第128話. スポーティーな2ドアクーペ
1985年
いろんな体験を重ねながら、エグゼクティブカー「ホンダレジェンド」4ドアセダンのデザインは進められた。が、「ホンダのアイデンティティとは?」という課題には、かくありたしという想いはあるものの、具体的な答えを出せないまま時間切れとなる。
「一緒に、アメホン(アメリカンホンダ)へ行ってくれ」と、ローバー社との共同開発で責任者をされている本田技研専務から声をかけられた。開発中の「エグゼクティブカー」をアメホンへ売り込みに、とのことである。
どう見てもこの車が、日本でたくさん売れるとは思えない。成功の鍵はアメリカにあると考えておられるようだ。この頃アメリカでは、初代シビックに続き初代アコードが成功、さらに余勢を駆ってオハイオ工場では、2代目アコード4ドアの現地生産が開始されるまでになっていた。
話はトントンと進むように思われたが、ことのほか難航した。と言うのも、アメホンが本当に欲しがっているのは、シビックやアコードの3ドアハッチバックで築いてきた、スポーティ路線のフラグシップとなる「2ドアクーペ」だということを、現地に着いてはじめて知る。
中々譲ってもらえなかったが、粘りに粘って、「4ドアのあと、引き続いて開発しますから」と言うことにして、4ドアセダンの投入を受け容れてもらった。こうして2ドアクーペは、4ドアセダンをベースにホンダが独自で開発することになる。
思いっきり腕が振るえるぞと胸が躍った。4ドアセダンで果たせなかった想いを、何とか「かたち」に表現しようと思いながら2ドアクーペの開発に立ち向かった。
4ドアセダンのデザインには思い残したことが多い。一つは、いつもローバー社とのコモナリティー(共通性)を気にしながらの開発ということであり、二つには、日本市場の5ナンバー枠(4800mm×1700mm)を常に頭に置きながら、という辛さであった。三つには、もちろん腕が伴っていなかったことで、これは言うに及ばず、である。
私はデザイン室の中で経験も多く、「自分が出来なくては、」との気負いもあった。それに、これが現役デザイナーとして最後の仕事になるだろうとの切迫感も重なり、2ドアクーペでは、何とかホンダ4輪のフラグシップとなるデザインをつくり上げたいと考えた。
が、残念ながらこの開発を通じ、先人のつくった「桂離宮」や「陽明門」の凄さを改めて知り、頂上は遥かであるとの思いが強く残った。
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