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千字薬-本田宗一郎から学んだことども-Ⅰ.1960年代

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ホンダのカー・デザイナーとして、経営陣のひとりとして、デザインと経営を見つめてきた経験を1エピソード、千字で書き綴った連載。(初出:1998年) 1960年代(20代–志学)
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2020年8月の記事一覧

第11話.知恵を出せ

1966年「ホンダN360」の開発が、艤装部品など小物デザインの段階に入った頃のこと。「アイデア…

岩倉信弥
3年前
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第12話.見る、視る、観る

1966年四輪走行テスト室で、「デザインした者をここへ呼びなさい」と言って、本田さんが怒って…

岩倉信弥
3年前
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第13話.色の道

1967年 「ホンダN360」は、いよいよ色を決める段階にあった。カラー・ラインアップはシンプル…

岩倉信弥
3年前
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第14話.とことんやる

1967年その日から実車との睨めっこ。街で見て気になったところを、デザイン室に戻って確認する…

岩倉信弥
3年前
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第15話.逆もまた

1967年軽ライトバン「ホンダLN360」の試作初号機が完成。後部扉の上下2枚開きが特徴である。…

岩倉信弥
3年前
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第16話. 100マイルカー

1968年「アメリカは、今や時速100マイル(160Km)カー時代ですよ」と、出張で日本に来たアメリ…

岩倉信弥
3年前
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第17話. 原理原則

1968年「ホンダH1300セダン」のクレーモデルを見て、「ここが凹んでいる。こういうのは弱く見えて駄目なんだ」と本田さんが。いよいよボディ断面の検討に入っていた。やっている当人にはボディを凹ましている意識は全くない。どこのことかと戸惑っていると、「ここだ」と指を。 そこは丁度ボディ側面の肩口の辺りで、ドアの上部から100ミリほど下がったところ。前から後ろまで通した強い線が通っている。その線から上の面に対し、下の面を一段落とし込んで出来た段差に逆アール(円断面)を付け、そこに

第18話. 地獄から天国へ

1968年車体の試作室で本田さんが担当者を呼べと。上司から「おまえ行ってこい」と言われる。「…

岩倉信弥
3年前
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第19話.あわせたてつけ

1968年「ホンダH1300」セダンは、量産立ち上がり段階にあった。開発チームは、トランク後面の…

岩倉信弥
3年前
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第20話.ガンメタ

1968年ボディの溶接行程後の組立ラインで、テールランプをビルトインしたリヤガーニッシュ(ト…

岩倉信弥
3年前
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第22話.万事休す

1968年材料研究室のHさんから、「大至急来てくれ」と悲痛な電話。跳んでいくと、そこには「ホ…

岩倉信弥
3年前
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第23話.運転手

1968年深夜、工場の片隅でみんなして頭を抱える中、化成課の名人と言われる主任技師Rさんの発…

岩倉信弥
3年前
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第24話. イメージの共有

1968年不意に本田さんが見えて、「車の顔はな、へらへら笑っているようなのとか、めそめそ泣い…

岩倉信弥
3年前
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第25話. 大発明のわけ

1968年「これをやったのは、誰だ!」と、本田さんが怒っているという。鈴鹿工場に新設された「ホンダH300セダン」の溶接ラインの前。塗装前の車体が溶接の仕上げ工程で止まっているらしい。そこでは、本来はロウ付けで埋める溶接のつなぎ目を、溶接精度が出ないためハンダ仕上げで対応していた。 立ち会っていたラインの責任者が、「溶接の精度が上がれば大丈夫です」と答えたが、「そんな問題じゃないんだ」と怒鳴られてしまったという。「すぐ担当者を呼べ」という話が研究所に伝わり、「おまえ行ってこ