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ADHDの22歳どうやって生きてきたの?

こんにちは、しんじろうです。

今日は、私のお話をさせていただきます。早速ですが、私はADHDです。ADHDという言葉は聞いたことがありますか?

注意欠陥多動性障害といい、忘れ物が多かったり、衝動買いをしてしまったり、気づいたら空想の世界にいた。なんてことが日常茶飯事で起きます。


今日、この記事を書く理由は、今苦しんでいる人たちがすこしでも気が楽になるといいなと思い記事を書かせていただきます。

初めにお伝えしたいのが、ADHDだから何ができて何が苦手というようなお話をしたいわけではないです。ADHDも一つの特徴でしかなく、人それぞれ悩みの深さも違います。そのことを理解していただきお読みいただきたいです。


私の幼稚園から高校生までの悩み

幼稚園のころは、ガキ大将のような存在でした。仮面ライダーやレンジャー(ガオレンジャー)などにはまっており、お友達を助けることに没頭していました。助けるといっても、何も事件がないのにあえて事件があるように見せかけ人助けをするという謎の行動をしていました。喧嘩が多かったなと思います。

小学生になると、虫取りに没頭しました。休み時間になると給食のパンを隠し持ち、中庭に行きありの巣にパンを置きありがパンを運ぶ姿を何度も見てました。

ただ、このころから一つの悩みができました。

それは、忘れ物です

宿題を忘れる。プリントを忘れる。月曜セットを忘れる。

そんなことが日常的に起こっていました。


中学生になると、机の周りがぐちゃぐちゃなのが恥ずかしかったです。それから、忘れ物も周りと比べて多かった。宿題やノートはほとんど提出できない。そんな生徒でした。

このころから、直そう!!って思いは芽生え始めました。


高校生になると、部活に没頭しました。授業はすべて寝て、成績は下から3番目。課題もやらず、部活だけしに行ってました。相変わらず、机の周りはぐちゃぐちゃ。もてたい!という気持ちとは裏腹に、女子からの悲しい評価。

そんな高校生でした。


大学生になり、さすがにやばい。「大人」が近づくにつれて変わらないとって思うようになりました。自分が片付けできないのは、やる気がないから。忘れ物多いのもメモしてないから。と言い聞かせて努力をしました。

でも、変わらず忘れる日々。とっても悲しかったです。

そんな私も、やばい。という気持ち一つで大学では成績一位を取りました。これは、勉強ができるからとか、やればできるんじゃんとかそういう話ではなく、とにかく危機感で勉強量を増やした結果だと思います。

そして、転学部のチャンスを得ました。同じ大学のより偏差値の高い学部へ転学することを決意しました。

そして、ADHDを知る

転学部の準備をしているとき、何度も必要書類を提出し忘れたり、期限ぎりぎりになったりしました。

これを直すために、ネットで方法を探しまくりました。その中で出会ったのがADHDでした。

最初の印象は、え?これ俺じゃん。え?直せないの?え?発達障害?うそでしょ?薬は?え????


って感じでした。発達障害という言葉に衝撃と大きなショックを受けたことを覚えています。

その後、私は抑うつ。大学辞める騒動。休学。などを経験しました。


でも、今は元気です。そして、目標を持ち努力もしています。自分も受け入れています。自分が好きと言えます。


今後のノート

どうやって乗り越えたのか?

今の悩みは?

などを今後ノートで更新していきたいと思います。


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今悩んでる人、乗り越えた人。ぜひお話お聞きしたいです。まだまだ、僕も悩みを抱える日々です。




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