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「共感」とはなにか?を言語化してみる

こんにちは、冬野です。

今日は、えんとつ町のプペルを友人におすすめした時に感じた商売人が持っておきたい大切な心がけと「共感」の正体についてお話します。

『えんとつ町のプペル』を観に行ったあと、これからの人生で何度でも観たい!

と思うくらい感動したため、周りの人には絶賛おすすめし、その翌日に早速、友人の一人が劇場に足を運んでくれる人がいました。

その友人は、

「ニシノの映画なんて大したことナイだろう」

「絵本が原作なんて幼稚園児は騙されてもオレは騙されない」

みたいな印象だったようですが、僕があまりに映画について熱弁するので、

「そこまで言うなら、、、」

と映画館に観に行ったみたいです。

で、観終わったあとにわざわざ感想をくれて

「絶対に自分なら選んでいない映画だけど、おすすめしてくれたおかげで良い作品に出会えました」

という言葉をいただきました。

僕が作った映画でもなければ、僕がプロモーションに関わった映画でもありません。

でも、自分が良い!と思うものを体験してくれて、一緒に感想を言い合えるのがなんて嬉しいことか。

これからは「共感の時代」なんて言われてますが、共感って言語化するとこういうことだと思うんですよね。

自分が良いと思うものをおすすめして、一緒に楽しめる。

これこそが共感の実態かなと。

おすすめするにしたって、誰でも彼でも良いというわけではありませんしね。

「この良さが分かって欲しい!!!」

と思う人にしかおすすめしませんから。

しかも、おすすめしたからと言ってその人が一緒の感情を抱いてくれるかどうかも分かりません。

だからこそ、一つの物事に対して

「これって良いよね」

という同じ感情を持てる人同士の結びつきが強くなる。

そして、その共感の結びつきが強くなればなるほど、強固なコミュニティメンバーとして一緒に歩んでいけるようになるのです。

では、なぜ、ほぼアンチ西野さんの立ち位置だった彼がえんとつ町のプペルを観に行こうと思ったのか。

僕のコピーライティング力とスピーキング力が高かったからでしょうか?

そうではなく、僕がおすすめする熱量が高かったことが彼を劇場まで足を運ばせた理由でしょう。

映画を見終わったあと、映画の余韻がすごすぎてちょっとしたトランス状態で僕が伝えたということも大きいでしょうが、どうやって伝えるよりも

「なんとしても伝えたい」

という熱量がこもった言葉が彼には届いたのでしょう。

これは共感の時代にはとても大切なこと。

というのも、今回は自分が良いものを良いと紹介し、お互いが良質な体験をして共感し合えたわけです。

しかし、世の中にはアフィリエイトや企業案件など、自分が良いと思っていない、むしろ使ったことすらないという商品やサービスを紹介している人はたくさんいます。

それを紹介された人と紹介した人では果たして共感は生まれるでしょうか?

もっと言うと、紹介者は熱量を込めてその商品を紹介することができるでしょうか?

これまでなら自分の言葉に熱量がなくとも伝え方のテクニックで誘導することもできたでしょう。

しかし、そんなテクニックを使ったメッセージが溢れかえっているこの時代、ユーザーはそういったメッセージには飽き始めています。

従来通りの広告手法やマーケティングメッセージでは効果が低くなってきていますしね。

これからの時代、共感を築けない発信者はどんどん淘汰されいくとしたら、自分が良いと思うもの以外を紹介している発信者からユーザーは離れていくでしょう。

コマーシャルに出るようなテレビタレントの人気が落ちてきているのも、コマーシャルで宣伝している商品をそのタレントが気に入っているわけではないとお茶の間は気づき始めているからです。

なので、僕たちのような個人が商売を行ったり情報を発信したりする上でやってはいけないことは「食べてもいないラーメン屋を紹介する」ようなこと。

発信するならば、自分が実際に使ったり体験したりした上でその商品やサービスの良さをもっと多くの人と共有したい!そんなものだけを紹介する。

これこそがこれから生き残っていける人だと思います。

くれぐれも目先の利益に目がくらみ、食べてもいないラーメンを紹介することがないように。

気高く飢えたまま生きていきましょう。

それでは、ありがとうございました。

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