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書評:森鴎外の『知恵袋』(小堀桂一郎 訳・解説)

他者との接続志向の人生訓

今回ご紹介するのは、「森鴎外の『知恵袋』」という著作。

本著は、鴎外による「良識ある振る舞い」に関する考えや助言を集めた、言わば鴎外の箴言集のような著作である。

本の構成は、全500ページ中160ページ程度が鴎外自身による原文、その他はその現代語訳と解説から成っている。

鴎外自身の文章は、古文調から現代語への過渡期にあった、いわゆる「擬古文」と呼ばれる言葉で書かれている。
同じ内容の現代語訳が付されており、「擬古文」が苦手な方は現代語訳だけを読みその内容を知ることができる。

私が本著を最初に手に取ったのは高校生の時のこと。
完全に国語の受験勉強の一環としてであった。

毎年必ず「擬古文」の問題が出題される大学があり、万一そうした大学の受験を目指すことになる場合に備えて、「擬古文」に慣れ親しむことが手に取った目的であった。

入試対策として「擬古文」を読み慣れるための最適な著作として当時は知られ、当時ほとんど本を読まなかった私としては珍しく手に取り、文体に慣れるために繰り返し読んだことをよく覚えている。

さて本著であるが、前述のように鴎外による「良識ある振る舞い」の助言集とであり、さながら「自己啓発の日本の古典」と言うことができるかもしれない。

とは言え、私は現代の自己啓発本は正直全く読まない。
いやらしい言い方となるが、私の知らないことが一切書かれていないジャンルだというのが理由の1つだ。
より本音レベルの理由としては、現代の自己啓発本には、「読者個人を慰めはするが、読者を他者に対し冷たくなるように仕向け、他者に無関心になるように仕向けるような悪書が多い」と感じるからだ。

ただ本屋やAmazonでタイトルは目にする。
これもいやらしい言い方となるが、タイトルだけでおおよその内容、その内容の基にあるもの(例:聖書など宗教哲学、哲学・心理学の誰に基づく)、またはその逆に過去の剽窃に基づかない単にキャッチーなだけの商業書籍であることなど、見当をつけることもできる。

であるが故、全く読まない自己啓発本と「森鴎外の『知恵袋』」を比較することはできると自負している。

現代流行する自己啓発の特徴を『森鴎外の知恵袋』との対比から抽出するならば、恐らくその大きなものとして「社会や世間と自己の分断による安寧を勧める」タイプ(例:自分らしさを大切に、人の目を気にしない生き方、みたいなの。他人をバカにする内容のものも分断型の亜種)が目立つように思われる。

逆に『森鴎外の知恵袋』の特徴を現代自己啓発との対比に求めるならば、「徹頭徹尾社会・世間との接続を前提とした助言」からなるという点が挙げられよう。

例えば本著の「十三 世話」という項には、

「人の終に汝を棄てざらんことを欲せば、汝先づ人を棄てざれ。(中略)遁世者ならぬに人を棄て人に棄てらるゝことは、利を好む人の上に多し。堕落の道なり。」

とある。
人との分断は利害損得の振る舞いであり、堕落の始まりだという主張だ。

このように、鴎外の人生訓は他者との交わりを前提に、自己を律し、泰然たる自己を築き上げるための言わば「鍛錬」が並ぶ。
故に要求は厳しい。

こういうものは今の時代には受け入れられないかもしれない。
何せ、本来は「他者の立場に立ってその気持ちを理解すること」という、他者の気持ちを大切にすることを意味する「忖度」という言葉が、とんでもなく誤解され「権威への姑息な追従術」のように理解されるような時代だ。

例えば人と待ち合わせをしていたとしよう。
時間ちょうどに待ち合わせ場所に行くことに何の疑問も抱かない、正当な行為であると心底思っている人は、鴎外からすれば「堕落」だろう。
先に相手が到着し、待ち合わせ時間の1分前にその人が抱くであろう気持ちを想像し、「待ち合わせ時間まであと1分あるのだから、まだ来ていなくても当たり前」と思ってくれるだろうと想像するか、「待ち合わせ時間まであと1分しかないのに、まだ来ていない。不安で心配」と思うのではないかと想像するか。
相手があり、相手の気持ちが不安や心配を抱く可能性を推し量るならば、時間ちょうどに到着する人は本来の意味での「忖度」ができない自分本位な人、相手が不安や心配をまだ抱き始めない時間(例:5分前)に到着することを目指す人は、本来の意味での「忖度」ができる人。

この待ち合わせの話は私が考えたものだが、鴎外の人生訓はこのような「うわぁ細けぇな!」「しんどい!」と現代人の一部が辟易してしまいそうな内容に溢れている。

自身を律し泰然たる自己を磨くことは、楽をすることとは対極にあるからに他ならない。

ところで、」自己安寧追求の流行の傍ら、「日本人らしさも大切」「和の心、他者への配慮も守りたい」という考えもよく聞かれるところだ。

しかし伝統的な「日本人らしさ」というのは、結構努力して育て上げなければならないものが実は多い。
自己を律するという意識が日本人の意識のベースラインにあって初めて伝統として守っていける性質のものが多いのだ。

「日本人らしさ」とは、このように一人一人が楽に逃げずに努力しなければ守れないものだということに留意すべきであろう。

そんな「日本人らしさ」とは何か?について、具体的に言語化された形で知るにあたり、本著は多くの情報と示唆を与えてくれるものだと思われる。

読了難易度:★★★☆☆
社会・世間との接続度:★★★★☆
実践難易度:★★★★☆
トータルオススメ度:★★★★☆

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