第125話. イタリアの靴
1985年
「レジェンドの椅子が分かる者を、ちょっと寄こしてくれ」と、ホンダ創業者のお一人藤澤最高顧問から電話が入った。「おまえが行け」と前述の久米専務から。藤澤さんは「六本木のおじき」と呼ばれるように、六本木のど真ん中にお住まい。病気で倒れたあと懸命なリハビリをされ、このところお一人で歩けるまでに回復されたとか。
藤澤さんは、「君だったか」と艶のある大きな声で迎えてくれた。「腰から上は元気でね。ところでレジェンドはいい車だね。今はあれがないと、わたしゃどこへも行けないんだよ」と。そして「もう一つ、身体から離せないものがあってね。これなんだ」と言って一足の靴を見せてくれた。
「イタリア製でね。これが中々よくできていて、これおまえさんにあげる。切ってもばらしても好きにしていいから、これが何故いいのか調べてみてくれ」と。それから一頻り日本の靴について話があった。
日本の靴は、アメリカ風のつくりで丈夫で長持ちである。濡れても汚れてもいいように分厚く硬く無骨だ。足を靴に馴染ませるようにできている。その点イタリアのものは長持ちしないと言われるが、履き心地がいいし洒落ている。今どき開拓時代でもないし戦後の焼け跡でもない。気持ちのいいものでないと駄目なんだ、と。
靴の話かと思っていたら、いつの間にかレジェンドのシートの話になっていた。「人間贅沢でねえ。良いともっとよくなればと思うもんでね」と言いながら目は厳しい。結局のところレジェンドは「日本の靴」という訳だ。
シートメーカーの技術屋さんも加わって検討開始。中身がどうなっているのか見てみようと、勿体なかったが片方の靴をふたつ割りにしてみた。よくよく眺めてみると、まず一枚の皮で出来ていると思っていた底が実際は幾層にもなっていて、それぞれに硬さが違う。
しかも場所によって層の数が違ったり硬さが違ったりで、見かけと違って大変手が込んでいる。それと驚くことに、甲の部分の皮の厚さがまるで布のように薄い。それを袋縫いのように二枚重ねにしているから、靴の内外がまるで同じような感触である。
履いてみると、足の一部という感じで心地よい。体圧分布や強度や耐久性テストなど、車の開発でやるテストを一通りやった上で、再び藤澤邸におじゃました。二つ割りになったご自分の靴をしげしげ眺めながら、「やるもんだねえ」と。そして、「年寄りも役に立ったか」とご満悦そうだった。
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