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Vol.1 -宝塚市の雲雀丘ってどんなところ?-
【2016/11/7記-Facebookの未公開グループに投稿】
「美縁の泉」のメンバーには、東京はもちろん、北海道の旭川や九州の福岡、北陸は富山の女性もいらっしゃいますので、まずは改めて、今回のグループの拠点となる宝塚市雲雀丘についてお話してみたいと思います。
実はこの宝塚市雲雀丘、高級住宅地として全国的に有名な東京の「田園調布」のモデルとなった街なのです。
-写真- 宝塚市・正司邸(国
Vol.2 -雲雀丘は今年で100周年!-
>>>Vol.1より続く
【2016/11/08記-Facebookの未公開グループに投稿】
1900年の初頭、六甲山系と海に囲まれた理想的な地形を有したエリアに“阪神間モダニズム” と称される生活文化圏が醸成され、豪壮な邸宅の建築ラッシュが始まります。
ここ雲雀丘も、阿部元太郎という方が個人で10万坪という広大な土地を購入し、大正5年(1916年)に造成したのが始まりで、何もなかった山を切
Vol.3 -ヒバリの鳴き声で目覚め…-
>>>Vol.2より続く
【2016/11/09記-Facebookの未公開グループに投稿】
運命のなせる業とでもいいましょうか、罹災地の数多くの方々と同じように、私たち夫婦(*震災当時は全くの他人同士)もあの大震災を契機に大きく人生が転じることになります。
-写真- 阪神大震災で倒壊した阪急伊丹駅(当時の自宅から約300m)
妻との出逢いから駆け落ち?に至る過程については、あまりにも複
Vol.4 -小池百合子女史との出会い -
>>>Vol.3より続く
【2016/11/10記-Facebookの未公開グループに投稿】
小池百合子女史との出会いは、当時、自らの生きる意味を問い続けてきた私にとっては決定的なものでした。
2000年の初夏、ともに死力を尽くして難しい選挙戦を勝ち抜いた小池から、
「一緒に東京に行かない?」
と誘われ、国会議員会館に通うことになった私は、早々と自宅を手放す決意を固めていました。
今、
Vol.5 -愛する雲雀丘に戻る-
>>>Vol.4より続く
【2016/11/11記-Facebookの未公開グループに投稿】
-写真- 2001年に不動産仲介会社に売却を依頼した当時のチラシ
幸か不幸か?売りに出していた雲雀丘の住宅は、折からの地価下落傾向に拍車がかかり、もはや売却しても借金だけが残る状況下、とても購入時の価格で手放すことは望めなくなっていました。
妻の体調を鑑み、また(主題には直接関係しませんので詳細
Vol.6 -2つの政権交代?-
>>>Vol.5より続く
【2016/11/12記-Facebookの未公開グループに投稿】
さて、2009年のこと。
私にとっては重要な転機になった2つの政権交代?が皮肉にも、ほぼ同じ時期に起こりました。
小沢一郎政権の誕生を希っていたあの当時、それが手に届くかと思われた直前に、いわゆる“小沢事件”が仕掛けられ、親しかった3人の秘書が相次いで逮捕されて小沢は民主党の代表を降りざるを得ませ
Vol.7 -昔取った杵柄-
>>>Vol.6より続く
【2016/11/13記-Facebookの未公開グループに投稿】
もっとも、私たち夫婦にとって信州長野はそうそう頻繁に通えるところではなく^^;
休日のたびに Vol.1でご紹介した雲雀丘の高崎記念館をはじめ、神戸や大阪、京都のヴォーリズ建築を訪ね歩くのを楽しみにしていました。
また、歴代の愛犬たちを連れて信州長野へ足を伸ばす際には、その道中、ヴォーリズが愛した
Vol.8 -最期は雲雀丘で死にたい-
>>>Vol.7より続く
【2016/11/14記-Facebookの未公開グループに投稿】
きっかけは妻が通っていた歯科の女医から、
「舌の奥に気になる腫れがあるので、念のために診察してもらったら?」
という程度の話であり、まったく自覚症状もなかった妻も、そして私も一瞬、
「もしかしたら癌かも・・・」
という思いは過ぎったものの、
「舌癌のステージⅣで、すでにリンパにも転移している
Vol.9 -一期一会-
>>>Vol.8より続く
【2016/11/15記-Facebookの未公開グループに投稿】
手術を拒んだからといって、もちろん、妻も私も生きることを諦めていたわけではなく、癌を抑え込むために、自己免疫力を高める可能性があるものを積極的に取り入れていました。
かねてから通っていた信頼できる施術師の先生に身体をほぐしてもらう回数を増やし、家や車内ではヒーリング音楽を流し続け、お気に入りのレスト
Vol.10 ― 本当に大切なもの ―
>>>Vol.9より続く
【2016/11/16記-Facebookの未公開グループに投稿】
その日、心のこもった死化粧を施してくださった看護師が帰られた後、
「娘以外には誰にも知らせないで」
という遺言にしたがって、ほぼ丸一日、楽しかった出来事や苦しかった場面などの思い出を話しながら一昼夜、妻に付き添いました。
翌朝、雲雀丘の自宅に駆け付けた娘が、
「お母さん、笑ってるやん」
と