毒親の母とボク、気持ち

画像1 今年も、誕生日がやって来た。初めて、彼女に祝って貰えて、有頂天になったボクに、待っていたのは、彼女からのダメだしと、付き合って行けないと言う言葉だった。ボクは、誰よりも人の気持ちに、敏感だと思っていたのに、彼女の気持ちを、何も分かってあげられていなかった。母は、すぐに感情を、表に出す人だった。だから、いつも、母の顔色を、物心ついたころから、伺っていた。姉から怒られた時も、顔色を伺った。絶えず、自分は、見捨てられるんじゃないか、なんてダメなんだろうと、自分を責めた。自分は、勉強以外、何も出来なかった。
画像2 母は、言った。あなたには、何も取り柄がない、勉強する事以外は。だから、お勉強はしたけれど、大切な人の気持ち、人がどんな風に言われたら傷つくのか、学んで来なかった気がしてならない。例えば、バイトも、一つしかしたことが無いから、人の気持ちが、分からない。母は、何でも教えてくれたけど、人付き合いの仕方は、教えてくれなかった。お付き合いをして見て、自分の人付き合いのスキルの無さに、何度も打ちのめされてきた。陰気な、自分が、人と付き合うこと自体無理だったのかもしれない。母は、人は一人で生きて、一人で死ぬものだと。
画像3 だから、ずっと一人が、好きだった。推し活も、一人だった。母は、凛と咲く薔薇の様な人だった。母は、引きこもっていた自分の為に、パートを70過ぎまで、続けて家計を支えた。そして、ある日中央線で、倒れた。息子である自分が、1番母の側にいて、苦労を知っていたのに、みて見ぬふりをして来た報いだった。気持ちを誰よりも、分かっていたのに、何もしようとしなかった。これ程冷たい人が、いようか?こんな自分が、誰かを、愛せるはずが、なかったのだ。母を救えなかった時から、分かっていた。でも、止められなかった、感情を。愛してると。
画像4 母は、お前を愛せるのは、母しかいないと言った。彼女は、そんな自分を愛してくれた。感謝しかない。生きていく希望が、持てていたのに。母が、言った通り、自分を愛せる女性は、母だけだった。それを、否定したいから、ボクは、別れると自分からは、言えなかった。思えば、母は、自分に近づく女性を、全て排除した。彼女は、初めて自分に、近づけた女性だった。時に、姉の様に、時に母の様に感じた稀有な人だった。だから、大切にしたいと思った。最高の誕生日が、最悪になるまで、あっという間だった。いつも自分の事、私の事考えてないねって。

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