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書評:フェルナン・ブローデル『歴史入門』

アナール派歴史学の大家ブローデルによる史観説明

今回ご紹介するのは、フェルナン・ブローデル『歴史入門』という著作。

本著は、歴史学の学派であるアナール派の大家ブローデルが、その著書『物質文明・経済・資本主義』の内容を大まかに講演という形式で紹介したものである。

まず、歴史学におけるアナール派とは如何なる学派か。

従来歴史とは、時間軸に沿って時代を区切り、主に政治的ないし軍事的な事件の展開を順に追ってたどり、それらの出来事をつなぐものとして経済や文化の状況が参照される、という記述法が踏襲されてきた。つまりそこでは、政治的な出来事が歴史の主役であり、歴史とは政治史に他ならなかったと言えよう。

こうした従来型歴史記述に対し、アナール派は2つの点で目の付けどころを異にする。

1つには、過去の考察に際して、縦軸の他に、水平の軸を、言い換えれば、時間の概念の他に、空間の概念を導入したことである。

そしてもう1つには、重なり合った層の中でとりわけ一番下の層、ブローデルが「物質社会」と名付けた人々の日常生活の層に注目したことだ。

この特に後者の視点において重要なのは、人間の活動(とりわけ経済活動)の基底に生活習慣とでも言うべきほとんど変化しない活動があり、その存在に注目した点にある。

そしてその上位に交換経済としての市場経済が、最上位に支配関係に基づいた資本経済が成り立つと考えた。

ここからアナール派の史観は、物質社会-市場経済-資本経済という構造を以て歴史を捉えるものであることがわかる。

さてこの史観に基づいて歴史を見た時、例えば資本主義経済はどのように見えるのだろうか。

まずは、社会構造(支配関係の縦軸と中心-周辺の横軸)は人間が社会を営む上で常に存在してきたものであり、資本主義もその本質においては決して近代の新しい発明ではないことが確認される。

その上で、上述の社会構造の存在を前提と見た時、習慣的物質社会をその底流にもつ市場経済・資本主義は、実はそれだけ強固なものだという認識が生まれる。

これを、以前投稿したマックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の主張と比較した時、産業資本主義の誕生・進展の基底にはプロテスタンティズムによってもたらされた「世俗内的禁欲」という精神性があったことを強調する彼の史観とはかなり距離のある立論であるように感じられるかもしれない。

ただこの差異については、以下のように整理・理解できるのではないだろうか。

即ち、アナール派・ブローデルは、人類の基底流として滔々と流れゆく「変わらないもの」を重視する史観であり、ヴェーバーは上記著作においては、宗教的精神性という「変わり得るもの」の影響を重視した立論を組んだという違いである。

立論の基礎が異なるということは、両者が対立する主張ではなく、相互補完的な関係を構築し得るものであることを示唆する。「変わらないもの」と「変わるもの」はそれぞれ別のものを指すからだ。

ところで、アナール派の社会構造重視の史観にも難点はある。

それは、基本的に変化しない、変化しても長い時間をかけていく人間の習慣的社会をそのターゲットとするため、現実の政治・経済のアリーナで活発に活動する(つまりどんどん変化する)上層の活動を読み解くことが難しくなるという点だ。

これは、アナール派に属する歴史家の政治に対する行動様式にも表われていると見ることもできる。例えば、サルトルはアンガージュマンを唱え積極的な政治参加の必要性を訴えたことで知られるが、アナール派知識人は政治的沈黙を守る傾向があると言われている。

しかし、アナール派の原点に立ち返り、人間の歴史は一体誰が担うのかを考えてみるに、政治や経済のプレイヤーだけかその主体ではなく、多くの習慣的個人が社会を形成し、交換市場経済を支え、資本主義をドライブしているという基礎認識を改めて確認する必要があるだろう。

政治参加に消極的であることは、彼らが社会参加にも消極的であることを些かも意味するものではない。

彼らの基本認識にとってみれば、歴史はその深底まで見なければ本質は見えてこないのであり、経済や政治、軍事などの上層の把握・分析は、少なくとも史学においては表層研究に過ぎないことになるからだ。

いずれにせよ、学術的な史観には様々な立場がある。
これらはどれが正しいという話ではなく、人類は歴史に対し色んな切り口を持っているものと捉えることができるのではないだろうか。

切り口は「視座」という言葉に置き換えることもできよう。
物事の本質の把握に迫るには「視座」の複数性は不可欠の要素であり、歴史学において複数の史観が存在することは非常に好ましい状況であると、私は捉えている。

読了難易度:★★☆☆☆
アナール派概要把握度:★★★★☆
網羅的故に的を絞りにくい度:★★★☆☆
トータルオススメ度:★★★☆☆

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