見出し画像

卒看を選べた理由

「私、アフリカで赤痢に罹っちゃってさぁ~本当に死ぬかと思ったの!」ガハハ!と笑顔でとんでもないことを話すのは、青年海外協力隊での活動経験がある看護師の先輩だ。進路に迷っていた私が彼女を誘うと、食事に連れて行ってくれたのだ。赤痢なんて、とんでもなく危険な病気なのに、先輩はいまビールジョッキ片手に笑顔で武勇伝を語っている。衝撃的だ。この人が生きていることも、そして日本という枠を超えた活動経験も。

ビールを飲みほした先輩に居酒屋の大きなメニューを差し出しながら、海外に行く決断をした理由を聞いた。すると、このまま日本で働き続けた先にあるものは「ただ長く看護師として働いた人」だけのような気がしたとのことだった。それだってすごいことだろう。先輩は続けて、「もちろんそれもすごいんだけどね、そのときは“自分だからできたこと”が欲しかったのよね」と語ってくれた。

寒空の帰り道でわたしは考えた。いままでの人生の中に、“自分だからできたこと”と語れるものはあるのだろうかと。進学も就職も、だいたい「みんなが」歩む道に沿ってそれっぽく生きてきた。それは周りからは褒められたが、一方で「みんなが」できることしかしていないともいえると気が付いてしまい、スッと酔いが醒めるのがわかった。

先輩は、その時の私には、“自分だからできたこと”がないことをわかっていたからか、「あなたには何かある?」とは聞かなかった。聞かないでいてくれた。だから私は自分で考えられた。夜道で酔いが醒め、顔がきゅっと引き締まったようなあの感覚がなければ、次の挑戦をしてみようとは思えなかったかもしれない。

気が付けば私は、退職届の書き方を検索していた。“自分だからできたこと”を作り出すことはつまり、前例が少ない未来に進むということだ。とてつもなく怖い。だが、いまは早く、“自分だからできたこと”を先輩に報告したい気持ちが勝っている。赤痢にはなりたくないけれど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?