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「高い塔」の分析

「高い塔」とは一体何だろうか。文章ではある。しかし何かを伝えているだろうか。イメージは伝わるけれどもその意図はわからない。読者は戸惑うはずだ。というのも、意図のわからない文章はその役目を果たしていないからだ。となると「高い塔」は文章でありながら文章でない、失敗作であることになる。そもそも読む価値などない。世の中には読む価値のない文章が本当に溢れている。しかしそもそもは存在を描くのだから無駄ではないはずなのに、価値がないのはどうしてだろうか。それは読まなければいけない文章がとても多いからだ。人はその多さにうんざりしている。だから読むか読まないかを決めることは大事だ。特にネットが発達した現代においてはそうだ。

ところで「高い塔」では主人公は人間でできた高い塔を上る。それは不気味な感じを与える。というのも人は人を踏むことを恐れているからだ。だから「高い塔」は不気味さを伝えている。しかしなぜなのかが伝わってこない。だから読まれないだろう。そして、主人公が窓から見る光景は荒涼としている。だから、ここは人間の世界の終わりなのかもしれない。「かもしれない」と私はいう。要するにわからないことがここでは尊重されている。わからないままなのだ。それは礼儀に適っていない。だからこれはやはり読まれないだろう。

「高い塔」は小説だろうか。そもそも小説とは一体なんだろうか。ある人によれば小説は打ち明け話だという。そこでは普段語られない心情やある人から見た光景が語られる。だから「高い塔」は小説の形式は取っている。しかし完成されてない。意図がわからないからだ。要するに、人は小説を読んで何でそれを書いたのかを自然と理解する。それがわからないと不安になるからだ。だから「高い塔」は不安を表現している。

不気味さ、不安、悲しみ、それらは後生大事にされるべきものではない。ということはやはり「高い塔」は読まれないだろう。私が思うにこの文章の着想は子どもの遊びであった。人形を積み上げる遊び。積み上がった人形は何か意味を持っているだろうか。おそらく無意識に何かを示していると精神学者は考えそうだが、それは人間にはわからないことだ。だから、それは遊びと理解するのが精神衛生上いい。だから「高い塔」は遊びなのだ。言葉遊び。いい間違いは何も意味しない。そう考えよう。だからこれは読む価値かなどない。皆忙しいのだ。無駄なものは読まない方がいい。

まとめ

  • 人は忙しい。

  • 無駄なものは読まない方がいい。

  • 理解などできないものがたくさんある。

  • 失敗作は逆に文章の真理を表している。

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