Vol.10 ― 本当に大切なもの ―
>>>Vol.9より続く
【2016/11/16記-Facebookの未公開グループに投稿】
その日、心のこもった死化粧を施してくださった看護師が帰られた後、
「娘以外には誰にも知らせないで」
という遺言にしたがって、ほぼ丸一日、楽しかった出来事や苦しかった場面などの思い出を話しながら一昼夜、妻に付き添いました。
翌朝、雲雀丘の自宅に駆け付けた娘が、
「お母さん、笑ってるやん」
ということばを投げかけたくらい、あらためて惚れ直すほどの安らかな、それはそれは美しい死顔でした。
その後、葬儀屋の友人が、あらかじめ頼んでおいた棺を部屋に運び入れ、
「何か奥様が大切にされていたものを棺に入れてあげてください」
といわれたものの、
「あまりモノに執着する女性ではなかったからなあ~」
という私に対し、
「お父さん、さっき自宅前の坂を上がってきた時、庭に花が咲いているのが見えたんやけど…」
そういう娘のことばに、
「庭に? この時期に?!」
そして、閉め切っていたカーテンを開け放った私たちの目に飛び込んできたのは…
ことばを失いました。
もうクリスマスも近いというのに、季節外れのバラやラベンダーなど、色とりどりの花々が自宅の庭で咲き乱れていたのです。
-写真- 庭の外壁にまで咲き乱れるバラの花々
これを ”奇跡” というのでしょうか。本当に大切なものは目には見えない。それが貴女の口ぐせでしたね…
たしかに妻が大切にしていたものがそこにありました。
・・・・・
エピローグ
公正証書まで作成して、告別式はおろか、その死を一週間は伏せること、火葬は娘と2人だけで行うこと、そして、一片の骨を拾うことさえ許さないという、妻の苛烈さ優しさを噛み締めながら、精進落としをするために娘と2人で向かったのが “あぷりこーぜ” でした。
-写真- いつもの席で娘と二人だけの精進落とし
喪失感に苛まれながらも、同じ思いをしているに違いない娘に対し気丈に振る舞わねばと、いつも妻と食事をしていたテラス席に2人で座り、初めてこのお店を訪れた娘と相対したその刹那、、ああ何という “有り難い” ことでしょう。
妻は居なくなってしまったけれど、彼女の血を分けた娘が今、こうして目の前に居てくれている。
血の繋がりはなくても2人は紛うことのない父娘であり、互いにこの試練に打ち克っていくうえでの、かけがえのない同志でもあるという思いが胸にこみあげてきました。
娘とも20年の歳月を重ねてきたわけですが、このときほど彼女を愛おしく感じた瞬間はありませんでした。
今後、どんなことが私たちの身に起きようが、娘やその子達との “絆” が断ち切られることはないでしょう。
美由紀へ。
貴女が愛した娘や愛犬たち(ファミリー)は、責任を持ってしっかり見守っていくからね。
そして私自身が、貴女や娘に恥じることのない人生を歩んでいくことが何よりの供養になると思って、これからの日々を大切に過ごしていきます。
-写真- 雲雀丘の庭は大きな愛で溢れていました
この項、了。
第二部「今、私が考えていること」に続く>>>
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