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まとめのまとめ最新版
読み方
カテゴライズすると、読みやすい。自分の好きなところを集めるなどして自分に関係づけるとなおよし。
昔の偉人も現代の人と同じような悩みを抱えていた
和歌にはその時々のその人の心が表現されているけれども、それが共感を呼ぶのなら、人は意外と同じ部分も多い。それは人間にとっては希望だし、野心家には絶望だろう。
脳は万能ではない
容量もあるし、情報を使うための簡略化もあるだろう。ヒトは自動で動いている部分は多い。認識したいものしか認識しない。見てないものが思ったより多い。自分の関与できる世界しかわからない。しかしそれ以外の部分が多いのが世界というものだ。
考えるとは訂正していくこと
考えることはいつでも自分への批判を含んでいる。それは過去の自分との対話でもある。考え続けることが大事といわれている。決定したものはもう考えられないからだ。一番の問題はどうその時間を捻出するかだ。いつでも考えることはできない。日記をつけるのはその意味でいい習慣だろう。
相手に求めることを自分はしているか
相手に不満を感じるとき、それは自分への不満だったりする。まったく関係がないのであれば、何も感じないように私たちはなっている。それが怒りへと変わるとすれば、私たちはそれを自分へ向けられた矢だと思っていることになる。自分への愛が怒りには含まれる。
ポプラは防風林
「君が涙のときにはぼくはポプラの枝になる」という歌詞がある。幹じゃなく枝。そこにあるのは弱いけれども守るという意志か。
自分の基準で生きると楽になれる
しかしそれは実力のある人ではないか。凡人には凡人の幸せというものがある。他人の評価を気にしてしまうのは凡人の性である。芸術家のように自分を出して生きるか、凡人としてあきらめ求めに応じるか。それを選ばなければならない。
見たまんま書くのは本当は難しい
感じたことをそのまま書けるならすばらしいことだろう。しかし私たちはそういうふうにはできていない。文章もそういうふうにはできていない。書くとは形にはめることだ。書くとはすばらしい部分を削って、普遍的な部分を切り出すことだ。削りカスは心の中に積もっていくことだろう。そして、それ以外の感じられもしない世界の部分は世界をつくるだろう。
わかるとは簡単なことではない
わかるためには時間が必要なことがある。一方で一瞬でわかることもある。わかるとは簡単な作業ではない。有機的に結びつき、そして分解され、また新たな形で創出される。思い通りに考えることはできない。思い通りに動けるときちゃんと考えることができる。
時間の大事さ
時間は資産である。しかも誰にでも平等になくなっていく。パラメータは時間である。お金ではない。お金は時間を買うためにある。私たちは時間をいろいろなものに変えて生きている。スミスは労働を第一に見たけれども、そうだとすれば時間こそ価値がある。労働をするのは時間だから。時々、人間の命をろうそくにたとえることがあるが、それは示唆的だ。時間が正確に測れるものだとすれば、経済学は時間経済学になるだろう。
成功体験と失敗体験
成功体験があるからこそ続けられる。それは本当だろう。失敗しかないなら、やめてしまう。しかも失敗は失敗なのだから、やろうとすることさえ見えてこないだろう。人は幸福によって自分のやるべきことを見つけるという言葉はいい指針だろう。
考えるとは決定することであり、決定することは何かを選ぶことである
私たちは何かを自然に選んでいる。否定とは他人との食い違いの現れである。それは自然なことであり、それ自体悪いことではない。日本では特に、否定されることは少ないがために、否定を悪く思いがちだ。それは逆にいえば、日本が同質性が強いというだけである。
解釈し続ける
一つの情熱とはやめないことだ。解決することはもうそこには戻らないことであるのに対し、やめないということはそこにとどまり続けることだ。そこには意志が働いている。それを何にするかは人それぞれだろう。それは時間を何に使うのかということでもある。というのもやめないとは終わらないということだからだ。無限に時間を使う。それを不毛と見るか、幸福な時間と見るかはその人しかわからない。
知っていると思った瞬間に人は学ばなくなる
そうだからこそ何を知っていて知らないのか、何を真理とし、何をもう解決したこととするのかは重要だ。賢い人は変わらないものにそれを使う。だがそれがすべての人の幸福とは限らない。消えてしまうものにそれを使ったとしても幸福ということはある。
決断はその人を表すため尊い
何事も進んでやることが重要だ。そのためには決断が必要である。となれば、何に時間を使うかについて一生に一度は考えなくてはいけない。しかしそれはそんなに回数はいらない。そのためには片づけや自分史の作成などを利用するといい。
いつ行うか決めるのは自分
決断は重要である。
読むとは結局いまここに戻ってくることである
文章は普遍的、主知主義的、理性的である。それだからこそ、いまここに話を自分で戻さなければならない。読むとはそういうことだ。
まとめのまとめ
考えることも、行動することも決断することに端を発する。
時間は大事なものである。
すべては時間と交換することでできる。
何にどれくらい時間を使うかは一生に一度はしっかり考えなくてはいけない。
そこには何を続け、何をあきらめ、何を解決したとするかを決定することも含まれる。
自分の人生を幸福に導こうとする意志こそ尊い。
とはいえわかることは簡単なことではない。
いくら考えてもわからないこともあれば、一瞬でわかることもある。
だからこそ人は信じる。
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