見出し画像

それでも生きる(2:右腕を失う)

中学3年生になり、高校に進学するかどうかを決める事になった。
 母親は、高校までは行ってほしいという希望を持っていた。
 自分としては、高校卒業という学歴がどれだけ重要なのだろうという疑問を持っていたし、高校の学費も自分自身で稼がないといけない訳で、それなら就職をした方が、生活費に回せるお金も増えるので、高校に進学するのには抵抗があった。
 しかし、母親と担任の先生から説得される形で、高校を受験する事にした。
 塾には行ってないし、すべり止めの受験をするお金もない。受験勉強に多くの時間も割けない。
 そんな状況だったので、入試の点数が低くても合格となる見込みが高いと思われる高校を受験する事になった。
 自分としては、不合格だったとしても、アルバイトをしながら就職活動をすれば良いという考えがあり、受験に望んだ。

 結果は合格だった。
 自分でも驚くくらい嬉しい感情が込み上げてきて、その感情を実感した事で、初めて自分が学校に行って友達と時間を過ごしたり、勉強をしたりしたいのだという事を自覚した。

 高校生になってからは、ファーストフードのアルバイトを辞めて、スーパーマーケットの日用品の品出しのアルバイトをするようになった。

 高校三年生になって、卒業後の進路として就職をしたいという事を担任の先生に伝えたところ、たまたま先生の知り合いにスーパーマーケットの社長さんがいるという話になり、その社長さんに会う事になった。
 店舗が二つしかない小さなスーパーマーケットで、一度の面接ですぐに就職が決まった。

 配属となったのは精肉部門。
 生肉の筋の部分など、不要な箇所を包丁で取り除いて、その後、機械を使ってスライスするのが主な仕事で、職人的な要素があり、一人前になるにはどれくらい時間がかかるのだろうと思いながら、毎日仕事に取り組んでいた。

 それから約一年が経過した2001年8月の事だった。
 午前10時に、スーパーマーケットが開店した直後くらいに、その事故は起きた。
 肉の固まりを挽き肉に加工するミキサーのような機械があるのだが、その機械に肉を詰まらせてしまったと、パートさんから報告があった。
 自分がその詰まりを取ろうとした際に、右手の前腕が機械に巻き込まれた。
 一瞬の事だった。
 右手の指先から手首あたりまでがグチャグチャになった。
 右手を復元するのは不可能だという事をすぐに悟った。
 同時に、切断した右手から血管や骨がむき出しになっており、激しく血が吹き出していた。
 テレビドラマなどで手首を切って自殺するようなシーンがあるが、今の自分はその状況に近いのだと、瞬時に思った。
 大量出血で死ぬかもしれない。
 死にたくない。

 そして、こう思ったのだ。
「死にたくないと思っているという事は、自分は右手がない人生を生きたいと思っているんだ。右手がない人生を生きる覚悟がもうできているんだ」

 自己防衛本能が上手く働いたのか、そんな事を冷静に思えた自分は、生きるための行動を選んだ。
 まず、着用していたネクタイを外し、左手と口を使って、出血していた右手にネクタイを縛りつけた。
 黄色のネクタイが、あっという間に血で赤黒く染まっていった。
 頭の中に「クリーニングに出したら、きれいな黄色に戻るのだろうか。いや、そもそも左手だけでネクタイを着けられないだろうから、このネクタイをクリーニングに出す必要はないのか」という自問自答が浮かんだ。

 出血している箇所を、心臓より高い位置に持ってくると、出血が止まりやすいと聞いた事があったので、右手を肩より上に持ち上げた。
 精肉部門の上司が電話で救急車を呼んでいるのが見えたので、自分は母親に携帯電話で電話を掛けた。
 電話口に出た母に、自分は冷静にこう話した。
「今、事故で右手を失った。ショックを受けると思うけど、この声を聞いてもらえれば分かると思うけど、俺は大丈夫だから。これから救急車でどこかの病院に運ばれて入院する事になると思う。入院用にいろいろ持ってきてほしいんだけど、今日から左利きの練習するから、フォークとかスプーンはいらないから、お箸と、あと筆記用具持ってきて」
 自分でも驚くくらい冷静だった。
 挽き肉の機械に肉を詰まらせてしまったパートさんが泣いて「ごめんね」と言いながら、自分を抱きしめてきた。
 パートさんが震えているのが分かったので、何度も「大丈夫ですよ」と声を掛けながら、救急車の到着を待っていた。

 15分くらいした頃だろうか、救急隊員の人が精肉の作業場に入ってきた。
 救急隊員さんの第一声は「これはひどい」だった。
 自分は救急隊員さんに、「死にそうな感じですか?」と聞いた。
 救急隊員さんに腕の状況をよく見てもらったところ、出血が止まりかけているとの事で、命に別条はなさそうだと言われた。
 少し安心した自分は、「どこの病院に運ばれるのだろう? お母さんがお見舞いに来るのに、なるべく負担がかからない病院がいいな」と思いながら、ストレッチャーで運ばれ、そして救急車に乗せられた。

 救急車で病院まで搬送されている間、「もう精肉の仕事はできないんだろうな」とか「家で食器を洗うのどうやったらいいかな」とか、いろいろな事を考えていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?