毒親の母とボク、習い事

画像1 母は、ボクが、小さい頃から、兎に角、習い事をよくさせる人だった。母が、泳げなかったから、スイミングスクールに通わされた。姉は、最終的に、個人メドレーのタイムを競う育成コースまで、進めたが、ボクは、バタフライで何度も立ってしまい、育成コース所か、個人メドレーにも進めないまま、受験勉強に突入してしまい、辞めたのでした。母は、言いました。姉さんは、きちんと、個人メドレーの一級まで、進めているのに、あんたは、バタフライでもたもたしているから、この低たらくじゃないと。日曜日の朝、キン肉マンを見て嫌々行ってたなあ。
画像2 母は、ピアノが、好きだった。何故か、生まれ育った家は、家の前が、ピアノの先生の家だった。姉が、ピアノを習いに行くのに、ついて行っては、優しいピアノの先生の奥さんに、お菓子を、貰う様に。ボクにとって遊び場だったけど、いつしか姉に憧れて、やりたいと、言ったらしい。おじいちゃん先生に、バイエルンから、指導を受けた。なかなか、上手くならなくて、毎日練習が、嫌だった。4年生の時、引越してからも別の先生で、ピアノを続けたがけど、受験勉強に差し障りが、出るまで、母は、辞める事を許さなかった。また、ボクは、芽が出なかった
画像3 母は、読み聞かせを、寝る前にした。だから、自然と、本好きになった。母は、英語が、苦手だった。だから、子供用の、英語のカセットを寝る時は、聴かされた。アンデルセン童話や、昔話は、楽しかった。英会話教室にも、通わされた。中学生の時、バスケ部の合間に、外人の先生と話すのだが、人前が、苦手で、恥ずかしくて、挨拶するのが、やっとだった。英語のお話しは、面白いから、好きだったけど、英会話は好きになれなかった。母が、言うには、英語を嫌いにならない様に、先取り学習だったと、言うんですが。英語は、喋れないボクが、いるのです
画像4 母は、習い事は、続けないといけないと、言った。ボクが、興味が無いことも、多かった。公文式や、ソロバンは、短かった。字が汚いと、神社に習字を習いに行った事もありました。あまり、効果は無かった。英才教育では、漢字を覚えさせられ、お受験の為に、お教室に通い、やりたくも無いマット運動もしました。習い事も、受験の為となると、つまらなく、辞めたくなるけれど、辞めれない。母のおかげで、我慢強く、辞めれない性格になりました。でも、どの習い事も、中途半端で、かじった程度なのが、コンプレックスになりました。

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