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第127話. マネすんな

1985年

初代「ホンダレジェンド」の前回りのデザインを見て、いきなり、「マネすんな」と本田さんに厳しく。顔は、人はもちろん車にとっても大切なもの。ことに、レジェンドはホンダの旗艦車種、独自性や最高の技術が期待される。当然、他社車の真似など許されるものではない。と、そう思ってやってきた。
この10年あまりで、「N360 」から「シビック」そして「アコード」と、「先進性」と「スポーティさ」で、次々と人気車を世に出してきた。だが、中身(質)はどうかと言うと自信はない。いっぱしのデザイナーになったつもりでいたが、この先、これまでの延長線ではとても無理だと感じ始めていた。「マネすんな」は、胸にぐさりと刺さる。
学習」の「学ぶ」は、「真似る」が語源。人は小さい頃は両親、長じては先輩や先生を真似ながら大人になる。「写生」は自然をそっくりに写すこと。「模写」は先輩の作品を正確に再現することを言う。いずれも徹して真似することだ。それを懸命に繰り返すうち、「なぜ?」「どうして?」と対象の本質に迫り、いつしか「真に似る」ことができる。
「習う」の語源は、「馴れる」。同じことを何度もやるうちに馴れてきて、目を瞑ってできるようになると独りでに自分のものになり、これを「身につく」とか「板につく」と言う。身に付くとは着物を上手に着る工夫を繰り返すと着物と身体が一体になること、板に付くとは能や歌舞伎で練習を重ねると板(舞台)が自分のものになること。
このように優れた手本を「真似」て身体で覚えるまで「馴れる」ことを「学習」と言う。生半可な努力でできることではない。まずは良いお手本を見つけ、それをもとに学習を重ねることで基礎が身に付く。その上で初めて、その人なりの個性がつくり出される。 
マネは先人を追随するだけではないかと。が、真似るものがあることは、積み重ねられた伝統があるという証明。マネしてもなお自ら出てくるものが「真の個性」なのだ。「もの真似も極まれば、独創に繋がる」と世阿弥は言っている。
「レジェンド」は、アメリカで新しい販売チャンネル「ACURA」をつくり、独自の「ニヤ・ラグジュアリー・カーの世界」を生みだした。高級感はまだまだだが、「何かのマネだ」とは言われない。本田さんから「マネすんな」と言われて初めて「真似」とは何かを知るようになった。若い連中には、できるものなら「マネてみろ」と檄を飛ばしている。

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