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さあ、さきわう卒業からはじめよう

「はじめまして!」の今日は卒業の日。

「恥ずかしい」という、長い時間を自分と共にしてくれた
同志のようなこのキモチに支えてもらえる最後の日。

「恥ずかしい」がみじんも無いわけではないけれど、
卒業するに十分な学びを得たとわかったし、
何よりもう「恥ずかしい」を '別のモノ' に明け渡したい。


これは、そういう自分へのケジメとはなむけの記事です。

1. 恥ずかしさ発動のきっかけ

恥ずかしさの発動が、小学校入学してすぐのお絵描き時間だったことは
今も強烈に覚えています。

めいめいが絵を描いた後、全員でそれを上に掲げ、みんなの絵を見渡すと
当時の自分には 「プロの絵描き」 に見えるほどに素晴らしく完成度の高い ‘水槽に泳ぐ赤い金魚の絵’ が目に飛び込んできました。
後にわかるのですが、それは絵やマンガのうまさが学年で1、2を争う
Sちゃんの絵でした。

ガツンと頭をなぐられたような衝撃に、6歳の私は意気揚々と掲げた
自分の絵を反射的に下ろしました。自分はダメだと感じ、そのあと
強烈な ‘恥ずかしさ’ が襲いました。
 
生まれて初めてのこの強烈な打ちのめされ感。
それまで ’楽しいおもちゃ箱の世界’ しか知らなかった自分に
想像したこともない ’失望の世界’ があることを味わわせました。

「自分を表現することに対する怖れ」の出発点でした。
 
この時を境に
                                    
 誤ること、無知なこと、不出来なこと、
 
これら全てに ‘恥ずかしい’ というラベルを付け、自分の中に
ファイルし、成長する中、それは増えていくばかりでした。

2. 恥ずかしさのメリットと小学4年H君の自我

誰に教わったわけでもない ‘恥ずかしい’というキモチは、
‘自分の外側の世界‘ に触れ、反応した時の自発的な選択の結果でした。
 
そう考えると、「自分と自分の外側との差」にずいぶん注目していた
子どもだったな、と思います。
                                   
そして、その差が良い意味でも、悪い意味でも大きい時、
自分のココロをどうにか守ろうとして、‘恥ずかしい’ が発動するのです。
 
‘恥ずかしさ’ という、自分が自分に向ける矢印で自分を縛り
大人しくしていれば、それ以上、痛い思いをしなくて済む

幼いけれど、生き物としては、既にそういうことはわかるようでした。
 
 
一方で、‘恥ずかしさ‘ はとても便利でした。
どことなく消極的で受け身に映るせいで、リーダーシップが必要な任務を
課せられることも、大きな期待を寄せられることもなく、ひっそりと
ぬくぬくしていられるから。
 
自分の苗字の初めの音(例:森さんなら 「も」の音)を聞くだけで、
耳まで真っ赤になり、「太陽」というガチンコ嬉しくないニックネームで
呼ばれる自分には、この目立たなさは「安心」と「護り」でした。
 
 
ところが小学校も高学年になると、自分の意思を無視することに
少しずつ葛藤を感じるようになるのです。
 
小学校4年生頃の出来事です。

たびたび問題を起こすクラスメイトのH君の影響で、授業が中断することがありました。当然、そんな彼には友だちはおらず、いつもひとりぽっち。 
 
 どうして反抗的な態度で周りを困らせるんだろう?
 その理由はなんだろう?
 さみしくないのかな?
 
不思議だった私は何とか声をかけたいと思っていたものの、それは
恥ずかしくてできそうにありませんでした。
 
ところがある日、偶然一緒になった下校途中で、H君に思い切って声を
掛けることにしたのです。もちろん勇気、なんていうポジティブな心意気
ではなく、周りに誰もおらず、恥ずかしさが最小限で済むんじゃないか
というあくまで保身(?)に依ったアクションでした。

そこで、’自分をわかって欲しい’ というキモチが、H君に反抗的な態度を
取らせるのだと知りました。
ただ、なぜ “問題を起こす行為”でそれを表現するのかまではわからず、
かける言葉も見つからず、何も言ってあげられない自分に悲しくなって、
H君と別れた後、めそめそしながら帰宅しました。
  

3. ‘恥ずかしさ’ がこじらせるモノ

この小4のH君の行為のナゾは、だいぶ後になってから解けました。
人は自分のキモチに素直じゃないと、理解されにくい言動を取ると
知ったのですね。
 
中学生になった自分は、相変わらず恥ずかしいままでした。
クラスメイト達がそれぞれのびのび中学生活を送る中、自分も自分の
スタイルで学校を謳歌したいと思い、目指したのは「クール(な自分)」
という当時、憧れた少年ドラマの世界観。
 
これは男子を意識しすぎて、恥ずかしさで目を合わせられない自分を守る
‘テッペキ仮面’ にもなってくれました。クールで孤高なポジションでいる
限り「そういうキャラ」「話なさないタイプ」、と認知されるからです。
 
クラスの女子には 「今日から ’クール○○○’(名前)」 と呼んでね
 
そうこっそり宣言し、自分はどうすればもっとクールに立ち居振る舞い、
写真のポーズをキメられるのかな、と試行錯誤に余念がありませんでした。
だから全てはカンペキ、なはずでした。
 
でも、問題は大きくなるばかり。
‘恥ずかしさ’ をカバーするための この‘クール路線’ が更に自分を縛る
ことになったからでした。
 
 
ある夏の日の夕方、花火大会の誘いのために10名ほどのクラスメイトが
自宅までやって来たことがありました。
 
行きたいなぁ、楽しそうだなぁ、と思ったのですが、
 
  ‘クール路線’ の自分がみんなでワイワイ花火大会なんて
  そんなのまったくクールじゃない….
 
そう考えた自分は、「家の手伝いが忙しい」という理由で
誘いを断わりました。
 
それなのに 「どうして?せっかく誘ってくれたのに?!」 とたしなめる母親が
こともあろうにお詫びと称して、手作りちらし寿司を持参し、勝手にその
花火大会に参加したのです。
 
自分の思惑が親の参加ですっかり台無しになったことに不満な15歳の私が、帰宅後の母親とケンカになったのは言うまでもありません。
 
 
でも、これ。
素直に花火大会に参加すればよかったという話しで、ホンネに素直に
なれない身から出た大サビ(!!) というオチなのです。
 
「仲良くしたい、わかってもらいたい」 というキモチは同じでも、
 
小4のH君は ’問題ある行為’ 
中学生の私は ‘クール路線’ 
 
それぞれ表現スタイルは異なるけれど、その拗らせの構造は同じだった
のです。

4. 「中立」で恥ずかしさをしのいだ結果

時を経て、社会人になったものの ‘恥ずかしい’ はまだしつこく
自分と一緒でした。
 
その頃は、‘クール路線’ だけではなく、‘中立な人’ でいることで、
自分にさらなる覆いをし、テッペキ仮面はますます厚みを増しました。
 
フカンする視野を持ち、偏らないイメージの ‘中立な人’ は
スマートでカッコいいという風潮だったのも選択の理由でした。
 
 
そういう自分で過ごすうちに、自分の意見はココロに留め置き、
伝えるとしても本音よりずい分と内側寄りが多くなりました。
 
ここには「自分が誤り、無知で、不出来な意見であるとしても、
軽傷で済むだろうという計算」 があったからで、20代はこれで
何とか乗り切りました。 
ところが30代になるとそうも行かなくなり、職場でもそれ以外でも、
自分の考えを求められることが増えていきました。
 
 
そう言えば、当時の口癖は「普通がいい」 でした。
いつでもそれを口にする私に友人からは
「また出た、普通がいい!?」とからかわれました。
 
 
             * * *
 
 
普通とか中立ってどういうことだろう。
私たち一人ひとりに勝手な刷り込みイメージがあるだけで、
きっと実態なんか無いのでは?
 
だって「普通の人」を連れて来てと言われても、
思い浮かべる誰もいないもの。
 
だって生まれてから同じ学びや経験をしても、立場や環境によって
感じたり、考えたり、思いが作られるのであって、その時点でもう
既に「中立」ではないのだもの。
 
 
             * * *
 
 
それからまた時間が経ち、世の中は「個性」を謳うようになりました。
不惑を過ぎ、慣れ親しんだ ’普通と中立な自分’ にとり、「個性」はあまりにまぶしくムツカシく、どこから手をつけていいのか全く見当のつかない
テーマになりました。
 
既に「100年人生」 の半分を過ぎた今、これからをどんな自分として
暮らせばいいんだろう、と更なるループが始まりました。
 

5. 卒業後、手にして向かっていきたい場所

 
”「恥ずかしい」を ’別のモノ’ に明け渡したい”
 
これは冒頭に綴った一文で、明日からの自分に送るバトンの言葉。
 
‘普通と中立’ の覆いを取り去った自分をじいっと見つめたら
「好きな学びで、自分の居場所が欲しい」 とわかり、
 
ずっと前から知っていた本当の自分は、‘普通’ でも ‘中立’ でもなく
雑学と深堀りとユニーク路線好きな一介のオタクだと気が付きました。
 
 
ただ、間違わないよう、目立たないよう、異物にならないよう
長い間、無味無臭風味で我が身を保ってきた自分には、
それらは欠陥で、汚点で、常識はずれだと思っていたのです。
 
 
   ” でももう好きに学んで、好きに掘り下げ、好きに伝えて、
   それが王道から逸れに逸れるとしても、
   自分の暮らしが明るくなるなら、明日が待ち遠しくなるなら、
   そういう時間の中にとっぷり浸かり、身を置きたい "
 
これが ‘恥ずかしい’ というキモチと引き換えに手に入れたい
「じぶん流、希望ある暮らし」なのだから。
 
 
   言うほど簡単ではないのでは?
   そんな夢みたいなことができるんだろうか?
 
この後に及んでいくらでもまたループが始まりそうになるけれども、
こんなグルグルを衝突させている場合じゃない。
もうすぐこの「卒業の日」は終わろうとしているではないか。
 
だからもう ‘恥ずかしい’ のキモチに労いを伝えたら
今まで支え、護ってもらえたことへの「ありがとう!」も
差し出してしまおう。
 
それから伝えるんだ、
さきわう自分に卒業おめでとう、って。


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