マガジンのカバー画像

千字薬-本田宗一郎から学んだことども-Ⅲ.1980年代

61
ホンダのカー・デザイナーとして、経営陣のひとりとして、デザインと経営を見つめてきた経験を1エピソード、千字で書き綴った連載。(初出:1998年) 1980年代(40代–不惑)
運営しているクリエイター

#ホンダプレリュード

第134話. 金縛り

1987年 デザイン室に来られた本田さんが、「あの車どう?」と切り出された。状況からみて、「…

岩倉信弥
3年前
4

第113話. プレリュード・4ドア

1983年「おい、次のアコード、どうするんだよ」と、通りすがりざま本田技研専務に問いかけられ…

岩倉信弥
4年前
1

第91話.差し戻し

1980年 「これじゃ、期待するインパクトがない」と、決済者である本田技研社長の一言で評価会…

岩倉信弥
4年前
2

第96話. 入口と出口

1980年「門番がしっかりしなきゃね」と本田さんに。私がデザイン室の技術総括になって間もなく…

岩倉信弥
4年前

第95話.七度目の正直

1980年2代目「ホンダプレリュード」の企画案、これまで何度評価会に臨んでも、評価委員長(本…

岩倉信弥
4年前
2

第93話.「矛盾」との戦い

1980年FF(前輪駆動)レイアウトで100ミリ低いボンネットが実現すると、「スーパーカーのシル…

岩倉信弥
4年前

第94話.怪我の功名

1980年2代目「ホンダプレリュード」の開発は、チームメンバー全員が「矛盾」との戦いの中にいた。無理を承知でやることも多く、中には失敗もある。発売後に、特徴の一つになった点灯時ホップアップするヘッドランプは、最初から意図して出来たわけではない。 恥ずかしい話だが、ボンネットの高さを下げ過ぎたあまり、気が付いたらヘッドランプの位置が、保安基準で定められた高さよりはるか下になっていた。認定取得を担当する部署から、「これでは認可がとれない。したがって売り物にはならない」と言われてし

第92話.やってみれば

1980年 2代目「ホンダプレリュード」のデザインを進めているところへ、ふいに研究所社長が現…

岩倉信弥
4年前