見出し画像

私が探していたのは私だった。

私たちが常に外側に求めるものは、本当は私たちの中に既にある。

私は居場所を探していた。
どこに居ても、何をしていてもひとりぼっち
そんな感覚がどこかにずっとあった。

ぴったりと当てはまらない感覚があった。
でもそれは違った。

私はひとりぼっちという思考に光のを当てることによって、自分をひとりぼっち。にして
私はだめな自分だという思考に光をあてることによって、自分をだめな存在。にして
私は何も持っていないという思考に光を当てることによって、ないものを求めた。

本当は、ひとりぼっちではないのに。
本当は、在るだけで素晴らしいのに。
本当は全部あったのに。

私は自分自身の心を見ずして、
安心できる場所を外に求めて
誰かの承認を外に求めて。

本当は私に安心して、私に承認されたかった。
それだけだったのに。

いいよ〜✨🧡ってやってみなよ!
面白いね!ってただ受け入れてあげたいし
受け入れてもらいたかった。(私に)

ヨガの瞑想は全てが私が創り上げた結果、だったことを教えてくれた。
それは、私が求めていない結果でも、私の思考が求めていない結果に意識の光をあてていた結果である。

ヨガの哲学は私に心や身体は私ではないという
本当の意味を教えてくれた。
それは心や身体はエヴァみたいな乗り物であるということ。
そして、恐や不安、悲しみや苦しみなど、意識の光を当てていたのは私だったことを。

本当の私は私を照らし出す、意識の光✨
そのものであり、幸や不幸にも動じない存在である。

私たちの意識の光✨を私に照射した時、
全宇宙が私そのものであることに気付く。

それは、世界が私の反映であり、鏡であり、
私が思ったことが目の前に現れるただそれだけ。

私の内なる幸せは私の中にしかない。
それは私が「私」という肉体的なエゴを取っ払い✨
意識の光に全部を委ねた時、今ここから輝き出す。
それゆえ、私たちが心を清めることは、意識の光に気付くために必要なプロセスである。

ヨガは神様からの贈り物であり、私たちが解放されるチャンスを与えてくれる。

ずっと探していた私は「今ここ」にしか居ない。

Om shanti Om…

生きとしいけるものが幸せでありますように🙏🌱












この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?