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書評:アレクサンドル・デュマ『三銃士』

『三銃士』に見られる史実に基づくリシュリューの政治手腕

今回ご紹介するのは、フランス文学よりアレクサンドル・デュマ『三銃士』。

アレクサンドル・デュマ(通称大デュマ)の代表作と言えば、『モンテ・クリスト伯』か『ダルタニャン物語』だろうか。

後者については、日本ではその全編よりも一部である『三銃士』が良く読まれているのかもしれない。

かく言う私もその1人である。

『三銃士』は大デュマの大作『ダルタニャン物語』の先頭に位置する作品で、主人公ダルタニャンと3人の銃士(アトス、アラミス、ポルトス)の友情と冒険を描く、謂わば西洋型任侠小説である。

ストーリーは痛快で、『モンテ・クリスト伯』に比べてもシンプルで、何よりも短いため、楽しみやすい作品だと思われる。

作品として面白いのは言うまでもないのだが、私個人としては本作のある登場人物の存在のおかげで、当時の現実の歴史や政治に想像を膨らませることができるため、特に好みの作品だ。

その登場人物とは、枢機卿リシュリューである。

リシュリュー。
高校世界史でも余裕で目にする、実在した人物であり、ルイ13世のもとで宰相を務め、後のフランス絶対王政の基礎を築いた名政治家とされる。

この人物が作中に登場することで、本作はダルタニャン達の冒険活劇とはまた違った側面を魅力として持つ作品になっている。

本作においてリシュリューはダルタニャンたちにとっての反対勢力である権力者として登場するのだが、この手の任侠小説に登場する権力者としては異例なほどに私利私欲とは縁遠く、国威発揚に精力的に取り組む人物として描かれているのだ(史実のリシュリューに対する評価も、概ねこのような人物だったというのが一般的な模様)。

大抵、任侠系物語の権力者などというのは、

悪代官:越後屋、そちも悪よのう?
越後屋:お代官様には敵いませぬ。

をテンプレート化した私腹を肥やす悪党どもと相場が決まっているのだが(←偏見)、リシュリューのような権力者が登場すると、先の展開が良い意味で読み辛くもなり、ワクワク感を抱いたまま読み進めることができるのだ。

およそ一般に権力者とは、私欲を超えて組織・国家の大儀に生きることが求められるべきなのだが、残念ながら権力の魔性とは恐ろしいもので、多くの権力者は私利私欲のハードルを越えることができないという現実が他方にあると私は思っている。

それ故、そもそもリシュリューのような気概を持つ権力者が実際にいたということからして既に稀有な事象だろう。

だが、私利私欲を超えた気概を有するだけでは名政治家・名権力者として名を成せることは難しい。どんなに稀有でも気概を有すること自体は名権力者たるための前提・必要条件でしかなく、当然その上で「優秀」でなければならないだろう。

権力者を名権力者たらしめるのは最終的には「手腕」である。

本作のリシュリューが見せてくれるのは、一言で言えば「清濁織り交ぜた政治手腕」だ。

権力行使は決して綺麗事だけでは済ませず、時には犠牲者を生み出しながらも国威を発揚すべく政策を実行していくという政治スタイル。

リシュリューが生きたのは、ウェストファリア以後帝国主義の時代への移行期であり、国威発揚が国家保護の見地から見て如何に重要な政策であったかは想像に難くない時代であった。

そうした時代背景も視野に入れて本作を読むと、作中のリシュリューが体現する政治手腕が時代の要請に適したものであったかを伺うことができ、史実のフランス史(絶対王政建設期)を生々しく捉える一助にもなってくれるのだ。

本作をリシュリューに注目して読むと、意外に読み応えのある小説になってくるので、そうした視点もオススメしたい。

読了難易度:★★☆☆☆
ワクワク度:★★★★★
三銃士しか読んでないのにダルタニャン物語全部読んだフリしたくなる度:★★★★★
トータルオススメ度:★★★★☆

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