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第25話. 大発明のわけ

1968年

「これをやったのは、誰だ!」と、本田さんが怒っているという。鈴鹿工場に新設された「ホンダH300セダン」の溶接ラインの前。塗装前の車体が溶接の仕上げ工程で止まっているらしい。そこでは、本来はロウ付けで埋める溶接のつなぎ目を、溶接精度が出ないためハンダ仕上げで対応していた。


立ち会っていたラインの責任者が、「溶接の精度が上がれば大丈夫です」と答えたが、「そんな問題じゃないんだ」と怒鳴られてしまったという。「すぐ担当者を呼べ」という話が研究所に伝わり、「おまえ行ってこい」ということに。取るものもとりあえず新幹線に飛び乗った。


溶接ラインの仕上げ工程の前で本田さんが立っていた。私を見るなり、「君は人を殺す気か」と。人殺しとは穏やかでない。突然のことでびっくりしたが、よく聞くと、「ハンダ」は鉛と錫の合金で鉛の粉塵は身体に悪い。長く吸っていると人の命に関わる、ということだった。
研究所では、ホンダH1300クーペのクレーモデルが進んでいた。これを見た本田さんは、「これはどうするんだ」と。設計からはセダンと同じやり方でと聞いていた。が、そんなことを言える雰囲気ではない。「これからです」と答えてその場を凌いだ。
ところが、見える度に「どうした」「どうする」と聞かれて、デザイン室は悲鳴をあげた。この拘りの凄さに出会って、やっと、「そんな問題じゃないんだ」の本当の意味が解ってきた。「均質なものを安定して量産する」「安全なくして生産なし」との、製造業の基本を教えられた。
幾つかの案の中から選ばれたのが、ルーフの両サイドに2本、スポット溶接をする溝を前から後ろまで通し、その部分をゴムモールで隠す「モヒカン方式」。「モヒカン」とはアメリカインディアンの部族の名前、男子のヘアースタイルが、ルーフの両サイドに2本入ったゴムモールによく似ているので名づけられた。


それにしても、「人の命」という哲学的な言葉が生んだ大発明である。開発は進んでいたが、急遽この方式を採用することになった。設計担当と私で、特許、実用新案、意匠登録を申請。が周りからは、格好が良くないといい顔をされなかった。
この新しい結合方法は、新しい車体構造(サイドパネル方式)を生み、新しい溶接方法(ジーダボ方式)をつくり出す。商品には軽量化や高剛性というメリットをもたらした。今では、世界中のどのメーカーも、当たり前のようにこの方式を使っている。

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