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発達障害。人生終わった。

こんにちは!しんじろうです。

今日はADHDを知ってから、初めて診療したときのお話をしたいと思います。少しでも、今悩んでいる人たちが元気になれるように記事を投稿させていただきます。


初めて知ったとき

初めて知ったのは、電車の中でした。衝撃が大きく今でも覚えています。大学1年生の秋でした。

プリントが整理することが苦手でそれを解決する方法ネットで探しているときでした。

自分と同じ悩みについて抱えれているサイトがあり、そのサイト読み進めるとADHDという発達障害があることを知りました。

その時は、発達障害って自分とは無関係なものだと思っていました。しかし、ネットでの簡単なテストをするとほとんどが当てはまり。え?自分の悩みって発達障害だったってこと?という不安と絶望が押し寄せてきました。

調べれば調べるほど自分のことで悲しくなったことを今でも覚えています。


親へ相談

この、親へ伝えるときが最もつらかったです。

家に帰り、親に伝えると親は、「そんなことない」「考えすぎ」「いいかげんにしなさい」というだけでした。

親としても、ここまで育てた自分の息子が発達障害なわけがないという思いが強く私の言葉には全く耳を傾けてくれませんでした。(今は親も認めてくれました。本当に感謝しています。)

本当に苦しく悲しい時間でした。ずーっと一生懸命普通の人間を目指してきて、その普通には絶対になれない。そんなような気持ちでした。そして、普通になれないことを身近な誰も認めてくれない。これは全部自分が努力不足だからだ。とそんな思いが毎日続きました。

初診療

私は、それから自分自身が発達障害である可能性を世間に絶対にばれないように世の中の人に隠して生きていこうと決意しました。

薬があると知り、その薬をもらうために病院を探すことにしました。親にも、発達障害の診断だけは受けたいとつたえ病院に一緒に行ってもらいました。

最初に訪れた病院は大きな病院で有名な病院の心療内科でした。私は「やっと苦しみから解放される」とそんな期待で病院に行きました。

その期待は一瞬で蹴散らされました。

初診療で最初に言われた言葉は「あなたは普通に会話もできるし、違うでしょう。」

そして、この言葉で何も言い返すこともできず、診療は終わりました。

本当に苦しく、涙が止まりませんでした。


今思うこと

初診療のお話をさせていただきました。

今、思い出しても苦しくなります。でも、今そのような思いの人はたくさんいると思います。

今の自分と当時の自分で最も違うことは「発達障害の自分を受け入れる」ということです。

隠すことに固執していては、おそらく今も苦しみの中にいると思います。まずは、受け入れること。そのために、努力するということが大切なのかなと今は思います。

隠すために頑張るのではなくて、受け入れるために頑張る。同じ頑張りでもなんか違うような気がします。

生意気に書いていますが、私は今本当に元気です。でも、当時は死にたくなるほどつらかった。だから、そんな人たちの少しでも支えになりたいと思い、ノートを書いています。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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