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書評:野崎昭弘『逆説論理学』

論理的な矛盾を発見するトレーニングを楽しむ

今回ご紹介するのは、野崎昭弘『逆説論理学』という著作。

※著者には他に『詭弁論理学』という著作があり、楽しさとしてはそちらの方がより愉快である。

私が読んだのは高校生の時(90年代中頃)だったので、今回一応さっと読み返したのだが、初版が1980年とのことで、例えば「国鉄渋谷駅のみどりの窓口」なんていう表現が出てきたりなど時代を感じさせる部分があり、個人的にはそれもまたポイントが高い。

さて本著であるが、様々なタイプの逆説≒パラドクスや矛盾を含む主張を紹介しながら、読者と一緒にそれらのどこにおかしな点が潜んでいるかを考えよう、という内容となっている。

一般に、「自分の頭で考えることが大切」なんてことが言われる。

この主張は多分に、「他人(メディアや世論含む)の意見に左右されない自己を確立すべし」という、言わば精神論的なニュアンスを持つものとして使用されているように思われる。

私は精神論的な独立も非常に大切であることを些かも否定するつもりはないのだが、世の中には一見それっぽい主張だけれどもよくよく考えると論理的におかしな点を含む意見というものがあり、私達の一般生活においても実は意外なほどにそうした主張に出会うことがあるものだ。

そんな主張に出会った時、精神論的な独立主義だけでは仮に騙されることは避けられたにしても、その主張の「何が・どこが」おかしいのがを指摘できないと、自分の考えを持つことができているとまでは言えないのではないか、と思うことがある。

例えば、本著でも紹介される有名な「ゼノンのパラドクス」というものがある。
「後方から亀を追いかけるアキレスは決して亀に追いつけない」というヤツだ。

「そんなのおかしい!」
「現実にはアキレスが亀に追いつけないなんてことは起こらない!」

こんな反駁は、他人の意見に左右されない「感情」を持っていることにはなるかもしれないが、残念ながら自分の「意見」「考え」を持っているとは評価し難いのではないだろうか。

やはりこの場合、「ゼノンのパラドクス」のどこがどうおかしく、だから結論において矛盾が生じるのだ、と主張できて初めて自分で考える力を持っている人だと評価できるのではないかと思う。

より抽象的に言えば、論理的に誤謬を孕む主張に対しては論理的な誤謬を論理的に指摘できてこそ、自分で考えることのできる人だと評価することができるのだと思う。

その場合、必要なのは「論理的に考える力」だ。

「自分で考える人」であるためには、精神論的な独立ももちろん大切だが、「論理的に考える力」を備えておくことも求められるのだ。

そして本著の趣旨は、様々な逆説、パラドクス、誤謬を含む主張に触れながら、論理的に考える練習をしましょう、という誘いとなっている。

本著には面白い点がもう1つある。

「ゼノンのパラドクス」を筆頭に、本著で紹介される逆説等はどれも歴史的にも有名なものが多く、過去の思想家・哲学者らがどのようにそれらに向き合ったかというエピソードの紹介集として読むこともできる、という点だ。

そんなエピソードの1つとして、例えば「ゲーデルの不完全性定理」に関するトピックも扱われている。

20世紀の数学界のスーパースターであるヒルベルトが目指した完全無矛盾な公理系の構築(いわゆる「ヒルベルト・プログラム」)や「形式主義」に対し、大きな打撃となったゲーデルによる不完全性定理の証明の物語。

そこには、一般にパラドクスや矛盾を孕む主張を生み出しやすいとされる「自己言及性」が確認されるという事実。

数学史や数学の物語が好きな人にとってはこれほど読みやすく面白い話はないと言っても過言ではないだろう。

他にも、カントールの集合論と無限論のエピソード。
この辺りに興味を抱いた方には、野矢茂樹先生の『無限論の教室』という著作も楽しい読み物としてオススメできる。

知的興奮を手軽に楽しみたい方には是非オススメしたい名著だ。

読了難易度:★★☆☆☆(←考えながら読むことになるので)
例題豊富度:★★★★☆
数学物語の充実度:★★★☆☆
トータルオススメ度:★★★★☆

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