傷口をふさぐ手術をするには、全身麻酔が必要という事だった。
 全身麻酔には副作用や合併症などのリスクを伴う事から、母親の署名が必要との事で、母親が病院に到着するまでの間、一時的に治療をストップする形となり、空白の時間ができた。
 医師や看護師さん達がベッドから離れて、自分一人になった。

 その時、壁際に立っていた若い人達の内、一人の男の子が、自分が寝ているベッドに歩み寄ってきた。
 そして、私の左手を握って、こう言った。
「何もできないけど、応援してます」

 応援してくれている気持ちも嬉しかったが、勇気を出して声をかけてくれた行為そのものが嬉しかった。
 声をかける事で、もしかしたら私が八つ当たりをして、「あなたに何が分かるんだ」と怒り出すという想定もあったのではないかと思った。

 声をかけてくれた事に、感謝を伝えた後、「私に声をかけるの怖くなかったですか?」と、率直に疑問を投げかけた。
 その男の子は、「少しドキドキしましたけど、病院に運ばれてきてから、処置がしやすいようにずっと配慮をしてくれていたので、たぶん大丈夫だろうと思いました」と、笑顔で答えた。
 自分も「勇気を出してくれて、ありがとうございます」と、笑顔で言った。

 それから母や兄が病院に到着し、私に全身麻酔を打つ事への承諾の署名が行われたとの事で、手術をする運びとなった。
 この段階では、まだ母や兄とは面会していない状況で、母がどれだけショックを受けているのかが分からず、心配になったので、看護師さんに、「母に『お子さんは元気です』って伝えて下さい」と、お願いをした。

 いざ、全身麻酔を打つ段階になり、医師から、「いきなり意識がなくなって、目が覚めた時には手術が終わってますからね」と言われた。
 自分としては、こんなにハッキリ意識がある状況から、いきなり意識がなくなるなんていう事があるのだろうかと疑問に思っていたが、いつの間にか意識を失っていて、気が付いた時には、手術の終わりのタイミングで、人工呼吸を行うために、口から気管に挿入していた管を抜くところであった。
 管は、口から喉を通って、肺の辺りまで入っているような感覚で、その管を抜いている時は、どう呼吸をしていいのかも分からず、常に舌を押さえつけられているようで、とても苦しかった。

 手術が終わると、ストレッチャーで入院病棟に運ばれた。
 日が傾いて、もう夕方になっていた。
 全身麻酔の効果が継続していて、体が思うように動かせず、意識もぼんやりとしていた。
 看護師さんの手で、ストレッチャーから病室のベッドへと、自分の体を移してもらい、そのタイミングで母や兄と面会した。
 そして、事故後、初めて泣いた。
 右手を失ったのが悲しくて泣いた訳ではない。
 母や兄が悲しそうな顔をしているのを見たのが、つらく、そして、そんな顔をさせる原因を作った自分が情けなくて、泣いた。
 意識はぼんやりとしているのに、悲しい感情は、深く、鮮明に、心に込み上げた。
 自分は、
 「今は悲しいけど、大丈夫だから」
 と言って、母や兄に家に帰ってもらった。

 その後、自分は眠りについた。
 全身麻酔の影響と、張り詰めていた緊張の糸が切れたのが関係しているのか、とても深い眠りだったような気がする。

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