見出し画像

見送るということ #6

納骨の日は穏やかに晴れた日となった。思えば葬式の時も風もなく静かな日だった。これも父の生前のお陰とは、微塵も思わない。
とにかく、病気になり介護施設を利用するようになってからの父には振り回された。
足腰が弱って転びやすくなり、家に中だろうが庭先だろうがよく転んだ。夜中に転んで大ケガをした事もある。
「何か用があるなら呼べ」と言い聞かせるのだが、「分かった」と返事だけで一人で立とうとする。そして転んで「立てなくなった」と家族の手を煩わせる。
足腰が弱っても気だけは強がるから始末が悪い。さらに、下の世話もあった。本人は分かっているのかいないのか、毎度毎度「誰がやったんだ?」と惚ける。たぶん、恥の気持ちもあったのだろう。歳をとるとはそういう事かも知れない。

そんな父の納骨式である。例の法事ダブルブッキングの寺に時間通りに到着し、住職の登場を待つ。
読経が始まる。とここで父の戒名の読み方が判明。家族全員で「そうだったんだ」とココロの中で納得。
本堂での読経と焼香が終わり、先祖代々の墓前へ移動。
墓の前では石材屋さんがスタンバッていた。たぶん、タバコでもふかしていたのだろう。石材屋は我々を見て立ち上がり頭を下げた。

仕事の前に石材屋に代金を渡す。その場で中身を確認して、納骨の作業に移る。
墓の前を塞ぐ石の板を取り除くと、人ひとりが入れるくらいの穴が見える。そこにいくつかの骨壷が並んでいた。たぶん、先に逝った爺さん婆さんたちだ。それらの骨壷を石材屋が少しづつずらして、新入りとなる父のためのスペースを作る。
「ここに置きますが、よろしいですか?」
石材屋が丁寧に訊ねてくるので、「ええ、そこにお願いします」と返す。
「そこじゃダメです」なんて拒否権はない。墓のスペースは限られている。
骨壺が置かれ再び墓の穴が閉じられる。全員で線香を手向けて納骨式は無事終了。

穏やかに晴れた冬の空の下、寺から自宅へ帰る。
戻れば精進振舞いである。親族一同とはいえ、ほぼ家族だけの小さな宴会が始まった。
ここで母から衝撃の一言。
私の時は空からまいてくれ。あ、飛行機使うと金かかるから海でも川でもいいや」
それ、一筆書いておいて下さい

介護も終活もあと一人面倒を見ねばならん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?