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千字薬-本田宗一郎から学んだことども-Ⅲ.1980年代

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ホンダのカー・デザイナーとして、経営陣のひとりとして、デザインと経営を見つめてきた経験を1エピソード、千字で書き綴った連載。(初出:1998年) 1980年代(40代–不惑)
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#ホンダレジェンド

第143話. 身体が動けば心が動く

1988年 「岡本太郎は、芸術は爆発だと言ってるが、だったらデザインは感動だな」と本田さんが…

岩倉信弥
3年前
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第144話. スポーツカーか高級車か

1988年 久しぶりに、本田さんがデザイン室を覗かれた。「これを見るのが目の保養、お陰で楽し…

岩倉信弥
3年前
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第142話. 富士山

1988年 「日本人は、どうして富士山が好きなんだろうね」と本田さん。咄嗟のことに「美しいか…

岩倉信弥
3年前
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第131話. 長崎の出島

1986年   ある日、「この辺りを走ってる車、みんな白いね。東京の真ん中で走ってるのは、みな…

岩倉信弥
3年前
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第129話.鶴の如く

1985年 「ホンダレジェンド」4ドアセダンの開発時には、未知への挑戦が重なり、随分と悩み勉…

岩倉信弥
3年前
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第127話. マネすんな

1985年 初代「ホンダレジェンド」の前回りのデザインを見て、いきなり、「マネすんな」と本田…

岩倉信弥
3年前
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第128話. スポーティーな2ドアクーペ

1985年 いろんな体験を重ねながら、エグゼクティブカー「ホンダレジェンド」4ドアセダンのデザインは進められた。が、「ホンダのアイデンティティとは?」という課題には、かくありたしという想いはあるものの、具体的な答えを出せないまま時間切れとなる。 「一緒に、アメホン(アメリカンホンダ)へ行ってくれ」と、ローバー社との共同開発で責任者をされている本田技研専務から声をかけられた。開発中の「エグゼクティブカー」をアメホンへ売り込みに、とのことである。 どう見てもこの車が、日本でたく

第125話. イタリアの靴

1985年   「レジェンドの椅子が分かる者を、ちょっと寄こしてくれ」と、ホンダ創業者のお一人…

岩倉信弥
3年前
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第123話 高級車への一歩

1984年 国内市場での「ホンダレジェンド」の販売は、開発メンバーの思い入れをよそに、予想以…

岩倉信弥
3年前

第124話. 鉄仮面

1984年 「ホンダレジェンド」の、はじめてのマイナーモデルチェンジのデザイン作業が完了した…

岩倉信弥
3年前
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第122話 フラッグシップカー

1984年 久しぶりに研究所に見えられた本田さんから、「レジェンドは、デザインが悪いから売れ…

岩倉信弥
3年前
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第111話.全身是居住性

1983年大阪支店の要請による、関西地域のプリモ店大会でのスピーチを無事に終え、東京に戻って…

岩倉信弥
4年前
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第112話. パイプ・インパネ

1983年インテリアデザインの方も、エクステリア同様に人手がなかった。一番手間ひまのかかるの…

岩倉信弥
4年前
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